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縄文人はくしゃみをしたか? 当時のスギ花粉量は現代と一緒だった 

田中淳夫森林ジャーナリスト
青森の縄文時代集落・三内丸山遺跡。ここでもくしゃみは響いたか?(筆者撮影)

おもしろい論文を見つけた。琵琶湖博物館の林竜馬さんほかの方々が執筆した「'''琵琶湖湖底堆積物に記録された過去100年間のスギ花粉年間堆積量の変化''' 」である。発表されたのは 2012年らしい。

 タイトルどおり、琵琶湖の湖底の泥を年代別に分析することで、過去100年間のスギ花粉の量を調べたものだ。やはりスギ花粉は、1900年以降から徐々に増え始め、とくに戦後は激増していた。そして1990年代には1900年以前の約10倍に達している。

 これは戦後大規模なスギの植林が行われ、それらの木々が花粉を多く飛散し始めた年代(樹齢31年以上としている)と符合する。やはり現在の花粉症の発症はスギ植林が増えたことと関係が深いことを示している。

 ただ、私が「面白い」と感じたのは、そこではない。論文要旨にさりげなく?触れられていた「琵琶湖堆積物の花粉分析結果を基にした地史的なスギ花粉年間堆積量との比較から、1980年代以降に増加したスギ花粉飛散量と同程度の飛散は3000~2000年前頃ならびに最終間氷期の後半においても認められた」とある文言だ。

 これを言い換えると、「現代のスギ花粉の飛散量は、縄文時代の飛散量とさほど変わらない」と指摘しているのだ。

 縄文時代の花粉量が、花粉症に悩まされている現代とほとんど変わらなかったというのは何を意味しているのか。

 縄文時代もスギは大量に生えていたのか?

 日本(とくに近畿圏)の植生を調べると、数万年前から数千年前にかけての森林の植生は、広葉樹と針葉樹が混交していたと思われる。そして針葉樹の中ではスギは優勢だったらしい。おそらく当時の天然林に、スギが非常に多かったはず。森林面積も今と同じくらいか少し多かったと想像されるので、かなりのスギが生えていたのだろう。

 もちろんそのスギは天然生であり、人が植えた現代のスギ林とは全然違う。

スギ花粉は小さくて飛散しやすい。
スギ花粉は小さくて飛散しやすい。

 その後、近畿地方では、古墳時代から中世にかけて都が開かれ、寺院や宮殿など巨大な木造建築が多く建てられた。その資材としてヒノキはもちろんスギもどんどん伐られた。そして天然生のスギやヒノキはほとんど消えていったのだろう。

 巨大建築物の材料を調べた記録によると、最初はヒノキ、次にスギ、そしてケヤキなどが使われている。江戸中期になるとそれら天然生の木々が底をつき植林が始まるのだが、そこで選ばれた樹種はまずスギであった。ただ木材不足の時代であり、育てばすぐに伐られる状態だったようだ。

 だから明治時代のスギやヒノキは若いうえ数もさほど多くなく、スギ花粉もそんなに飛散していなかったと思われる。それが花粉症が目立たなかった理由かもしれない。

 ではスギが林立し、スギ花粉の飛散が多かった縄文時代を生きた人は、花粉症に悩まされていたのだろうか。

 涙目にくしゃみを連発し鼻水を垂らす縄文人を想像するのはそれなりに面白いが、それを証明できる証拠はなさそうだ。

 そこで縄文人がどの程度花粉症になったかを考察してみる。

 まず縄文人の平均寿命は15歳に満たなかったという推測がある。長くても30歳を超えるのは稀だったようだ。一方で花粉症を発症する年齢は、近年は低年齢化が進んでいるが、一定期間スギ花粉に触れてから発症するケースが多いから、縄文人の場合はその前に亡くなっている可能性も高まる。

 それに体内に寄生虫がいると、花粉症を発症しづらいという説もある。免疫学からの指摘だが、縄文人の大半に寄生虫がいたと思われるから、その説を信じれば花粉症になりにくかったのではないか。

 またスギやヒノキの花粉は、非常に小さいゆえに遠くまで飛ぶが、地面に落ちると土に吸着されやすい。しかし現代の都会ではコンクリートやアスファルトで舗装されているところが多く、一度は地面に落ちた花粉も風に吹かれると再び舞い上がってしまう。これが都市部で花粉の量以上に罹患率を増やすと言われている。しかし、縄文時代にそんな心配はないだろう。また混交林だから花粉を飛ばしても周辺の広葉樹に遮られる確率も高かったかもしれない。

(花粉症の発症原因は、いずれも仮説。反論もある)

 ……などと考えてみると、どうやら縄文人はあまりくしゃみをしなかったのではないか。風邪引きによる場合はわからないが。

 では、昔と同程度の花粉飛散量である現代に花粉症に悩む人が増えたのはなぜか。単に森林側の問題だけではなく、花粉に過敏に反応する人間の身体や大地の状況を大きく変えてしまった社会にも原因があるような気がする。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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