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世界遺産になろうとする古墳群に森は繁っているべきか

田中淳夫森林ジャーナリスト
今では古墳の多くが、樹木に覆われているが(箸墓古墳)(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

 大阪府堺市の百舌鳥・古市古墳群が、世界文化遺産に登録されることがほぼ決定した。

 おかげで改めて古墳に注目が集まっているが、今目にする前方後円墳の風景は、こんもりしたふたこぶの山に樹木がいっぱい繁った姿。回りが住宅地などになっている地域では、古墳こそ緑地となっている。その多くにシイ・カシなど照葉樹が生えていて、これこそ人が手を加えていない潜在植生だとされている。実は我が家の近隣にも古墳はたくさんあるのだが、いずれも回りは樹木が繁り、むしろ石室が森の奥に隠されている風情だ。

巨大古墳は石に覆われていた

 ただ、少しずつ知られるようになったが、これらの巨大古墳が造成された当初は、土盛りの上に石を敷きつめた状態で、草木は生えていなかった。そして埴輪などが並べられていたようだ。その見た目は、ピラミッドやインカの遺跡のように石の建造物だったのだろう。だから近年復原される古墳の姿は、葺き石で覆われた石造物の姿にされるものが多い。

 一方で、最初から土積みだけの古墳もあったようだ。

 では、いつの頃から草木が生えて森になったのだろうか。

 普通に考えると、古墳は禁足地であり、人が入れないから徐々に草木が繁っていったように思う。種子は風に乗って飛んできたり、鳥が運んだのだろう……と。表面が土の古墳なら、早くから草木が生えてもおかしくない。人が手を加えず自然に生えて繁ったのだから、これこそ潜在自然植生だと唱える人もいる。

 実際、東京の明治神宮の森を造成する際、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を見本にしたという話が伝わる。計画を練った上原敬二が特別に御陵を視察して、太古の昔から人が触れずに成立した森の姿こそ「神社境内林の理想」としたそうである。

 もっとも少し調べると、大仙陵古墳では幕末頃に植林する運動が起こり、墳丘の上には多くの木々が植えられた記録がある。また一般人の立ち入りを禁じたという。どうやら以前はハゲ山だったらしい。明治神宮の建設計画が進んだ時代からすると、上原の見た森は、植樹されてせいぜい50~60年ではないか。「太古の昔から」というのはちょっと大袈裟なようだ。

 さらに各地の古墳で、積極的に木を植えたと思われるところが少なくない。

明治に植林された箸墓古墳

 邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかと言われる奈良の箸墓古墳も、今はこんもり木が繁っているが、1876年(明治9年)に撮影された写真にはほとんど草木の生えていない様子が写っている。おかげで本来の墳丘の形がよくわかる。こちらは明治20年代に植樹されたらしい。ほかにも明治時代に植樹したり立入禁止にした陵墓は少なくないようだ。

 そういえば、城郭考古学者の千田嘉博氏は、航空レーザー測量された古市古墳群の岡ミサンザイ古墳などのデータを分析して、前方後円墳の地形が改変されていることに気づき、城砦として使われていた可能性を指摘した。そして大坂夏の陣で使われた第二の「真田丸」ではないか、と推測する。それもロマンのある話なのだが、ようは古墳だからと言って、必ずしも尊ばれ禁足地になっていたわけではないことがうかがえる。

 事実、全国にある数万の古墳では、一部を田畑などに削られたり、民家が建てられているケースが目立つ。古墳であることを忘れられているところも多い。天皇陵自体、明治になって指定されたところが多いのだが、それまでは守られていたわけではないのだ。

神社に鎮守の森はなかった?

 これは古墳だけの話ではない。近年の研究で、神社の森つまり鎮守の森そのものが、決して古来より神聖な地として守られてきたわけではないことがわかってきた。

 むしろ戦前までは、鎮守の森で木材のほか燃料や堆肥にするための落葉落枝を採取するのが当たり前だった。神社側が、マツタケの採取権を村民に販売した記録が残っているところもある。一方で、将来の本殿などの改築に備えて、スギやヒノキを植林したことを示す文書もあるそうだ。

 実際、古い絵図などに残る神社の風景は、樹木が少ないものが一般的だ。伊勢の神宮でさえ、宮域林は薪採取のためほとんどはげ山だった。

 かつて木材は単なる資材でなく、日頃の煮炊きや暖房などに使うエネルギー源だったし、さらに草も肥料として貴重だった。それらを得られるところなら古墳であろうが神社であろうが、大いに利用したのだろう。また冬に山焼きをした記録の残る古墳もあるが、これは草を生やすためだろう。

多くが戦後生まれの「神聖な森」

 結局、天皇陵以外の古墳が緑に覆われ、神社に鎮守の森が十分に復活したのは、化石燃料が普及した戦後になってからではないか。天皇陵でも明治以後に禁足地になったところが大半とすると、せいぜい150年しか経っていない。そうした森を「聖なる森」として考えるようになったのは近年のことかもしれない。神社の鎮守の森も似たようなものだろう。

 その一方で、戦後は文化財となった古墳などが、管理の一環で草木を伐採することは随時行われてきた。決して手つかずだったわけではないようだ。

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向け、かつての古墳の姿を取り戻そうと墳丘に生えた木や竹を伐採する動きがある。一方でそれを自然破壊と反対する声も上がっている。

 どちらを「本来の姿」とすべきかは人それぞれとしても、まずは古墳の植生の歴史をよく知ってから考えてもよいのではないか。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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