「生まれ変わっても騎手を選ぶ」 二刀流の鉄人・熊沢騎手の引退によせて
熊沢重文騎手は昭和43年生まれ(1968年)の55歳。横山典弘騎手、松永幹夫調教師とは競馬学校騎手課程の同期生(2期)で、武豊騎手は1学年下にあたる。
1986年、騎手デビュー。3年目の1988年に見習い騎手ながらコスモドリームでオークスを優勝し、GIを初制覇。実は同期の横山典、松永幹夫よりGI勝ちは早かったのだ。
■1988年 オークス(GI) 優勝馬 コスモドリーム /JRA公式
そして、さらに驚かされたのは1991年の有馬記念、13番人気のダイユウサクでメジロマックイーンを、しかもこれはレコードタイムで制した。実況も思わず「これはびっくり!ダイユウサク!」と叫んだほどの番狂わせであった。ちなみにダイユウサクは熊沢氏自身が所属した内藤繁春厩舎の管理馬で、担当者はのちに調教師になりゴールドドリーム等を送り出す平田修師であった。
■1991年 有馬記念(GI) 優勝馬 ダイユウサク/カンテレ競馬【公式】
ステイゴールドとのコンビも忘れられない。のちに騎手交代はあったが、口向きが悪くいつもエキサイトしていたステイゴールドに丹念に競馬のイロハを教え続けたひとりは間違いなく熊沢氏だ。
■1998年 宝塚記念(GI) 優勝馬 サイレンススズカ (2着 ステイゴールド) /JRA公式
平地GIでの勝利だけでなく、障害競走に乗り続け、2012年にマーベラスカイザーで日本を代表するGI・中山大障害を制している。
■2012年 中山大障害(J・GI) 優勝馬 マーベラスカイザー/JRA公式
障害は平地に比べて落馬リスクが高い。騎手はデビュー時は平地と障害、両方の騎手免許を持っているが、ある程度平地で実績をあげると障害免許を返納するケースが多い。しかし、熊沢氏はあくまで"二刀流"にこだわり続けた。障害馬は育成も含めて騎手に任されることが多く、そのための時間も取られるが、熊沢氏はそれをいとわず乗り続けた。
■【引退式】熊沢重文騎手/JRA公式
「生まれ変わっても騎手を選ぶ」
「生まれ変わっても騎手を選ぶ」
熊沢氏はそう、引退式で話した。
2023年の小倉競馬での落馬で第2頸椎首を骨折し、騎手復帰を願って治療に専念したが、現在も「頸椎がボルト1本で止まってるだけ。激しい運動は自殺行為」(熊沢氏)とドクターストップの状態。「騎手でいたい気持ちはすごく強い」(熊沢氏)が、もしも再び首に負担がかかったときのリスクを考え、”命”を優先して鞭を置くことを決意した。
それでも、引退式当日に誘導馬に騎乗するあたり、本当に馬に乗ることが好きなのだ、という印象を受けた。
引退式に集まった数多くの騎手たち、花束贈呈に治療に尽くしてくれた医師の方々を選んだセンス、そして熊沢氏を惜しみながら送り出した方々の温かい表情。どれをとっても、鉄人・熊沢氏の人柄が垣間見えた素晴らしい式だった。
今後の予定はまだ未定とのこと。ゆっくり傷を癒した後、また新しいかたちで競馬の何かを伝えて欲しい。