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【センバツ】12年ぶり出場の東北主将と女子野球クラーク仙台の右腕、男女双子で“センバツ”へ

高橋昌江フリーライター
双子の東北・佐藤響主将(左)とクラーク仙台女子硬式野球部・佐藤衣吹投手

 第95回記念選抜高校野球大会(3月18日開幕、阪神甲子園球場)の出場校が27日、決まった。12年ぶりの出場となる東北(宮城)で主将を務める佐藤響(2年)は男女の双子の弟で、姉・衣吹はクラーク記念国際高校仙台キャンパス(以下、クラーク仙台)女子硬式野球部に所属する投手。クラーク仙台は第24回全国高校女子硬式野球選抜大会(3月23日開幕、加須きずなスタジアムほか)に出場するため、男女それぞれで“センバツ”に挑む。響は「両親に恩返しができる」と特別な思いで甲子園の土を踏む。

■新年のキャッチボール

「行くぞ! 捕れよ!」

 響が数十メートル先にいる衣吹に向かって叫ぶ。投じたボールは衣吹のグラブにスパンと収まった。

双子の姉・衣吹と久しぶりに練習し、「楽しかった」と響
双子の姉・衣吹と久しぶりに練習し、「楽しかった」と響

 穏やかな年明けとなった仙台市。その北西部にある標高1175メートルの泉ヶ岳の麓で、衣吹と響は互いの成長を感じながらキャッチボールをした。

「響と遠投をすることはないので、楽しかったです。力の差はめっちゃ感じました。いつの間にか、うまくなってんな、って思って。身近で見ていたのは小学生までだったので、やっぱり、高校球児だなって思いました」(衣吹)

「衣吹と練習するのは久しぶりだったので率直に楽しかったです。高校に入るまでの球質は分かっていたんですけど、あいつも怪我とかあったりしたので、高校2年生の今の時期でどんなもんなんだろうな、と思っていました。捕球したら左手が痛くて、前の球とは違うなと感じました」(響)

衣吹も双子の弟・響とのキャッチボールに「楽しかった」
衣吹も双子の弟・響とのキャッチボールに「楽しかった」

 キャッチボールを終えると、響はバットを握り、父・俊幸さんが上げるトスでロングティー。右に左に振られながら衣吹はその打球を追った。その様子に母・東美さんがスマートフォンをかざす。

 佐藤家にとって特別な1年が始まろうとしている。

■兄の影響で野球をはじめる

 衣吹と響は2005年5月24日、仙台市で生を受けた。

「双子だと分かった時は想像もしていなかったのでビックリしました」とは母・東美さん。父・俊幸さんも「うちの家系に双子はいるのですが、まさか自分が双子を授かるなんて、本当にビックリしましたね」と振り返る。似たような音の名前にしよう、と姉は「衣吹(いぶき)」、弟は「響(ひびき)」と名付けた。

「響は生まれた時、呼吸をしていなくて、すぐに小児科に運ばれていったんです」と父・俊幸さん。母・東美さんは「ちゃんと成長してくれるのかなと思ったんですけど、こうやって育ってくれて」と、今、元気に野球に打ち込む姿に喜ぶ。

生後間もない衣吹(左)と響。両親は「2人とも性格が全然、違う」と笑う(佐藤さん提供)
生後間もない衣吹(左)と響。両親は「2人とも性格が全然、違う」と笑う(佐藤さん提供)

 2人が野球と出会ったきっかけは、4歳上の兄・悠汰さんの影響だ。勧誘され、仙台市立福岡小の少年野球チーム「福岡リトルモンスターズ」で野球をはじめた兄の練習や試合に2人はついて行くようになった。響は幼稚園の頃から小さな練習着を着て練習に混ぜてもらい、小学校入学と同時に入団。「ピアノをやりたかった」という衣吹は練習について行くうちに「野球をやりたい気持ちが出てきて」と1年生の終わり頃に加入した。

「衣吹は野球をやらないと言っていたので、やると言い出した時はどうしたんだろう、って思いました。でも、結果的にキャッチボールをしたりする練習相手ができた。最初は遊び感覚でやっていたのが、お互い、野球が好きになって、ここまで本気で頑張れるようになりました」(響)

■試合中に喧嘩勃発!?

 学年が上がり、4年生になると響は主力投手になった。衣吹は外野手だったが、6年生になると急成長を遂げて投手をやるようになり、響はマウンドを譲るようになった。肘を痛めた響に代わって登板した衣吹が好投したのもあるが、“喧嘩”も一因だったようで…。

「衣吹も僕も小学生で100キロ台のストレートを投げていたんですけど、自分がショートバウンドの球を投げると、あいつ、怒って僕の球速以上の返球をしてきて、こっちもイラついて『もう、いいって』って試合中に喧嘩になりそうなこと、結構、ありました(笑)」(響)

「私の要求通りじゃなかったんですよ、響のボールが。それに、めっちゃショートバウンドを投げてくるから私がイライラしてキレちゃって(笑)」(衣吹)

 衣吹が投手、響が捕手で落ち着いた。その後、響は選ばれなかったのだが、衣吹は仙台市選抜入りを果たし、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場する楽天ジュニアを抑えたこともあった。

「小学生の頃は本当に悔しかったですね。こいつ、いいとこ取りばっかりしやがって、って」(響)

投手の衣吹(左)と捕手の響がクールダウン中。衣吹が気に入っているという小学生の頃の1枚だ(佐藤さん提供)
投手の衣吹(左)と捕手の響がクールダウン中。衣吹が気に入っているという小学生の頃の1枚だ(佐藤さん提供)

■衣吹の“全国”で発憤

 仙台市立根白石中に上がると、野球では別々の道を歩むようになる。響は東北福祉仙台北シニアで硬式野球をプレー。衣吹は「中学生になると体格や体力で差が出てくる」とシニアには入団せず、週末に活動している女子中学生のクラブチームに入った。さらに、中学1年の秋には学校の野球部に入部。中体連の試合にも出るようになり、3年時には泉区選抜に入った。

 異なる環境で野球をやるようになり、響が衣吹のプレーを見たのはクラブチーム(宮城レッドウィングス)の全国大会だった。

「僕は平日もシニアの室内練習場でお父さんと夜の10時とか11時まで個人練習をしているのに、衣吹は頑張っているのかな、って思っていたんです。たまに衣吹も来るんですけど、ほとんど来ないので。こいつ、怠けているなって。でも、女子野球のチームが少ないとはいえ、衣吹が全国大会に出て、全国の選手を相手に投げていて、衣吹も頑張っているんだな、って思って。なんか、自分も負けていられないなってすごく思いました」(響)

 高校は響が春夏通算41回の甲子園出場を誇る名門・東北へ。衣吹は2018年に東北地方初の女子硬式野球部を創設したクラーク仙台に進学。小、中学校と1学年1クラスの小規模校で、自宅のみならず、教室でも一緒だった2人は初めて別の学校に通うことになった。

高校は響(左)が東北へ、衣吹がクラーク仙台に進んで、初めて学校が別々になった
高校は響(左)が東北へ、衣吹がクラーク仙台に進んで、初めて学校が別々になった

 制球力の高い右腕の衣吹は1年秋から公式戦のマウンドに立ち、2年春には背番号1を背負った。その後、「球速アップトレーニング」によって夏までに9キロも球速を伸ばした。

「衣吹はクラークでも全国大会で強い高校と戦っていましたが、自分は試合にも出られず、どうなんだろうって考えることもありました。このまま陰に隠れて終わるのは嫌だな、って感じていて。でも、俺だけ目立つ、とは思っていなくて、2人で目立てたらいいなって思っていたんです。男女の双子で野球をやっているって、滅多にないことじゃないですか。頑張って、親に恩返ししたいなって、2人で話すこともありました」(響)

 近年、チーム数が増えているとはいえ、高校の女子野球は春、夏、秋と年3回ある全国大会に予選がなく、エントリーすることで出場できる。だから、衣吹にとっての恩返しは全国優勝。対して、男子の高校野球で全国舞台に立つためには「予選」を勝ち上がらなければならない。響にとっての恩返しは甲子園である。

全国制覇を目標にクラーク仙台で練習中の衣吹(手前)。「みんなから『衣吹が投げれば大丈夫』と信頼されるピッチャーになりたい」と意気込む
全国制覇を目標にクラーク仙台で練習中の衣吹(手前)。「みんなから『衣吹が投げれば大丈夫』と信頼されるピッチャーになりたい」と意気込む

■東北大会準Vで東北が12年ぶりのセンバツ

 響が所属する東北の硬式野球部は、1904年の創部以来、東北地方の高校野球を牽引してきた名門である。甲子園出場は春19回(今回で20回目)、夏22回を数える。多数のプロ野球選手を輩出し、佐々木主浩氏、斎藤隆氏、ダルビッシュ有投手(パドレス)とメジャーリーガーが3人も誕生した。アマチュア野球界でも選手や指導者として活躍したり、または仕事で球界に貢献したりしている人物が多い。しかし、近年は思うような戦績を上げられず、甲子園に関しては、春は2011年、夏は2016年を最後に遠ざかっていた。

 1年生の頃から学年リーダーだった響は2年秋から主将になった。同時に、東北は佐藤洋監督が就任した。NPO法人日本少年野球研究所の代表として野球スクールを運営し、子どもたちの野球環境と向き合ってきた新指揮官のもと、東北ナインは伸び伸びとプレー。県大会では決勝で、東北勢初の甲子園優勝を成し遂げたばかりのライバル・仙台育英を破って優勝した。

 7対1で勝利した利府との準決勝はクラーク仙台の練習オフ日と重なり、衣吹は応援に行くことができた。「2番・三塁」でスタメン出場した響は7回からマウンドに立ち、無安打無失点に抑えた。

「東北の試合を見たのはそれが初めて。みんな、楽しそうに野球をやっていて、雰囲気がいいなと感じました。中学生以降は響の試合をあまり見たことがなかったので、響が頑張っている姿を見て、私も頑張ろうと思いました」(衣吹)

 東北は東北大会でもミラクルな逆転勝ちを繰り返して決勝に進み、再び仙台育英と対戦。3対6で敗れたものの、2011年以来となるセンバツの出場を“当確”とした。

 そして、27日、12年ぶりの“春の便り”が届いた。

「これまで結果に関しては衣吹に頼っていたというか、自分は何もできていなかったので、やっと、恩返しができます」(響)

主将として伝統ある名門校をまとめる響(手前)。秋は背番号5で三塁を守り、衣吹が観戦した県大会準決勝では登板もした
主将として伝統ある名門校をまとめる響(手前)。秋は背番号5で三塁を守り、衣吹が観戦した県大会準決勝では登板もした

■「なんだか、仲良くなりました」

 小学生の頃、口喧嘩から取っ組み合いの喧嘩に発展するなど、衝突することが多かったという衣吹と響。だが、年齢を重ね、ともに過ごす時間が減るにつれて、「喧嘩は全然、なくなりましたね。なんだか、仲良くなりました」と衣吹は笑う。

 自宅から自転車で通学していた響は主将に就くタイミングで「みんなと一緒に生活をして、チームをまとめたい」と入寮した。年末年始の帰省で、衣吹は響の変化を感じたという。

「私はすぐにカッとなって怒りっぽいんですけど、響は冷静で物事をちゃんと考えられる。でも、だらしないところもあって、やっぱり、末っ子なんです(笑)。ご飯を食べた後に片付けずにダラダラしていたり、脱いだ服をそのまま置いていたりして、私が片付けることがあったんですけど、寮に入って、以前よりも自分のことは自分でできるようになっていました。家族に感謝を伝えることも多くなって、今回、寮に戻った後も家族LINEに長文が来て、感動したというか。ちゃんと考えているんだなって思ったんです。そういうところは偉いなって思います」(衣吹)

 響は衣吹から学ぶことがあると話す。

「こういうストレッチをするといいとか、こういうトレーニングをしたらここが鍛えられるとか、衣吹はいろんな引き出しを持っていて、すごい。やっぱり、活躍している選手は自己管理がしっかりできているんだな、と思います。自分はまだできていないなとか、負けているなって思うところがたくさん、ありますね」(響)

 衣吹と響、男女の双子がそれぞれの“センバツ”に挑む春。父・俊幸さんが「悔いが残らないように精一杯、最後までやってもらえれば」と言えば、母・東美さんは「怪我をせず、万全で本番を迎えられるように頑張ってもらえたらなと思います」とエール。組み合わせと勝ち上がりによって、佐藤家の春は忙しくなる。

 2人の恩返しは、ここからだ。

雄大な泉ヶ岳の麓で育った2人。それぞれの“センバツ”での健闘を誓う
雄大な泉ヶ岳の麓で育った2人。それぞれの“センバツ”での健闘を誓う

(提供以外の写真は筆者撮影)

フリーライター

1987年3月7日生まれ。宮城県栗原市(旧若柳町)出身。大学卒業後、仙台市在住のフリーライターとなり、東北地方のベースボール型競技(野球・ソフトボール)を中心にスポーツを取材。専門誌やWebサイト、地域スポーツ誌などに寄稿している。中学、高校、大学とソフトボール部に所属。大学では2度のインカレ優勝を経験し、ベンチ外で日本一を目指す過程を体験したことが原点。大学3年から新聞部と兼部し、学生記者として取材経験も積んだ。ポジションは捕手。右投右打。

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