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2022年 天皇賞(秋) パンサラッサが魅せた、サイレンススズカの"夢の続き"

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
天皇賞(秋)、2番手を大きく引き離して逃げたパンサラッサ(撮影 青山一俊)

勝ち馬より強く印象に残ったパンサラッサの激走

 2022年の天皇賞(秋)は実に見ごたえのあるレースであり、ドラマだった。

 ドラマの主役は2着に逃げ粘ったパンサラッサだ。戦前から陣営は逃げ宣言をしていたが、まさか1998年の天皇賞(秋)でサイレンススズカが刻んだ超ハイペース、1000m通過タイムが57秒4という同じ数字がここで見れるとは思わなかった。

■2022年天皇賞(秋) 優勝馬 イクイノックス

 1000m通過までのラップタイムを詳しく見ると、パンサラッサが13.0-10.9-10.7-11.2-11.6と3ハロン目でピッチを上げ後続を離したのに対し、1998年の天皇賞(秋)でサイレンススズカは12.6-10.9-11.2-11.3-11.4。どちらも後続を大きく引き離しての逃げだ。

 思い起こせば、サイレンススズカの逃げは「スーッ」という表現がピッタリのスマートなもので、あの明るい栗毛の体で金色に輝く尻尾をなびかせ小気味よく逃げる姿は実に美しかった。

 そして、このハイラップを勝負を捨てての"玉砕"ではなく刻める馬はなかなかいない。しかし、サイレンススズカは何度となくこのラップで逃げ、勝ってきた。デビュー前からサイレンススズカの快速ぶりには定評があり、スピードの資質は天才的だったため、一度も"玉砕"で逃げたことはなかったといえる。

 一方、パンサラッサはゆっくり成長を重ねてきた。昨年の有馬記念(GI)では逃げて13着に惨敗しているが、この時は"玉砕"に見えても仕方ない印象を与えた。しかし、その後の中山記念(GII)では自分のスタイルとしての"逃げ"を確立させたレースだった。続くドバイターフ(GI)では完全に覚醒。逃げて自分のペースに持ち込み、粘りこむかたちで同着ではあったが初のGI勝ちを手にした。

 ここ2戦は暑さの影響もあり、スタート後のダッシュが本来のものではなかった

が、この天皇賞(秋)では体調も回復。管理する矢作師は「最初の1000mを57秒台、ラスト1000mを59秒台で走れば勝負になる」と目算し、結果は57秒2からの60秒2、と勝ち切れなかったが、。この天皇賞(秋)での逃げは"玉砕"ではなく、勝ちにいってのもの。昨年の有馬記念のころより格段に成長したパンサラッサの底力を再認識させられた。こんなに記憶に残るレースを繰り広げてくれた功績は、実に偉大だ。

■2022年ドバイターフ(GI) 優勝馬 パンサラッサ、ロードノース

 パンサラッサは天皇賞(秋)では7番人気だったが、人気を落とした理由はいろいろと推察できる。まず、GIの中でも頂上決戦といわれる有馬記念での走りっぷりの印象。それから、もともと逃げ馬が結果を出しやすい中山記念での好走からGIを勝ったのがドバイであり日本ではなかったため、甘くみてしまった。そして、近2走で勝てなかったこと。あとはやはり、戦前に矢作師も話していたとおり「天皇賞(秋)を逃げ切るのは難しい」ことだ。天皇賞(秋)の逃げ切り勝ちは1987年のニッポーテイオー以降、実現していない。あのエイシンヒカリも、ダイワスカーレットもこの舞台では逃げ切り勝ちはできなかった。それを承知で、馬にとってベストの戦法として逃げる作戦を変えずに挑んだ陣営の潔さにも惹かれるものがある。

 府中の3コーナーから4コーナーのあいだには大きなケヤキの木がある。レースはこの大ケヤキを通過したあたりから各馬はスピードを上げ、レースは盛り上がりを増す。

 しかし、あの日。サイレンススズカは大ケヤキを過ぎて少ししたところで、後続に不自然に追いつかれ、抜かれた。そして、静かに先にすべてを終えてしまった。サイレンススズカに託された夢は、その途中で途切れた。そして、サイレンスズカはたくさんの夢を抱えたまま、静かにこの世を去った。

■1998年天皇賞(秋) 優勝馬 オフサイドトラップ

 それだけに、パンサラッサが1000mを57秒4で通過したあと、大ケヤキも4コーナーも無事に通過し、府中の長い直線を最後の最後まで善戦した姿を見て、筆者は凄くホッとした。あれほどのハイラップを刻んでも馬が故障しなかったからだ。

 そして、そのままレースを走り切ったパンサラッサ。天皇賞(秋)を勝てなかったけれど、サイレンススズカが果たせなかった「完走」ができた。このハイラップをこなした後、さらに最後まで走っていい勝負ができたのだ。

 あの日、サイレンスズカを失った喪失感は今でも埋まらない。でも、少なくともハイラップで大ケヤキを通過しても走りぬいたパンサラッサの姿に安堵したし、サイレンススズカに託していた夢の続きをだぶらせて見ていたのは筆者だけではあるまい。

 1998年のあの日、サイレンススズカがあのままラップを刻み、完走していたなら勝てたのだろうか?それは誰にもわからない。ただ、あのペースで逃げても勝ち切るだけの力はあったと今も信じる人も多いだろう。

 サイレンスズカの激走を改めて思い出し、「ifの世界」を語る。今年の天皇賞(秋)では、目の前の今年のレースと1998年のレースを深く味わうという珍しい体験ができた。

■1998年 毎日王冠(GII) 優勝馬 サイレンススズカ

イクイノックスは夏を越し成長、念願のGI制覇

 そしてもちろん、優勝したイクイノックスは実に素晴らしかった。彼を優勝へ導いたのはご存知、クリストフ・ルメール騎手だ。パンサラッサが大逃げをうち、あわや逃げ切り勝ちを思わせたが、実に冷静な手綱さばきでキッチリとゴール前でとらえて差し切り、優勝を決めた。春のクラシックでは勝ち切れなかったが、夏を越して成長し結果を出せるようになった。

 ただ、ルメール騎手も一時はパンサラッサの位置を見て「さすがに心配した」が、イクイノックスの余力を信じ、逆算して仕掛けたという。その冷静さと判断力の高さは、さすがルメール騎手だ。

「イクイノックスはだんだん加速してよく頑張った。一番強い(競馬をみせた)馬だった」とこぼれる笑顔で話す。キタサンブラック産駒ということで今後の成長力も見込まれる。ルメール騎手はレース後、「今年と来年はこの馬でとても楽しみ」と話す惚れ込み様。順調なら数年、このコンビがターフを賑わすことになるだろう。

天皇賞(秋)を制し、GI馬となったイクイノックスとガッツポーズするクリストフ・ルメール騎手(撮影・青山一俊)
天皇賞(秋)を制し、GI馬となったイクイノックスとガッツポーズするクリストフ・ルメール騎手(撮影・青山一俊)

パンサラッサの次走は父が大活躍した香港競馬

 さて、パンサラッサの次走は12月の香港国際競走の香港カップ(芝2000m)が予定されている。この香港国際競走は、父であるロードカナロアが圧倒的な強さで世界を制した舞台でもある。パンサラッサは香港カップ(芝2000m)、ロードカナロアは香港スプリント(芝1200m)と出走するレースは違うが、それでもこの舞台にロードカナロア産駒がやってくることに香港の方々は興味を持つだろう。

 ロードカナロアは香港では"竜王"と呼ばれ、引退後は特別競走にもその名が用いられたほど、知られた存在なのだ。

 父ロードカナロアも4歳、5歳とキャリアを重ねていきながら成長し、安定味を増した。パンサラッサの成長力も父譲りのものを感じさせる。パンサラッサは次は香港でどんなドラマを紡ぎ出してくれるのだろう。改めて、注目したい。

■2013年香港スプリント(GI) 優勝馬 ロードカナロア

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

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