ミャンマーのクーデター(下)「74年憲法」停止後の蹉跌と比較してわかる軍の焦りと「アウンサン」の響き

我が父の霊前にあなたは顔向けできるのか?(写真:ロイター/アフロ)

 今回の政変で軍が「護憲」を旗印にしているのは1988年のクーデターにおける反省からとも推測できます。

「74年憲法」を停止した88年政変との違い

 やはりクーデターによって62年から長期独裁を敷いたネウィン政権は74年に憲法を制定しました(本稿では「74年憲法」とする)。独裁後期の80年代後半に入ると開放経済圏とも旧ソ連を中心とする計画経済圏とも付き合わない独自の「ビルマ式社会主義」の行き詰まりが甚だしくなり、政権への反発も日増しに強まっていきます。

 88年、学生から始まった民主化要求が国民各層へ広範に行き渡りました。それを力づくで抑え込んだのがソウマウン国軍参謀総長。「74年憲法」を停止し、自ら発足させた軍政の「国家法秩序回復評議会」の議長に就任しました。と同時に複数政党制の導入と総選挙の実施を約束したのです。

 一見すると「ネウィンからソウマウンが権力を簒奪した」ようですが実態は異なります。前政権の尻拭いを軍の後輩がしたというのが事実に近い。現にネウィン氏はその後も隠然たる影響力を保ちます。おそらく若干の冷却期間を置いて形ばかりの総選挙で親軍勢力による「民政」を実現させて制憲へとの流れをもくろんだのでしょう。

 ここで誤算だったのが「アウンサンスーチーのデビュー」でした。イギリス在住の彼女はたまたま母親の見舞いで帰国しており、民主化を支持する演説を行ったのが大評判となります。民主化頓挫後も来る総選挙に向けて国民民主連盟(NLD)結成に尽力しました。

無憲法状態を脱したタンシュエの苦心

 果たして90年の総選挙でNLDが議席占有率81%の圧勝。軍政の計算は大きくはずれ、やむなく結果を無効にし、議会の召集を拒否し続ける羽目に陥ったのです。スーチーさんは自宅軟禁を余儀なくさせられました。

 かくしてミャンマーは国の組織や構造を明示する憲法のない国となってしまいました。議論しようにも正当な選挙で選ばれた議員による会議が開けないからです。国際社会は一連の動きを暴挙と非難。そのようななかで再度総選挙をしてもNLDに席巻されるのは火を見るより明らかでした。

 ソウマウン氏は92年片腕的存在のタンシュエ氏に国家法秩序回復評議会議長を譲って退陣。軍にとって都合のよい選挙結果を導けなかった責任を負っての失脚という側面もあったでしょう。

 後継のタンシュエ議長は失地回復のため93年から議会とは別に「国民会議」なる会議体を発足させて実に15年の歳月を費やして「08年憲法」にこぎ着けました。

 すなわち今回の政変は「74年憲法」を無効化したために身動きしにくくなった前回の轍を踏まないよう学習した結果ともみなせます。

独裁者もひざまずく「アウンサン将軍」の威光

 88年も今回も軍政の前に立ちはだかるのがスーチーさんです。軍にとって目の上のたんこぶのような存在で、ために長期に渡る事実上の拘束を強いてきたのですが不死鳥のように蘇ってきます。それは軍にとってもまた彼女が特別な意味を持つからで間違っても暗殺や死刑判決などの強硬手段は取れますまい。

 何しろ彼女は「建国の父」アウンサン将軍の娘です。軍にとっても創設者の直系卑属。あだや疎かにできません。

 アウンサン将軍は同国が日本占領下にあった頃から軍事・政治両面で独立を目指すリーダーでした。敗戦による日本撤兵後も宗主国イギリスとの交渉に当たってきました。それが念願(48年独立)目前の47年、暗殺されてしまったのです。

 独立闘争の際、政治面での相棒がウー・ヌ氏で軍事面はネウィン氏とともにありました。この3人は盟友でアウンサン暗殺後を引き継いだウー・ヌ政権の弱体を補うようにネウィン政権がスタートしています。前述のように実質的なネウィン後継がソウマウン政権で、片腕のタンシュエ氏が後を襲っているのです。

スーチーさんとクーデター側との格の差

 スーチーさん側からみると88年民主化で表向き去ったネウィン氏は父の盟友で、ソウマウン氏は部下。2人は既に鬼籍に入っています。タンシュエ氏がその側近で、彼に軍を託されたミンアウンフライン氏に至ってはスーチーさんより10歳以上年下の武弁に過ぎません。

 軍政を鋭く批判するスーチーさんも「アウンサンの娘」というポジションが国民に訴求するのは承知していて政権を奪取した後にアウンサン将軍の肖像画入り紙幣を発行しています。15年にはタンシュエ氏とも会談。ロヒンギャ難民問題でも国際的非難を浴びつつ治安維持権限を憲法上独占する国軍を擁護する発言に止めました。

 「08年憲法」改正はNLDの原点で、それを訴えるのは軍部も分かりきっていたはず。だからこその軍人枠設置であったから。20年総選挙の結果もある程度予測できていたに決まっています。にも関わらずのクーデター。やはりミンアウンフライン氏の個人的野心を疑わざるを得ません。

ヒロインからカリスマへ

 88年民主化運動のスーチーさんは突如現れたすい星でした。政治経歴もなく、母国にもいなかった「アウンサンの娘」が約40万人もの集会で「複数政党制による民主主義を築こう」「軍は独裁ではなく国民の側に」「公務員は全員デモに参加を」と明確に清新なメッセージを初めて披瀝したからです。43歳という若さやあでやかな姿、さらに国際性であっという間にヒロインとなりました。

 長期独裁後の民主化はしばしば求心力を欠いて打倒を果たしても次のステップで組織力のある既存勢力に席巻されるケースがしばしば認められます。しかしミャンマーは、この瞬間「スーチー」というリーダーを得て総選挙圧勝という成果を得たのです。

 今回の政変はさらに軍事政権をもくろむ者にとって厳しい道のりが待っていると予想されます。88年のヒロインは今や5年間の政治実績をまとうカリスマで総選挙で正統性を保ったまま。存命中のタンシュエ氏やテインセイン氏も沈黙を貫いています。

 むろん予断は許しません。軍政の長期化やスーチーさんら民主化勢力への危害も心配されます。他方、過去の正真正銘の独裁政権ですら軟禁に止めたスーチーさんをそれ以上に追い詰めるとも思えず「護憲クーデター」という戸惑いにも似た姿勢から自信のなさもかぎ取れるので案外早く収束する可能性も十分ありそうです。