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緊急事態宣言の解除

竹中治堅政策研究大学院大学教授
緊急事態宣言の解除を説明する安倍晋三首相(写真:松尾/アフロ)

はじめに

 「ガイドラインを完全に守って行動したとしても、感染リスクをゼロにはできない。試行錯誤も覚悟しなければなりません。感染を抑えながら、完全なる日常を取り戻していくための道のりは、かなりの時間を要することになります。」

 5月25日18時から官邸2階の大ホールで安倍晋三首相は記者会見を始め、緊急事態の解除することを表明する。その中で、解除以降も、感染リスクと共存しなくてはならないことを率直に認めた。その後、19時15分から首相は新型コロナウイルス感染症政府対策本部を開き、緊急事態の終了を宣言する。こうして北海道、東京、神奈川、埼玉、千葉4都県においても緊急事態が解除される。

 4月7日に首相は緊急事態宣言を発し、5月4日には期限の延長を決断した。この記事では5月4日に宣言の期間を延長してから、25日に解除するまでの経緯を振り返る。

 5月4日から25日の間、検察庁法改正案への批判が高まり、黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀問題が起きる中、緊急事態の解除を段階的におこなっていく。また、この間、吉村洋文大阪府知事や小池百合子東京都知事は休業要請について独自の解除基準を示す。特に吉村知事は国に先行して解除基準を提示する。

「大阪モデル」の提示

 緊急事態宣言の延長が決まった翌5月5日、大阪府の吉村知事は休業要請など「さまざまな自粛」を数値基準に基づいて解除する「出口戦略」を策定したことを発表する(The PAGE 5月5日配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/31d7b03fc6ee8eb306e39494f2b674cca58e0fd3)。この日、大阪府は第15回新型コロナウィルス対策本部会議を開き、解除するための基準を決定する。具体的には新規陽性者のうち感染経路不明者が7日間移動平均で10人未満、陽性率が7日間移動平均で7%未満、重症病床使用率60%未満という条件を1週間連続で満たすことであった。吉村知事はこの基準に基づいて段階的に休業要請などを緩和していく方針を示す。

感染者の低下

 1日に発生する新規感染者の数は4月12日をピーク(厚生労働省発表では714人)に低下を続けていた。その後も全般的傾向としては減少を続け、厚生労働省の発表する感染者の数としては5月7日以降、厚生労働省の発表する検査陽性者総数の前日との差分としては5月15日以降、新規感染者は100以下となる。

 こうした傾向を踏まえて、安倍首相は5月14日に新型コロナウィルス感染症対策本部を開き、特定警戒地域以外の39県と特定警戒地域のうち茨城、愛知、岐阜、石川、福岡の5県を宣言の対象地域から除くことを決定する。

 また、対策本部は、基本的対処方針を改定し、解除基準を提示する。基準として三つの要素を示す。感染状況、医療提供体制、監視体制を挙げ、三要素などを含めて総合的に判断すると説明している。感染状況として重視するのは直近1週間の累積報告数が10万人あたり0.5人程度であることである。1人程度の場合はクラスターや院内感染の発生状況も含めて総合的に判断することを定めている。医療提供体制として、重症者数が継続的に減っていること、監視体制として、PCR検査などが遅滞なく行える体制が整備されていることを挙げている。

 また大阪府の感染状況は14日に大阪モデルの基準を満たす。これに伴って、この日、大阪府の吉村知事は映画館、デパート、大学などに対する休業要請を緩和する(『読売新聞』2020年5月15日)。飲食店も要請する終業時間を20時から22時までに延長する。

検察庁法改正案

 感染症に対処する一方で、首相は国家公務員定年延長関連法案を成立させようとする。だが、その中に盛り込まれた検察庁法改正案が世論の強い批判を浴び、首相は苦しい立場に立たされる。

 そもそもの発端は国家公務員の定年延長が政策課題となったことである。国家公務員の60歳定年制は1985年3月末から導入されていた。その後、2000年に年金制度改革が行われ、厚生年金や国家公務員共済などの報酬比例部分の支給年齢が2013年から2025年にかけて60歳から65歳まで引き上げられることが決まる。安倍内閣は2013年3月に定年を迎えた国家公務員が報酬比例部分の年金が受給できなくなることへの対策として、退職者が希望すれば年金支給開始年齢になるまで再雇用することを決める。合わせて国家公務員の定年の段階的引き上げについて検討する方針も定めていた。

 その後、安倍内閣は2017年6月に「経済財政運営と改革の基本方針2017」を決定、その中に高齢者の就業促進策の一環として公務員の定年引き上げについて検討を進めることを盛り込む。決定を踏まえ、その後、安倍内閣は定年引き上げについて議論を進める。2018年2月に関係閣僚会議を開き、65歳まで定年を延長する方向で検討することで了承し、人事院に検討を要請する。人事院は2018年8月に内閣と国会に対して意見を提出し、65歳までの引き上げの必要性を認め、給与水準は7割程度を妥当であることや役職定年を導入することが適当であるという考えを示す。

 この意見にもとづき、その後、内閣人事局は国家公務員法などの改正案の策定作業を進める。

 こうして、安倍内閣は2020年3月13日に国家公務員定年延長関連法案を閣議決定する。法案が成立すると、国家公務員の定年は2022年度から2年ごとに1歳ずつ延長され、2030年度に65歳となる予定であった。また法案は管理職に対しては基本的に60歳で役職定年を導入することを定めていた。ただし、役職定年の期限を延長する余地も残していた。

 関心を集めたのは検察庁法を合わせて改正しようとしたことであった。改正案では63歳となっている検事の定年をやはり2022年度から2年ごとに1歳ずつ延長することが予定されていた。また、検事についても役職定年を導入し、次長検事および検事長については63歳で検事になることを定めた。しかしながら、必要を認めれば役職定年を延長できることにしていた。役職定年の延長規定を利用して内閣が恣意的に検察の幹部人事を行う可能性が指摘され、安倍内閣は批判を浴びた。(『朝日新聞』2020年4月21日、『毎日新聞』2020年5月16日。)

黒川弘務検事長の定年延長

 すでに安倍内閣は東京高検検事長の黒川弘務氏の定年延長をしたことで厳しい批判を浴びていた。安倍内閣は1月31日に2月に定年を迎え退職する予定だった黒川氏の定年を8月まで延長することを閣議決定していた。検察庁法には定年延長の規定はなく、国家公務員法の定年延長の規定に基づいてこう決定した。野党やマスメディアの一部はこの決定を人治主義、恣意的(『朝日新聞』2020年2月11日)と批判してきた。

 4月16日に衆議院で法案審議が開始され、5月8日から内閣委員会における審議が始まる。これに伴って、法案に対する批判も高まる。 5月8日にツイッターに#検察庁法改正案に抗議しますという投稿がなされると3日で500万ツイートされるようになり注目を集める。(『Abema Times』2020年5月14日(https://times.abema.tv/posts/7053977))。同じハッシュタグを用いたツイートも無数になされるようになる。

賭け麻雀報道と法案成立断念

 こうした中、5月18日に安倍首相は突然「国民の理解なしに前に進められない」(『共同通信』2020年5月18日)と法案成立の見送りを表明する。背景にあったのは『週刊文春』による黒川検事長の賭け麻雀のスクープであったことは間違いない。5月20日配信の『文春オンライン』は黒川氏が5月1日と13日に産経新聞記者2人と朝日新聞記者1人とともに賭け麻雀に興じていたことを報じていた(『文春オンライン』2020年5月20日15:10配信)。この記事によれば17日に文春側は黒川氏を取材している。賭け麻雀は刑法の賭博罪に当たる可能性もあり、黒川氏は取り締まる側である。法案審議中にスキャンダルが発覚すれば政権への打撃は大きくなる。悪影響を少なくしようと報道前に法案成立を断念したことが想像される。

 黒川氏は21日に辞表を提出し、訓告処分を受ける。首相は「定年延長の閣議請議をしたのは私なので、責任を痛感している」と述べる(『共同通信』2020年5月21日。)

 事件後の世論調査で内閣支持率は低下する。5月23日に行った毎日新聞社の調査によれば、支持率は27%と5月6日調査の40%から低下する(『毎日新聞』2020年5月24日)。不支持率は64%を記録する。また23日と24日に行った朝日新聞社の調査によると支持率と不支持率はそれぞれ29%、52%となる(『朝日新聞』2020年5月25日)。

全面解除

 不祥事に揺れる中、黒川氏が辞表を提出した同じ21日に新型コロナウイルス感染症対策本部は兵庫、大阪、京都の三府県を緊急事態宣言の対象地域から解除することを決める。

 首相は1都3県と北海道について「今の状況が継続されれば解除も可能となるのではないか」と述べ、週明けの25日にも緊急事態宣言を解除できることへの期待を表明する(『時事通信』2020年5月21日)。

 25日に対策本部は緊急事態終了を宣言、あわせて基本的対処方針を改定する。今後の感染拡大防止策としていわゆる「三密」の回避と合わせて、概ね3週間おきに行動自粛の要請を緩和していく方針を示す。例えば、移動については5月25日から31日までは不要不急の都道府県間の移動を避けることをよびかけ、6月1日から18日までは埼玉、千葉、東京、神奈川、北海道と他の都道府県の間の不要不急の移動に慎重な対応を求めている。また接待を伴う飲食業、ライブハウスなどに営業自粛については6月18日までは基本的に知事の判断に委ね、19日以降は感染防止策の徹底、厳密なガイドライン等の遵守を求めるとともに知事の判断をもとに営業の再開を許容する方針を示す。イベント開催については6月18日までは屋内は参加人数最大100人以下、屋外は最大200人以下とすることを求め、19日以降、参加人数の上限を徐々に緩和していく方針を打ち出した。

東京都の対応

 すでに東京都は22日に宣言解除後の休業要請などの緩和の進め方を発表していた。東京都は緩和を2週間単位で三段階=ステップに分けて進める方針を示す。ステップ1では、学校、図書館、美術館などの再開を認める一方、飲食店の営業時間を22時まで緩和する。ステップ2では映画館、劇場などの営業を認める。ステップ3では飲食店の影響を午前0時までクラスター発生歴のある施設やリスクの高い施設を除き、全ての施設の再開を認める、というものであった。次の段階に進む条件として、1日の新規陽性者数が20人以下、1週の新規陽性者の数が前週を下回っているなど7つの指標を満たしていることを挙げる。

 小池都知事は25日に宣言が解除された場合には26日からステップ1に進む方針も示していた。緊急事態が解消されると東京都は方針通り26日から飲食店に要請する終業時間を20時から22時に改め、図書館、美術館の再開を認める。

政治的背景への疑念

 もともと緊急事態宣言の期限は31日まであった。5月14日に一部の地域を解除した際、首相は東京など8都道府県について21日に判断する考えを表明していた(『日本経済新聞』2020年5月15日)。西村経済財政担当大臣は21日の解除が難しい場合、28日ごろに改めて判断する意向を示していた(『時事通信』2020年5月14日)。

 安倍内閣は解除を急いだ。もともと首相周辺では5月中の全面解除が既定路線であった(『日本経済新聞』2020年5月26日)。菅官房長官は20日に8都道府県一括解除を主張していた(『読売新聞』2020年5月26日)。解除を急いだ背景に経済活動への配慮があったことは間違いない。首相は25日の会見で解除の判断は感染・医療状況に基づいて判断したと説明しつつも、経済状況や国民生活については「常に私の頭にあります」と述べている。

 さらに政治的要因もあったのではないかと想像されることにもなった。つまり、検察庁法改正案問題や黒川検事長麻雀問題により、支持率が低迷する状況打開への期待もあったのではないかという疑問である(『読売新聞』2020年5月26日)。

 先の毎日新聞社の世論調査でも全面解除を25日に検討することについては「妥当」という回答が53%にのぼっている。全面解除にこぎつけたのは内閣の一つの成果であった。しかし、この成果は法案に対する批判と不祥事により曇ることになってしまった。

緊急事態宣言が発令されるまで 上:「初動期」はこちら。

緊急事態宣言が発令されるまで 下:「足踏み期」・「緊迫期」はこちら。

緊急事態宣言延長まで 上:安倍内閣と東京都の対立はこちら。

緊急事態宣言延長まで 下:与党内対立から延長決定へはこちら。

政策研究大学院大学教授

日本政治の研究、教育をしています。関心は首相の指導力、参議院の役割、一票の格差問題など。【略歴】東京大学法学部卒。スタンフォード大学政治学部博士課程修了(Ph.D.)。大蔵省、政策研究大学院大学助教授、准教授を経て現職。【著作】『コロナ危機の政治:安倍政権vs.知事』(中公新書 2020年)、『参議院とは何か』(中央公論新社 2010年)、『首相支配』(中公新書 2006年)、『戦前日本における民主化の挫折』(木鐸社 2002年)など。

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