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「また水につかるだろう」 熊本豪雨から1年、現地で見えた課題

田中森士ライター・元新聞記者
1965年に発生した水害での水位を示す渕田酒造場の渕田将義社長(筆者撮影)

熊本県南部を中心に大きな被害をもたらした豪雨災害から1年が過ぎた。被災地では、未だ解体中あるいは手付かずの建物、更地も目立ち、復興にはまだ時間がかかることがうかがえる。現地を歩き、発災から1年が経って見えてきた課題を探った。

悩んだ末に決めた移転

球磨川流域では、過去400年間で100回以上水害が発生している。地元住民の多くが「また水につかるだろう」と口をそろえる。球磨焼酎の蔵元・渕田酒造場(人吉市)の渕田将義社長(64)は、「悩んだ末、移転を決めた」と明かす。

球磨川の近くには、過去に何度も氾濫していることを示す看板が設置されていた=2021年6月23日
球磨川の近くには、過去に何度も氾濫していることを示す看板が設置されていた=2021年6月23日

発災直後、みるみるうちに水位は上がっていき、なすすべがなかった。蔵元の向かいにある建物3階に避難したが、製造機器が水没していく様子を目の当たりにした発災当初、「事業再開は難しい」と感じた。しかし、その後に同業者や学生ボランティアが献身的に片づけを手伝ってくれる姿を見て「廃業するわけにはいかない」と考えを改めた。「仲間たちとこの地で焼酎造りを続けなければ」。家族で話し合った末、再開を決めた。

ただ、同じ場所に再建することには抵抗があった。渕田社長が生まれてからの64年間で経験した床上浸水は4回目。「近年の異常気象を鑑みると、いつ再び水が来てもおかしくない」と語る。別の場所で再建しようと人吉・球磨地方を数十カ所見て回ったが、条件に見合った移転先(場所)は見つからない。最終的に同地方内での再建を断念した。現在は、別の地域での再建を目指し、土地を探しているという。

昨年7月の豪雨災害時、水は4メートルの高さに達した。棒の先で当時の水位を示す、渕田社長の長男・将さん(中央)=2021年6月22日
昨年7月の豪雨災害時、水は4メートルの高さに達した。棒の先で当時の水位を示す、渕田社長の長男・将さん(中央)=2021年6月22日

球磨焼酎は、「米(米こうじを含む)を原料として、人吉球磨の水で仕込んだもろみを人吉球磨で単式蒸留機をもって蒸留し、びん詰めしたもの」とする定義がある(球磨焼酎酒造熊井HPより)。それゆえ同地方の外に出てしまうと、球磨焼酎は造れないことになる。困った渕田社長だったが、同業者の仲間に相談したところ、球磨焼酎の製造を委託することで、仮に地方外に移転したとしても銘柄は残せる見通しとなった。

渕田社長は、「我々事業者には、同じ場所での再建、移転、廃業という大きく3つの選択肢がある。しかし、どの選択が正しいかは誰にも分からない」とした上で、「悩みぬいた結果、リスクが比較的低い決断をした」と移転を決めた経緯について説明する。また、補助金の申請に膨大な労力がかかることを指摘し、「事業者の中には補助金の手続きが煩雑すぎて申請をあきらめた人もいる。そうなると残る道は廃業しかない。災害が日本全国で頻発していることを考えると、もう少し手続きを簡略化してもらえるとありがたい」と求めた。

「関係機関と連携を取れる枠組み構築を」

豪雨災害では、逃げ遅れて自宅に取り残された住民も多かった。そんな中で救助活動に奮闘したのが、地元のラフティング業者たちだ。

「球磨川下り」で知られる球磨川だが、近年はラフティングの人気も高まっている。球磨川では1993年に商業化されたといわれている。九州で楽しむことができる場所は珍しく、例年シーズンになると県内外から多くの観光客が訪れる。

発災当日、14業者でつくる任意団体「球磨川ラフティング協会」に、人吉市の防災担当者から連絡があった。「逃げ遅れている住民が多数いるが、ボートが足りない」。救助協力の求めだった。加盟業者が保有するボートは、合計100艇近く。ガイドは、救助の訓練を受けており、かつ経験豊富な者ばかりだ。連絡を受けた当時の会長は、即座に「力になれる」と思ったという。

水につかった人吉市内でボートを漕ぐ加盟業者ら=2020年7月4日(球磨川ラフティング協会提供)
水につかった人吉市内でボートを漕ぐ加盟業者ら=2020年7月4日(球磨川ラフティング協会提供)

しかし、協会、そして加盟業者は関係機関とのつながりが薄く、救助が必要な人がどこにいるのか、まったく情報が入ってこなかった。当時、協会員だった渕田拓巳さん(44)たちは、直接、下青井地区の現場に向かい、目視できた人から助けていった。最終的に、同地区には40人ほどが取り残されていたことが分かった。

下青井地区での救助活動中に、渕田さんの携帯が鳴った。知人の女性からだった。「目の不自由な一人暮らしの女性が残っているかもしれない。見に行ってくれないか」。教えてもらった住所へ向かうと、女性は自宅2階にいた。救助後に話を聞いたところ、急に水が来たので1階から2階に逃げたのだという。「水害で逃げ遅れる人はどうしても出てくる。非常時に関係機関と連携を取れる枠組みを構築しなければ」。渕田さんは危機感を覚えた。

「関係機関と連携の取れる枠組みを」と訴える一般社団法人球磨川ラフティング協会の会長・渕田拓巳さん=2021年6月22日
「関係機関と連携の取れる枠組みを」と訴える一般社団法人球磨川ラフティング協会の会長・渕田拓巳さん=2021年6月22日

関係機関との連携を取りやすくするためには、法人格が必要だ。そう考えた渕田さんの行動は早かった。発災2週間後には、加盟業者の代表に話をして、協会の一般社団法人化に向けた準備を始めた。事業再開の見通しが立たない業者も複数あったが、それでも皆賛同してくれた。

そして今年1月、一般社団法人化が実現した。渕田さんは会長に就任。今後、子供や地元の消防団などを対象に、防災力強化にむけた講習を企画する。また、合同水難訓練の実施へ向けて、関係機関に働きかけていくという。

渕田さんは「今回の豪雨災害を通して、関係機関との連携という課題が見えた。行政や警察などの関係機関と連絡を取り合える関係になっておくことが重要だと感じる。いざという時に力になれるよう、常日頃から準備をしておきたい」と力強く語る。

地元誌としてバランスをどうとるか

「人吉・球磨地方といっても面積は広い。被災した地域とそうでない地域がある中、どのように地元誌としてのバランスをとっていくか、悩みながらつくっている」。月刊情報誌「どぅぎゃん」編集部の山本秋水さん(28)はこう口にする。

「誌面配分のバランスが難しい」と話す「どぅぎゃん」編集部の山本秋水さん=2021年6月23日
「誌面配分のバランスが難しい」と話す「どぅぎゃん」編集部の山本秋水さん=2021年6月23日

「どぅぎゃん」の創刊は2000年6月。以来、20年にわたり人吉・球磨地方を見つめ続けてきた。「どぅぎゃん」は「最近どうですか?」「どうしてる?」という意味の熊本弁で、県内で広く使われている。雑誌は毎月20日に発行されており、発行部数は約5000部。主に同地方で販売しているほか、地域外に居住する地元出身者にも愛読されている。

ホームページにはこう書かれている。「どぅぎゃんでは、人吉・球磨地域の人、グルメ、旬の情報話題、文化、歴史などの情報を発信し続けています。この雑誌の主役は、この地域に暮らす地元の皆さんや、出身者の皆さんです」。その説明の通り、読者との距離が近い。有地永遠子編集長も「よく『ネタに困りませんか?』と質問されるが、ここに暮らす人がいる限りネタは尽きないと思う」と話す。

昨年の7月4日の発災当日、山本さんは水が引いたのを見計らい、編集長とともに、編集部事務所から歩いて人吉の中心市街地へと向かった。これまでの取材で出会った人たちの安否が気がかりだったからだ。知り合いらを見つける度に、バックパックに入れたおにぎりやパン、水を配った。

編集部は2020年8月号の発売を約2週間後に控えていたが、それを中止。連日、商店や親しくする読者宅などで泥のかき出しや片づけの手伝いに奔走した。

そして翌9月号、「私たちを襲った豪雨災害」という特集を組み、スタッフらが撮影した被災状況の分かる写真の数々を掲載した。初刷分は完売、増刷分もすぐに売り切れ。反響の大きさに驚いた。

今年6月20日に発売した2021年7・8月合併号は、「あの日から1年」という冒頭企画で始まる。編集部員が人吉市中心部などを歩きまわり、解体中の建物や更地になった場所を一つひとつ地図に落とし込んだレポートもある。半年前にも同様の企画を出したが、当時と比較すると解体済みや解体中の建物が大幅に増えた。

「どぅぎゃん」2021年7・8月合併号の表紙
「どぅぎゃん」2021年7・8月合併号の表紙

「復興が進んでいるということでしょうか」。筆者の問いに山本さんは、「分からない。解体後にまた同じ場所で生活やなりわいを再建するか決めかねている方も多いので、一概に『解体=復興』とは言えないと思う」と語る。

被災した地域とそうでない地域との温度差に悩むこともあったという。復興という言葉とはまだ遠い状況にある人もいれば、被災をまぬがれた地域でいつも通りの生活を送る人もいる。「どういった誌面配分をすべきか。バランスが難しく、毎号悩みながら作ってきた」と話す。

発災前の「どぅぎゃん」は、とにかく明るく楽しい話題を集めた雑誌だった。発災直後、編集部では「まずは1年間、豪雨災害についてしっかり発信しよう」と決めたが、今では新たな共通認識がある。「復興が進むふるさとのことも、復興が進まないふるさとのことも、ずっと伝えていこう」

発災から1年となる7月4日には、特別写真集「豪雨災害の記録」が出版される。

「明るい話題と豪雨災害の紙面配分については答えを出せていないが、その時々の地元の人たちの感情の機微を感じながら、地元に寄り添った紙面づくりを続けていきたい。『主役は地元の皆さん』ですから」(山本さん)

「意識面」での備えこそ最重要

自宅などの再建場所をどうするか。事業者らへの取材を通して、豪雨災害をはじめとする水害からの復興の難しさを改めて感じた。移転しようにも土地は限られている。もちろん、自己負担も生じる。また、国内で「想定外」の水害が多発している現状を鑑みると、救助体制を普段から構築しておくことも重要であると強く感じた。

一方で、今回話を伺った方々のほとんどが、「水害への備え」について言及したことが印象的だった。球磨川ラフティング協会の渕田さんは「取り残されると命の危険が生じる。とにかく早め早めの避難が重要だ」と指摘する。「どぅぎゃん」の山本さんは「どれだけ『我が事』として捉えられるかが重要だ」と強調する。もちろん、非常用持ち出し袋を準備することも大切な備えである。しかし、2人とも水害に対する「意識面」での備えこそが最重要であると訴えている。住民の水害に対する意識をどう変えていくか。この点も大きな課題だと痛感した。筆者も、情報発信を通して、少しでも課題解決に貢献していければと思う。(提供写真を除く写真はすべて筆者撮影)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています】

ライター・元新聞記者

株式会社クマベイス代表取締役CEO/ライター。熊本市出身、熊本市在住。熊本県立水俣高校で常勤講師として勤務した後、産経新聞社に入社。神戸総局、松山支局、大阪本社社会部を経て退職し、コンテンツマーケティングの会社「クマベイス」を創業した。熊本地震発生後は、執筆やイベント出演などを通し、被災地の課題を県内外に発信する。本業のマーケティング分野でもForbes JAPAN Web版、日経クロストレンドで執筆するなど積極的に情報発信しており、単著に『カルトブランディング 顧客を熱狂させる技法』(祥伝社新書)、共著に『マーケティングZEN』(日本経済新聞出版)がある。

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