Yahoo!ニュース

山ガールこそ、自然と正直に向き合っているのかも

田中淳夫森林ジャーナリスト
森より山ガールに目を奪われる?(写真:アフロ)

昨今は、登山ブームと言われている。その担い手は主に女性と中高年だが、とくにファッショナブルな服装やアウトドア・グッズを身にまとった若い女性は、「山ガール」と呼ばれる。

私も、最近は山でカラフルなファッションの女性を目にすることが増えた。この連休も、身近な低山で「山ガール」を多く見かけた。年齢・性別に関係なく見た目にもこだわった登山者が普通になってきたのだろう。

ところで久しぶりに会った女性が、今夏、八ヶ岳に登った話を聞かせてくれた。

彼女は、かつて国の内外のアブナイところをヒッチハイクで旅する硬派のバックパッカーだったが、今回はちゃんと山スカをはいて、カラフルなウェアの山ガール・ファッションに身を包んだそうだ。

彼女が最初にたどり着いたのは、登山口になっている麓の赤石鉱泉。そこには山ガールが驚くほど集結しており、闊歩していたそうだ。おそらく全国から名峰・八ヶ岳をめざして集まってきたのだろう。ある意味、山ガールのメッカ。「山ガール見たけりゃ、赤石温泉がいいですよ」とオススメされた。

ところが登り始めると、どんどん数が減り、頂上につく頃は山ガールの姿は消えていた。山ガールはそこまで登らないのだ。

「きっと山ガールは、森林限界を超えられないんですよ」

名言だ(笑)。

森林限界とは、気温等の関係で高木が育たなくなる標高の線をいう。日本の中部山岳地帯なら、2500メートル前後だろう。それ以上は高山帯となり、ハイマツのような背丈の低い木や高山植物、そして岩の世界となる。当然、そこまで登るには体力・気力もいるし、危険も増える。山ガールに多い登山の初心者は、ここまでたどり着こうと思わないのかもしれない。

実際、山ガールの多くは、頂上を目指さない。登れないのか、登らないのかわからないが、少なくても無理はしない。

こうした状況に対して、山ガールはチャラチャラした格好だけ、山の知識も体力もないのに危険、実際の登山をなめている、等々の批判めいた声は少なくない。なかには「山ガール」という言葉自体に侮蔑的なニュアンスを含めて発する人もいる。

だが、思うのだ。山ガールこそ、本当の自然に親しむ姿ではないか? 

そもそも登山が頂上や連山の縦走を目的とするもの、という決めつけが古いように思う。今はもっと自由に自然の中を歩くスタイルが主流になっているのではないか。

登山とは決まった目的地まで進むことだけが自然の中の過ごし方ではあるまい。今はもっと自由に歩く道であるトレイルやフットパスが各地に誕生している。いや世界的には、こちらが主流だ。その中のとくに森林部分を好んで歩けば、森林散策、森林ウォークを楽しむことになる。それを森林浴とか森林セラピーと呼ぶ人もいる。

明確な目的地はなく、森林(自然)内を歩く(ほとんど歩かず、佇むだけのケースもある)ことを目的とする、そして満足する。定まった遊歩ルートを進まなくても、同じ道をもどってもよい。途中でエスケープしてコースを外れることだってあり。体力に応じて選べるのだ。行き先も森林地帯ばかりではなく、高原や湖、川、そして海に沿ったルートもある。ようは自然の中に入ることが目的なのである。

振り返ると、私もかつては頂上をめざしていた。可能なら未踏峰に登りたかったし、それが叶わぬなら、せめて未知のルート(ヴァリエーション・ルート)で登りたかった。目指すのは頂ばかりではなく、未知の空間である。未踏峰がないならと、地下の未知の世界を求めて洞窟もぐりに熱中したり、奥深い熱帯のジャングルに分け入った。ときには未知動物探しに挑戦したこともある。垂直方向の未知の世界・大木の樹上空間をめざした時期もあった。ときに政治・社会的に閉鎖された地域や戦場なども未知に含めもした。一時期は、そんな未知をめざし危ない地域に踏み込むこともあった。

そのうち未知と言っても誰にとって未知か、人類的な未知空間にこだわらなくても、自分にとって未知ならよいではないか、と思い出した。ある意味、肩の力を抜いて、本当に自分が欲する活動こそ、やるべきという当たり前の結論に落ち着いたのだ。

それが進むと身近な裏山でも、道のないところを分け入って登るのを楽しむようになった。道はなくても未知はある……と駄洒落を言いながら。

ただし虫に刺されたり、泥にまみれることが好きなわけではない。あえて危険を求める必要もない。夜は寝苦しいテントに泊まるのがルールではないはずだ。泊まるのは温泉旅館、リゾートホテルの方が心地よい。どうせなら快適に行動したい。何を無理しているのだろう、と思えるようになった。姿だって、どうせならスタイリッシュでオシャレな方がいい。最近は機能にファッション性を加えたアウトドア用衣料やグッズも増えている。それらをことさら拒否する必要はなかろう。

ここで改めて考えた。なぜ自分は山登りを始めたのか。最初から頂上が目的地ではなかったはずだ。やはり自然の中に溶け込みたかったのだろう。都会の人ごみよりは森の動植物に触れることを求めていた。そして見知らぬ世界に出会いたかったのである。

そう考えると、森林限界を越えない山ガールこそ、もっとも自分に素直に向き合っている自然愛好家ではないだろうか。。。と思える。自らの実力を見極めたら、無理に頂上をめざさない方が適切だろう。楽しめるところに滞在するだけでよい。

そのうち山の知識も体力も身について、より高みをめざすようになるかもしれない。一度頂きに立つと病みつきになって、全国の山々を踏破したくなるかもしれない。事実、そんな山ガール進化形も少しずつ増えている。あるいは、よりアウトドア・ファッションに目覚めて?山より海や川に移っていくこともあるだろう。ときにファッションだけに落ち着くかもしれないが……。

山ガール(ガールと言っても、若い女性でなくても、さらには男であってもいいが)は、ステロタイプな目的(地)に縛られず、自由なスタイルでほしい。かつて自分が「未知」にこだわって無茶していたことを振り返ると、彼女らの自由さや力の抜け具合が羨ましくもある。

……ま、こんな風に山ガールを認めるようなことを書くと、山ガールと仲良くなりたくてヨイショするのか、と思われるかもしれないが、それもある(笑)。もっとも山で出会っても、上手く仲良くなる自信はない。自分のダサい服装を恥じて、多分顔を伏せて通りすぎたり、木陰に隠れたり、進行方向を変えたりするだろうなあ。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

田中淳夫の最近の記事