ASKA事件から考える刑事事件報道のありかたとは

2014年7月に保釈されたときのASKA氏(写真:Motoo Naka/アフロ)

嫌疑不十分による不起訴処分

 昨日、薬物使用の疑いで逮捕されていた歌手のASKA氏が、嫌疑不十分により不起訴が確定したとして釈放されました。

<ASKAさん>「尿でない」覆せず 不起訴、警視庁に衝撃(毎日新聞)

警視庁組織犯罪対策5課は、覚醒剤の陽性反応が出た液体について、「覚醒剤成分が検出されたことは間違いないが、本人の尿だと確認ができなかった。逮捕が違法だとは考えていない」としている。

出典:産経新聞(12月19日)

 同課によると、ASKAさんは11月25日夜、警察官から任意の尿提出の要請を受け、自宅トイレで液体を提出。警視庁の鑑定の結果、覚醒剤の陽性反応が出たため逮捕した。しかし、逮捕後の調べで「あらかじめ用意しておいたお茶を尿の代わりに採尿カップに入れた。覚醒剤は使っていない」と供述したという。

 採尿の際、同課員1人とASKAさんの妻がトイレのドアを開けて尿をする様子を背後から見ていたが、「手元まで確認することが困難だった」としている。

出典:産経新聞(12月19日)

 いずれにせよ、提出を受けた液体から覚醒剤成分が検出されたのですから、ASKA氏の周辺に覚醒剤が存在した可能性は高いと考えられます。しかし、報道にあるように、採尿の経緯について写真撮影を行うなどの手続を欠き、捜査過程に何らかの不備があったとするのであれば、採尿の経緯を立証できないことになります。そうすると、自白が得られない以上、ASKA氏の尿であると特定することが難しいため、起訴して公判を維持することは厳しいという判断に基づく不起訴処分であったと推察されます。これに関しては、今後はもっと慎重を期すものとして、同様の状況における教訓とするほかありません。

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過熱するメディアの報道と無罪推定の原則について

 ところで、今回ASKA氏の逮捕をめぐる報道では、タクシー車内の映像が流出したり、未発表楽曲をテレビで流したり、ASKA氏の乗用車が壊されたりするなど、メディア側のあまりの過熱ぶりに、プライバシー権や著作者人格権の侵害、器物損壊ではないかという声が上がりました。

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 加えて、「逮捕時点において犯罪者扱いするのは、無罪推定の原則からしておかしい」といった意見が見られました。

 これについては、まったくもってその通りで、本来は法廷において犯罪を犯したかどうかの審理を行うわけですから、刑事事件をめぐるマスメディアの報道のあり方には疑問なしとしません。少年はもちろん、たとえ成人が逮捕された場合においても、事件ごとの重大性や公共性などを考慮して、報道の自由や知る権利と、プライバシー権を比較衡量し、常に細心の注意を払った上で報道を行う必要があると考えます。特にマスメディアは、警察の公式発表をそのまま報道するのではなく、自ら検証するという姿勢を打ち出してほしいものです。

だからといって「不起訴=無実」というわけではない

 もっとも、逮捕されたら犯罪者というわけではないですが、他方で、不起訴となったからといって無実が証明されたわけではありません。刑事訴訟法が定める無罪推定の原則からすれば、犯罪について検察側で合理的な疑いを容れない程度まで立証を行う責任があります。そこまで立証が行われて初めて有罪認定がなされますが、仮に立証が十分に行われなかったからといって、刑事訴訟手続において無罪ということにはあっても、そのことをもって必ずしも無実というわけではないのです。人間の力には限界がありますから、決定的な証拠を得られず立証不十分に終わったとしても、神の視点から見れば犯罪を犯しているということはあり得るのです(この場合は無罪であっても、無実ではありません)。

 メディアは常に刑事訴訟手続に則って行動する必要があるわけではありません。刑事としては有罪でもメディアは擁護すべきときがあるでしょうし、逆に無罪であっても社会的な責任を問うことが必要な場合もあるでしょう。メディアは常に人権に配慮しつつも、公権力とは離れた独自の社会的な役割を担うべきではないかと考えます。

 さらに、起訴にはいたらず不起訴となった場合においても、犯罪は犯したけれどもさほど刑事裁判にかけるほど悪質ではないと判断して起訴を行わない「起訴猶予」や、起訴に足るだけの証拠を集められなかった場合の「嫌疑不十分」などがあります。この場合も同様に、起訴されずに釈放されたからといって、必ずしも清廉潔白で無実というわけではありません(もちろん無実である場合もあります)。

 今回のASKA氏のケースでいえば、ファンの方々が「信じていてよかった!ASKAがそんなことをするわけない」というのは、それはそれで違和感が残ります。提出された液体から覚醒剤の陽性反応は出ているのですから。やはり不安は残ると言わざるを得ません。

不起訴でした。

(ASKA氏のブログ)

 ASKA氏は、ブログで「みなさん、信じてくれてありがとう。」、「これだけは言えます。僕は無実です。」と書いていますが、どうしてこのようなことになったのか、また本当に尿ではなくお茶を入れたのだとしたら、その支離滅裂な行動の目的は何なのか、ファンを含め説明を求めたいところです。もっとも今後ブログについて何らかの説明がなされる可能性があるので、続報が待たれます(2016年12月20日21時52分時点)。

逮捕された人を「容疑者」と呼ぶのは間違いか

 その他にも、「逮捕されたら『ASKA容疑者』で、釈放されたとたん『ASKAさん』と呼び方を変えるのはおかしい」という意見も多くネット記事やSNSなどで見られました。

 しかし、こちらに対しては、あまり賛同できません。「容疑者」はメディア用語で、法律上は「被疑者」が正しいのですが、いずれにしてもその意味するところは、「疑いをかけられている者」ということに過ぎません。逮捕されるからには、現行犯逮捕にせよ令状によるせよ、疑いをかけられていることは間違いないので、「容疑者」「被疑者」と呼ぶのは正しいと言えるからです。そして、不起訴となって釈放されたのであれば、「容疑者」と呼ばなくなるのも、妥当ではないかと思います(それ以外に方法がないので)。問題なのはプライバシーを無視して報道をしてしまうこと、犯罪者扱いすることであり、両者は区別して議論すべきだと考えます。

ノンスタ・井上「さん」付けのテレビ報道に弁護士が疑問呈す

(スポーツ報知)

 つい先日には、お笑い芸人「NONS STYLE」の井上裕介氏がひき逃げを犯したことにつき、八代英輝弁護士が「『井上さん』ではなく『井上容疑者』と呼ぶべき」とコメントして話題となりました。上述のとおり、そもそも実名報道するかどうかの問題を別とすれば(これについては疑問なしとしないので)、これもさほど奇異な意見とも言えないでしょう。

刑事事件における報道のあり方とは

 今回の一連の報道をみていると、とにかくインパクトの強い映像を、とにかく早い情報をという、メディアの姿勢が見て取れます。そして新たな事実が判明するたびに、大きく揺れ動き、一方の極点から逆の極点まで一気に振れてしまうというといった印象を強く受けています。

 既存のマスメディアも、インターネットも含め、国民の知る権利の名のもとに報道を過熱させるだけではなく、慎重で正確を期した報道というものを一度立ち止まって考えてみるべきではないでしょうか。