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男子バレー藤井直伸「もう10年、だけどまだ10年。今もバレーができている自分は幸せ』#あれから私は

田中夕子スポーツライター、フリーライター
石巻出身の藤井。バレーボールができる感謝を胸にコートで戦う(写真/東レアローズ)

 10年の月日が経っても、あの日見た景色は今も脳裏に焼き付いて離れない。

 実家近くのトンネルを抜け、目に飛び込んで来た1週間前の地震の爪痕。大学1年生だった藤井直伸は言葉を失った。

「あれから10年。いろんな記事を見るんですけど、そのたび僕も悲しい気持ちになるし、あの時現地にいた人たちはもっといろんな思いで見ているだろうな、と思うんです。当時を思い出すことも大事だけれど、忘れたい人もいる。もう10年なんだ、とも、まだ10年なんだ、とも思うし、まだまだ大変な人たちがたくさんいる。その中で、今もこうしてバレーボールができているのは幸せだな、と思います」

人生で経験したことがない1週間

 2011年3月11日。

 間もなく始まる大学男子バレーボール春季リーグに向け、広島で合宿中だった。午後からの全体練習前に体育館で自主練習をしていたら、すぐに中断させられ、監督に告げられた。

「東北で大きな地震が起きた。家族がいる人は連絡するように」

 数日前から地震が続いていたと妹から連絡を受けており、携帯電話を手に取ると「みんなで避難しているから」と妹の声で留守電が残されていた。

 テレビもつけずにいたため、事の大きさがわからず「避難」という言葉に違和感を覚えながらも、留守電も入っていたので大丈夫、と練習に参加した。

 現実を突きつけられたのは、全体練習を終えて宿舎に戻り、テレビをつけた時だった。無事を確認するために何度かけても電話はつながらない。翌朝一番で広島から大学のある千葉までは何とか戻ることができたが、東北への電車、飛行機は軒並みストップ。帰る術を失い、情報や知人を頼りに、東京から新潟まで上越新幹線、新潟から仙台までの高速バスを乗り継ぎ、石巻に着いて避難所にいた家族と再会できたのは地震から1週間が過ぎた後だった。

「めちゃくちゃ怖かった。会うまで家族と連絡がつかなかったので、もしかしたらこのまま1人かもしれない、この先の人生を一人で生きていかないといけないかもしれないと嫌でも考える。人生で経験したことがない1週間でした」

 自宅は残ったが浸水被害がひどく、住める状況ではなかった。震災以前は漁業関係の仕事に就いていた父も甚大な影響を受け、幾度も転職を余儀なくされた。それまでの当たり前が当たり前ではなくなる中、自分だけが変わらず大学に通い、バレーボールを続けていいのかと何度も迷い、悩んだ。

 だが、先の見えない苦しい状況で、被災した学生を対象に卒業までの支援を申し出てくれた大学関係者、手を差し伸べてくれた人たちや、自分よりももっと厳しい状況に置かれても「頑張れ」と背を押し、応援してくれる人たち。数えきれないほどの縁や支えがあったから今もここにいる。

 コロナ禍でバレーボールの大会も中止を余儀なくされ、東京五輪も延期。先を見れば不確かなことも少なくない状況ではあるが、だからこそ今、震災直後以上に抱く感謝の気持ちは大きくなった、と藤井は言う。

「コロナの影響もあり、オリンピックも決して歓迎されているわけではないし、いくら僕たちアスリートが(オリンピックを)やりたいと言っても簡単に進む話ではありません。もちろんアスリートとして、オリンピックの舞台に立つのは夢だけど、世の中が大変な時期で、人の命以上に大切なものはない。どんな状況であろうとこれからも自分がバレーボールを続け、バレーボール選手であり続ける限り、宮城を背負って、宮城、東北の代表として頑張らないといけない、という気持ちは、以前よりずっと強くなりました」

羽生選手のように「誰かの力、励みになれる選手になりたい」

 10年。

 流れた年月を「区切り」とか「節目」と言われるたび、違和感がある。

「何年経っても変わらないですよね。10年だから特別というのは全然ない。(今年の)2月に東北で大きな地震があった時も、僕は試合で大阪にいたから揺れもせず、気づきもしませんでしたが、ニュースを見て驚いて。家族に電話したら、両親もだいぶ動揺していました。あれも東日本大震災の余震だったと聞くと、まだまだ大変だし、これから先もずっと続くかもしれない。そこに区切りはないですよね」

 その中で、スポーツ選手として何ができるか。考え続ける日々の中、昨年12月、全日本フィギュアスケート選手権で優勝した羽生結弦の演技に、自然と涙がこぼれた。

「ものすごくグッと、感動したんです。いろんな思いを背負って頑張る姿は、こんな風に人の力になるんだ、って。舞台は違いますが、同じアスリート、尊敬すべきアスリートで同じ宮城出身の選手なので、一緒に頑張るという表現は違うかもしれないですけど、自分のためだけでなく、応援して下さるたくさんの方々の力を感じながら頑張りたいし、頑張らなきゃいけない。自分が頑張ることが、誰かの力になっているかもしれない、と思えば、またもっと頑張れる。そういう“励み”になれるような選手に僕もなりたいです」

 新型コロナウイルスの感染拡大で、開催すら危ぶまれたVリーグも多くの支えとさまざまな尽力の結果、無事開催が続き、レギュラーラウンドの数節を残すのみ。佳境を迎えたVリーグを最後まで諦めずに戦い切ること。その姿を見せ続けることしか、今の自分にはできない。

 忘れ得ぬ記憶を抱き、背負うのではなく、心を寄せて共に戦う。その姿で、誰かの力になれるなら――。

 これまでも、これからも。感謝を抱き、藤井直伸はコートに立つ。

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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