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国有林の特別会計の廃止は何をもたらすか

田中淳夫森林ジャーナリスト
木曽の国有林の皆伐地(1960年代)

あまり話題にならなかったが、今年4月より、国有林野事業特別会計は廃止された。国有林経営は特別会計で行われていたが、それを一般会計に組み込むことになったということだ。これは、現在の特別会計が抱える累積債務1兆3000億円を国が肩代わりすることを意味する。

もともと林野事業は赤字続きで、1998年には累積債務が3兆8000億円に達していた。そこで政府はそのうち2兆8000億円を一般会計に移し、残りの1兆円を2048年度までに返済する改革案を通した。また公益林の管理経費も一般会計で受け持つようにしていた。その代わりに伐採や造林作業の完全民間委託や大規模な人員整理などを進めた。その後も独立行政法人化など制度改革が模索されたが、民主党政権時代の2012年4月に全面的な一般会計化が決まったのである。今回の廃止は、それが施行されたわけだ。

それにしても、これほど巨額の赤字を国が直接背負いこむことになったのに世間の関心は低い。むしろ歓迎する声さえある。これで国有林の破壊は止まる、と。つまり、これまで赤字を埋めるために林野庁は無理な伐採をしてきたから、一般会計化によって赤字の心配をしなくて済むと感じているのだ。その裏に、森林のためなら借金を背負ってもかまわないという気持ちがあるとしたら、なんと優しい国民だろう。それほど日本人は森が好きなのか……。

だが、ことはそれほど単純ではない。

そもそも国有林野事業特別会計は、1947年、林野庁の発足とほぼ同時に誕生している。そこには山から得られた金は山に返すべきという意図があったようだ。戦前戦中の乱伐で荒れていた山の回復と、持続的に維持利用することが求められたのだ。やがて戦後の復興と高度経済成長の始まりの中、木材不足が危機的状態になり、国有林の増伐圧力が増した。結果的に大増産が行われたのだが、当時の高い材価から特別会計は潤った。一般会計への繰越も行われたくらいである。

だが1970年代に入ると、外材の解禁や資源の枯渇が進む一方で、増伐の間に肥大化した組織の維持に支出が増えて赤字に転落していくのである。そして今日の事態を迎えた。それは、何をもたらすのだろうか。

林野庁内からは、一般会計化によって職員の給与体系が変わり、それで給与が増えた減ったと一喜一憂する声が伝わるが、国民の一人としては、森林経営にどんな影響がもたらされるかの方が心配である。

たしかに目先の赤字を減らすために貴重な天然林を伐採したり無茶な施業をすることがなくなるのは喜ばしい。だが、本来の意義であった長期的な視点で国有林を経営する可能性が弱まった気がする。

長期的な目を求められる森林経営だが、一般会計だと単年度刻みの計画になったり、短期間で成果を出すことを求められる心配はないだろうか。主体的な経営意識が希薄になったり、赤字を気にしないで済むと放漫経営に陥っても困る。

とくに現在は、林地の集約化が求められ、大きな単位で森林を経営することが重要になっている。しかし、民有林では所有者の思惑が交錯してなかなか集約が進まないのが実情だ。結果的に小さな林地でバラバラの施業が行われるため効率も上がらないし、流域全体の統一性が生まれない。私などは、国有林という大きな森林単位が周辺の小規模民有林を巻き込んだ形で経営することを期待していたのだが、今回の一般会計化で道は遠のいただろう。

残念ながら日本の林業界には、地域でリーダーシップを発揮する事業体が少ない。自治体も民間も牽引力がなくバラバラである。わずかに指導的役割を果たせる可能性のあった国有林も、主体性を失っていくのだろうか。いよいよ経営の顔が見えなくなりそうである。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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