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現役引退を決めた狩野舞子がラスト2シーズンで感じた「バレーボールの楽しさ」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
今季限りの引退を表明した狩野舞子。4月30日開幕の黒鷲旗で最後の雄姿を見せる。(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 2018年4月23日、PFUブルーキャッツのホームページで狩野舞子が今季限りでの引退を発表した。

 ロンドン五輪にも出場し、2015年に一度はユニフォームを脱いだが16年に復帰。

 石川県を本拠地とするPFUブルーキャッツで2シーズンを戦い、狩野は引退を決めた。

一度は現役引退もPFUで現役復帰

 16年の初夏の頃だった。

 実は、と切り出された時、てっきり結婚でもするのかと想像していたら、返って来たのは全く予期せぬ言葉だった。

「私、復帰します」

 15年5月に久光製薬を辞め、その後、遊び程度で動くことはある、と言ってはいたが、まさかまた、体育館に選手として戻ることなど想像もしていない。

 バレーボール選手を辞めてからの選択肢を語る時、いつもどこか漠然としていて、候補は複数あっても、これ、という決め手を欠いていた。

 そんな彼女が、自分の意思でもう一度コートに立つことを目指す、と言う。

 なぜか。そう聞く前に、晴れ晴れとした顔でこう言った。

「中途半端だったな、って思ったんです。しんどいと思うことはたくさんあったし、もうバレーボールはいいや、と思ったけれど、ちゃんと振り返ったら私、本当にやりきったのかな、って。だったらもう1回、ちゃんとやって、終わろうかな、って思ったんです」

 半年以上ほとんど動いていなかったから体が戻るかわからない。もう一度アタッカーとしてどこまでできるのかも定かではない。この選択をよかれと思わない人もいるかもしれない。不安はあると言いながらも、それ以上に自分の中で「やる」と決めたこと。その充実感が表情を輝かせていた。

 16年の7月にPFUへ入団し、16/17シーズンがプレミアリーグ初参戦となるチームの一員として狩野もコートに立つ。

開幕戦で東レアローズに勝利すると、まるで優勝したかのようにチームメイトたちと喜び、試合後の記者会見では「この1勝は、今までのどの勝利よりも嬉しい」と笑顔で言った。

まずは自分がバレーを楽しもう

 中学3年時に日本代表候補に選出され、美少女選手として過度な注目を集めるも、腰痛や両足のアキレス腱断裂、レギュラーとして試合に立つことよりもリハビリに明け暮れる時間のほうがずっと長かった。

 一度久光製薬を辞め、イタリア、トルコでプレーし、ロンドン五輪に出場。五輪を終えてからセッターに転向するも技術も、経験も、セッターとして求められるタフな精神力も自分にはない。人を蹴落としてでも「やってやる」と思うのではなく、自身の足りない部分ばかり目がいって、気づけば、バレーボールを楽しい、と思うことすらなくなっていた。

 まだまだできるはずだ。周囲にそう思われながらも、自分自身で「やりきった」と思うことなどなかったとしても、セッターとしての3シーズンで一度も満足にコートへ立ち続けることもできないまま、現役引退を決意したのも当時の狩野には必然だった。

「このまま終わるのはもったいないんじゃないか」と何度も何度も繰り返し、自分を「必要だ」と説得し続けてくれた寺廻太・PFU前監督の熱意を前に、ふと考える機会が増えた。

 自分の人生は、一度きちんとバレーボールをやりきってからでなければ、これからが見えてこないのではないか。

 自分自身もどこかで、きちんと区切りをつけたいと思っているのではないか。

 そのためにはもう一度、バレーボールを楽しいと思える時間が必要なのではないか。

 東京出身の狩野にとって、遠い雪国というイメージでしかなかった石川県を本拠地とするPFUに所属し、その場所で暮らし、これまで接することのなかった人々と接するたび、これほど多くの人が自分を応援してくれていたのかと改めて気づかされた。

 ホームゲームのたびに多くの人が訪れ、チームのPRのためにイベントへ赴くとたくさんの人たちが笑顔で「舞子ちゃん、頑張って」と声をかけてくれる。それが今の自分にとって、バレーボール選手として、どれほど幸せなことなのか。感謝しかなかった、と振り返る。

「前までは何かに追いかけられてやっていた感じが強かったんです。絶対オリンピック出ないといけない、活躍しないといけない、家族や指導者を喜ばせないといけない、って勝手に自分の首を絞めていた。本来自分のためにやっているはずなのに矢印が外ばかり向いてしまって楽しめなくなってしまった自分がいたので、復帰するにあたってバレーを楽しむ、やりきるっていうのを一番に置いてやってきました。自分が楽しいことを喜んでやって、それによって周りの人が楽しんでくれたり喜んでくれたりしたらいいな、って。だから石川でたくさんの人から応援されたことが本当に嬉しかったし、今までとは違う感覚、感情でバレーボールに向き合えた気がします」

やりきった、で終わりたい

 楽しかったのか、苦しかったのか、すべてを終わるまで自分のバレーボール人生を振り返ることはできない。

 だが、これだけは確かだ。

 苦しくても、つらくても、甘さへと逃げずに、今の自分にできることはやりきった。

 狩野にとって現役最後の公式戦は4月30日に開幕する黒鷲旗全日本男女選抜大会。最後の雄姿をただ見るだけでなく、見たことがないぐらいの迫力でスパイクを打ち抜くような勇敢な姿が見られるのではないか。いやそれとも「ブロッカーを前にすると急に気持ちが弱くなる」と自認してきたような、チャンスで1枚ブロックに止められる姿なのか。

 どちらでもいい。

 最後までやりきった。そんな笑顔が見たい。きっと多くの人たちがそう願っているはずだ。

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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