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「記念日報道」は悪なのか “震災ポルノ”に通底する問題点

田中森士ライター・元新聞記者
地震で崩落した熊本城の石垣(写真:児玉千秋/アフロ)

熊本地震の翌年のことだったろうか。前職の新聞記者時代の知り合いが、ふらりと筆者を訪ねてきた。彼は報道関係者で、熊本地震関連の取材で熊本市内に滞在しているのだという。

彼はコーヒーを飲みつつ、こう口にした。

「俺たちは大きな事件や事故、災害について『○○から○年』のような形で毎年報じている。いわゆる『アニバーサリー・ジャーナリズム(記念日報道)』だよね。でも、取ってつけたように毎年報じるこのやり方には、正直違和感がある。ま、俺も会社から言われてこうやって取材しているわけだけどさ」

その時は「確かに熊本地震のように大きな災害で、全国レベルでは年に1回しか目を向けられないなんて、おかしいよなあ」と思った。

しかし、熊本地震から5年が経った今、仕方がない部分もあると感じるようになった。熊本地震を経験した筆者ですら、当時の記憶が薄れてきており、「発災日」以外に思い出す機会が極端に少ないからだ。事実、2020年に家族と熊本地震について振り返ったのは、4月14日の1日だけだった。

記念日報道とは

そもそも記念日報道とは何か。大阪大学を拠点とするメディア研究機関「Global News View」は、記念日報道について「『重要』だとされている過去の出来事の、何周年を契機に記事を書くこと」と解説している

また、ウィスコンシン大学マディソン校のジャーナリズム倫理センターは、記念日報道が果たす役割について「記憶を呼び覚ますこと」「人々が忘れないようにするため」と説明している

しかし、時として記念日報道には、ネガティブなニュアンスが含まれることもある。例えば磯辺康子氏は論文「長期の復興プロセスにおける報道の意義と課題 阪神・淡路大震災を中心に」の中で、「年月が経つと、その出来事が発生した時期だけに表面的な報道が出る『記念日報道』に終始し、新たな問題の発掘や検証は次第に行われなくなる」と指摘している。

一方で磯辺氏は、長期的に一つの出来事を追い続けることで、新たな課題の発見が必ずといっていいほどあるとも主張し、「長い期間を要する大規模災害の復興過程は特に、時間の経過とともに発生する問題やその後の災害で見えた新たな課題と合わせて検証し続けていくことが求められる。それが、ひいては将来の災害への備えにつながり、復興から防災へのサイクルを生み出していくことになる」と論じている。

表面的な話にとどまっていないか

「朝日新聞あすへの報道審議会」でも、これに近い議論がなされている。少し長いが引用したい。

 東野真和・編集委員 10年前から岩手県の沿岸部を取材しているが、3・11の時期にだけ大きく掲載される「記念日報道」が気になっている。伝えるのが表面的な話にとどまっている時はないだろうか。復興への課題を掘り下げる長期連載「てんでんこ」や、被災者の姿を伝えて3千回を超えた岩手版連載「その時そして」など、平時から情報発信を心がけているが、紙面での震災報道の扱いがこの10年で小さくなりつつあると感じる。

 山之上玲子PE(筆者注:PE=パブリックエディター) 震災について考えてもらう機会を少しでも増やせるならば、年1回であっても節目をとらえ、手厚く報じることも意味があると思う。

 小松理虔PE 福島県いわき市に暮らしている。地元の立場からみて、記念日報道はどんどんやってほしい。当事者ゆえに日常となってしまって忘れることもあり、基本に立ち返る視点が必要だ。

この記事の内容に、筆者は同意する。年月が経てば新たな課題を掘り起こすことが難しくなり、年中報道することも難しくなる。こうした状況下においては、たとえ年1回であっても報じることに意義がある。

ただし、磯辺氏や東野氏が指摘するように「表面的な報道」には違和感を禁じ得ない。年に1回報道することが問題というよりも、たまにしか報道するタイミングがないことで、「キャッチ―かつ表面的な記事」になりがちな点が問題と感じる。これはもしかしたら新型コロナ関連の報道にも同じことがいえるのかもしれない。

研究者が警鐘を鳴らす“震災ポルノ”

この原稿をここまで書いて、熊本大名誉教授(農村社会学)の徳野貞雄氏が警鐘を鳴らす“震災ポルノ”を思い出した。徳野氏は“震災ポルノ”を「目に見える感動しやすい部分を、安易に取材して記事化したものを指す。報じたとしても、課題が解決されることはない」と定義している。

熊本大名誉教授(農村社会学)の徳野貞雄氏=2017年4月(筆者撮影)
熊本大名誉教授(農村社会学)の徳野貞雄氏=2017年4月(筆者撮影)

以前、筆者の取材に徳野氏は「マスコミは“震災ポルノ”ではなく、目に見えにくい潜在化した課題について、しっかり報じるべきだ」と訴えていた。

今後発生が予測されている巨大地震に備えるためにも、一歩進んで「課題を掘り起こし、解決につなげ、災害に強い社会をつくっていくための報道」を期待したい。たとえ年1回であっても。

<参考記事・文献>

報道の歴史に残されない世界の出来事?(Global News View)

REWRITING HISTORY: ANNIVERSARY STORIES, SHARED MEMORY AND MINORITY VOICES(CENTER FOR JOURNALISM ETHICS)

学会誌「復興」第11号 長期の復興プロセスにおける報道の意義と課題 阪神・淡路大震災を中心に 磯辺康子

「届く」震災報道とは 朝日新聞あすへの報道審議会 2021年2月9日(朝日新聞デジタル)

【熊本地震】「“震災ポルノ”ではなく潜在的課題を報じて」 農村社会学者が感じた震災報道の “違和感”(田中森士)

ライター・元新聞記者

株式会社クマベイス代表取締役CEO/ライター。熊本市出身、熊本市在住。熊本県立水俣高校で常勤講師として勤務した後、産経新聞社に入社。神戸総局、松山支局、大阪本社社会部を経て退職し、コンテンツマーケティングの会社「クマベイス」を創業した。熊本地震発生後は、執筆やイベント出演などを通し、被災地の課題を県内外に発信する。本業のマーケティング分野でもForbes JAPAN Web版、日経クロストレンドで執筆するなど積極的に情報発信しており、単著に『カルトブランディング 顧客を熱狂させる技法』(祥伝社新書)、共著に『マーケティングZEN』(日本経済新聞出版)がある。

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