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ゲノム編集ベビーの賀建奎博士に懲役3年の実刑判決 では、日本で起きたら?

詫摩雅子科学ライター&科学編集者
香港での国際ヒトゲノム編集会議で遺伝子改変した双生児を得たと発表した賀建奎氏(写真:ロイター/アフロ)

「カップルと赤ちゃんにとって医学的な必要性は何だったのか?」

「専門家としての責任は?」

2018年11月28日午後、香港大学の大講堂。ゲノム編集という遺伝子を改変する技術をヒトに使うことの是非を議論する国際会議の場で、中国広東省深セン市にある方科技大学副教授(当時)の賀建奎氏は、ゲノム編集技術を施した双子の女の子を得たと発表した。質疑応答の時間になって、真っ先に問われたのが冒頭の質問だった。この問いの真意は、賀氏のした処置がいかに医療倫理から外れたものであったかを示している。これについては後ほど詳述したい。

2019年ももう終わりという12月30日、報道によれば(文末参照)中国国営の新華社通信は、この件に関する続報を伝えてきた。賀氏への法的制裁だ。深セン市の裁判所は、賀氏に対して懲役3年の実刑、罰金300万人民元(4700万円相当)の判決を下したという。彼だけでなく、ほかの2人も有罪の判決を受けている。

賀氏は香港での国際会議のあと、広東省当局の調査を受けていた。その予備調査の結果は2カ月近くたった2019年1月21日に新華社通信を通して発表され、ゲノム編集ベビーは本当に誕生していたことが伝えられた。南方科技大学は同日付で賀氏を解雇している。その後、中国からはこの件に関する続報はなく、賀氏の消息もわからなかった。1年近くたったこの年末に、裁判所の判断が発表されたことになる。

直後の関心は「何をしたか」よりも「法はあるか」

筆者は、賀氏が問題の発表をした香港での国際会議にたまたま参加していた。開催前日(11月26日)にネットで「ゲノム編集ベビー誕生」のニュースが流れたこともあり、初日からこの話題で持ちきりだった。この時点で会議参加者がもっとも多く口にしていたのは「本当にしたのか?」だったろう。次に多かったのは筆者が耳にした限りでは「具体的に何をしたのか?」などではなく「中国に遺伝子改変した赤ちゃんづくりを禁止する法律はあるか?」だった。

具体的にどの遺伝子をどう改変し、改変の成否をどうやって確認したかといった内容ではなく、法律や規制の有無に関心が向いていたことに、実を言うと筆者は軽い驚きを感じていた。後で思えば、賀氏が同様のことを続けるのを止めさせたり、すでにした行為に対して処罰する法的根拠があるかどうかを参加者は気にしていたのだろう。

2018年の香港での国際会議は、ゲノム編集をヒトに適用することを議論する2回目の会議で、初回は2015年に行われている。その第1回の会議ではヒト受精卵への臨床応用は「次世代に対して無責任」として、実施しないことを求める声明を出していた。第1回の会議には米国科学アカデミー、英国王立協会とともに中国科学院も呼びかけ人として名を連ねていた。賀氏はこれら3カ国が主導して出した声明を真っ向から破ったことになる。とはいえ、この声明に拘束力はない。賀氏を止めたり処罰するには、中国でのルールが必要だった。

医学的必要性のある処置ではない

賀建奎氏は、男性がHIV感染者で女性は非感染のカップルを募り、彼らの子どもがHIVに感染することがないように、遺伝子を操作した。具体的には、ウイルスが免疫細胞に関するときに足場として使う細胞のタンパク質ができなくなるように、その遺伝子を機能不全にしようとしたのだ。

これは何度でも繰り返し書いておきたいが、HIV感染者の父親から生まれてくる赤ちゃんへと感染が広がるのを防ぐ方法はすでに確立している。香港で賀氏の講演を聴いた直後に、日本の生殖補助医療のパイオニアである慶應義塾大学名誉教授の吉村泰典氏に聞いたところ、確立した方法を使い「私たちはすでに200人の子どもを誕生させてきた。1人の感染もない」と力強く語った。さらに、同居家族が感染者であっても、歯ブラシやカミソリ、ピアスの共有をしないなど、簡単な注意でHIV感染は防げる。

「HIVに感染しない」と言えば聞こえは良いかもしれないが、生まれてくる赤ちゃんの遺伝子を受精卵の段階で改変するような、安全性も有効性も確認されていない、リスクのある手法をとらなくても、感染は防げるのだ。

この記事の冒頭に書いた「カップルと赤ちゃんにとっても医学的必要性は?」というハーバード大学のデビッド・リウ教授からの質問に、賀氏は返答しているが、それは説得力のあるものではなかった。

有効性を確認できない

賀氏の行為を百歩譲って医学的な研究と見なしたとしても、それでも大きな問題がある。有効性の確認ができないからだ。遺伝子がどうなったか、HIVが感染の足場とするタンパク質がなくなっているかどうかを確認することはできる。しかし、臨床で大事なのはそれが本当に効果があるかどうかだ。この場合は、HIVに感染しないかどうかだ。だが、それは確かめようがない。

これが、深刻な遺伝性疾患の“治療”を狙ったものであれば、生まれてきた赤ちゃんにその症状が現れるかどうかで有効性を見きわめることができる。だが、賀氏のケースでは、赤ちゃんがHIVに感染しないかどうかとなる。それは確かめようがない。

動物実験であれば、ウイルスに意図的にさらすことも医学研究の名の下、許されるかもしれない。しかし、赤ちゃんに対してそれを行うことは許されるはずもない。結局、賀氏のしたことは、有効性は確認のしようがない処置なのだ。

安全性はどこまで?

賀氏は双子の赤ちゃんが「ノーマルに、ヘルシーに」生まれたと話した。これを信じるとしても、それは誕生時の話だ。安全性に関しては、そもそも評価方法さえまだ定まっていない。香港での質疑応答の時にも「どうやって、経過を観察するのか。どのくらいの長期で行うのか」といった質問が出ていた。親はそうした長期の経過観察に同意していたとしても、本人が嫌がった場合はどうなるのだろう?

実は“成功”さえしていない

有効性の確認ができないと書いたが、賀氏の遺伝子改変の試みはそもそも成功していない。香港での賀氏の発表によると、ルル、ナナという愛称が付けられた2人のうち、ルルには意図していない箇所での遺伝子の改変が起きていた。ナナは“成功”という意味ではさらにひどく、2つある遺伝子コピーのうち、1つはまったく改変できていない。この場合、ウイルスが感染の足場に使うタンパク質は作られる。つまり、賀氏の目的としていた「遺伝子改変によってHIVに感染しないようにする」という状態になっていない。これらのことは、女性の胎内に戻す前に行った遺伝子解析でわかっていたことだ。

賀氏の説明によれば、ルルとナナになった胚のこうした状態を説明された上で、女性は子宮への移植を望んだので、それをしたという。冒頭で紹介した「専門家としての責任は?」という詰問は、この行為に対してだった。

妊娠してからの遺伝子検査で、ルルは身体のすべての細胞で一様に遺伝子改変ができたわけではなく、遺伝子改変ができていない細胞も含む「モザイク」という状態になっていることも示唆された。「モザイク」は技術的な課題として、よく知られているリスクだ。

カップルに対しては、リスクの説明とそれに基づいた同意(インフォームドコンセント)や倫理審査などが適切に行われていたのかどうかも、香港での発表のときには大いに質問されていた。そのたびに「適切だった」というような返答があったが、後にこれも疑わしいという話になっていく。

では、日本ではどうか?

ヒトの受精卵にゲノム編集を施して赤ちゃんを得れば、その影響はその子だけでなく、将来の世代にも伝わっていく。ヒト受精卵へのゲノム編集に関しては「人間が手を出して良い範囲を超えているのではないか」といった生命倫理的な懸念があるが、賀建奎氏の行った行為はそうしたハイレベルな話題ではなく、もっとデタラメなものであったことがわかるだろう。

中国の裁判所は彼に実刑判決を下したが、日本で同じことが起きたらどうなっただろう? 内外のあらゆる学会から非難されることは、まず間違いないだろう。実施者は公的な研究資金を得られなくなる可能性も高い。賀氏のようにインフォームドコンセントや倫理審査への書類にごまかしがあれば、それで処分することはできるだろう。だが、ヒト受精卵へのゲノム編集をしたことに対して処罰を受けさせることは現時点では難しいはずだ。根拠となる法律がないからだ。

クローン人間づくりを罰則付きで禁止する法律はあるが、ゲノム編集などの操作をしたヒト胚に関しては、女性の胎内に移植することを指針で禁じているだけだ。法律ではない。

この問題のルールをどうするかは、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)生命倫理専門調査会などで議論されている。メンバーである国立成育医療研究センターの阿久津英憲氏は「ゲノム編集自体は技術的には簡単な上に安価でできる。(ヒト受精卵へのゲノム編集の実施は)小さな不妊治療クリニックでも十分に可能」と話す。ただし「狙い通りにできたことを確認するのは非常に難しく、お金もかかる」として、賀氏のような暴走する者が出ることを案じている。

生命倫理専門調査会は法的に拘束力のある規制を作る方向で動いてはいたが、法案を2020年の通常国会に提出するのは時間切れになりそうで、見送る見込みが高いとされている(日経新聞12月18日「受精卵ゲノム編集」規制法、来年の通常国会提出見送りへ)。

賀建奎氏への処罰を報じたサイト(一部)

中国国営の新華社通信のネット版(筆者は中国語が読めないので、Google翻訳に頼った)

http://www.xinhuanet.com/2019-12/30/c_1125403802.htm

香港に本社のある英語メディアSouth China Morning Post

China’s gene-editing ‘Frankenstein’ jailed for three years in modified baby case

日本のNHKや時事通信を含め、各国もこのニュースを伝えている。

NHK「中国 ゲノム編集の研究者に懲役3年の判決

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191230/k10012232411000.html

時事通信「ゲノム編集の元副教授に懲役3年 営利目的、赤ちゃん3人誕生 中国

イギリスのガーディアン

He Jiankui, Chinese scientist who edited babies' genes, jailed for three years

アメリカのCNN

Chinese scientist who edited genes of twin babies is jailed for 3 yearsHe Jiankui, Chinese scientist who edited babies' genes, jailed for three years

科学ライター&科学編集者

日本経済新聞の科学技術部記者を経て、日経サイエンス編集部へ。編集者& 記者として20年近く同誌に。2011年春より東京お台場にある科学館へ。2014年に古巣の日経サイエンスに寄稿した一連のSTAP細胞に関する記事で、共著の古田彩氏とともに日本医学ジャーナリスト協会の2015年の大賞(新聞・雑誌部門)を受賞。「のんびり過ごしたい」と思いつつも、ワーカーホリックを自認。アマミノクロウサギが好きです。

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