未だに夫婦別姓が進歩的だと勘違いしている人たちへ

手をつなぐ夫婦(写真:アフロ)

【最後まで読まない人が多いので追記】

私個人としては、選択的夫婦別姓導入もありだと思っています。

本稿は選択的別姓導入の是非を議論するものではありません。

最高裁で争われた夫婦同姓制度

 先日、何気なくインターネットを見ていたら、次のような記事に遭遇しました。

夫婦別姓を求める声、最高裁に届かず(福島みずほ)

未だに選択的夫婦別姓に反対する人へ

 ご承知の通り、平成25年12月16日に、最高裁大法廷において夫婦同姓の強制についてと女性のみに存在する再婚禁止期間についての判決が下されています。この判決では、再婚禁止期間については、6か月禁止期間を設けることが違憲であるとの判断が出されました。その一方で、夫婦同姓については合憲であるという判断が下されています。

 元々、この裁判は、「夫婦で別々の姓を名乗ることを認めない民法の規定は、憲法が保障する婚姻の自由を侵害している」などとして、5人の男女が国に損害賠償を求めている裁判でした。原告は「調査結果によれば、96%の夫婦が夫の名字を選んでおり、(形式的には平等に見えても)男女差別を生み出している」と主張。夫婦同姓の制度を定めている民法750条は「憲法13条に由来する『氏の変更を強制されない権利』を侵害し、婚姻の自由を認めた憲法24条にも違反する」と述べていました。

選択的夫婦別姓とは

 現行の民法は、現在の民法 「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」という同氏の制度を採用しています。なお、「同姓」「別姓」といういいかたが一般的ですが、法律上はあくまで「氏」が正しいのですが、それはさておき聞き慣れた、「同姓」「別姓」で通します。

 これに対し、現在議論されているのは、夫婦が望む場合には、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度、すなわち「選択的別姓制度」を採用するかどうか、という点です。

 この選択的夫婦別姓の議論については、概ね日本国内を二分しています。平成24年に実施された世論調査では、選択的別姓の導入について、導入しても構わないという人は35.5%、その必要はないという人が36.4%という結果が出ています。

 導入反対派は夫婦別姓制度を認めれば、家族の一体感や家族のつながりが薄れ、家族制度が崩壊すると危機感を煽っています。

 他方で、導入賛成派は、概ね以下の様な主張を展開しています。

  1.  本人の同一性の確認が困難となり、職業生活上の不利益を強いられる
  2.  代々受け継がれてきた氏を大事にしたい
  3.  一人っ子同士の男女が結婚する場合、家名を存続することが困難となる
  4.  夫婦同姓は、明治から終戦までの時代に制度化され確立された「家」制度、すなわち家父長制に基づくものであるが、これら戦前の社会制度は崩壊し、現在の日本国憲法下では、個人の人格を尊重する個人主義の時代である。氏名は、人格、人生そのものと不可分一体のものであり、奪われることは自身を喪失するに等しい苦しみがある
  5.  また世界の趨勢は別姓なのだから、古めかしい家制度に基づく夫婦同姓の強要自体がもはや時代遅れである

 このうち、1の理由は確かによくわかります。今まで山本という苗字で過ごしてきたのに、結婚を機に田中という苗字になってしまって、そのことを周囲の人に伝えて認識してもらうのは確かに面倒です。それのみならず、銀行口座や免許証、保険証などを変更するのも大変な手間です。しかも離婚したらまた苗字を戻すことができるのですが(民法767条)、その際にもまた同じ手間がかかります。

 2、3の理由と、4、5の理由はまったく逆方向のものです。前者はむしろ伝統や慣習を守りたいという要望のように見えますし、後者は新しい個人主義に基づく理由のようにみえます。

 しかし、この導入の賛成派・反対派双方の主張理由は本当に正しいものでしょうか。本当に夫婦同姓は伝統的な家制度に基づく保守的制度であって、夫婦別姓は個人の人格を尊重した進歩的な制度なのでしょうか。

 少し歴史を振り返って見てみることとしましょう。

氏姓のなりたち

 氏、姓、苗字(名字)などといいますが、本来的にはこれらは別々のものでした。

氏(うじ)とは蘇我、大伴、物部、紀、平群など古代の部族につける一族の名前です。同じ氏を冠しているということは、祖先を同じくする同一の血族集団であるということを表しています。そして、姓(かばね)とは、天武天皇の時代に整理された「八種の姓」に見られるように、「大臣」「大連」など本来は役職に応じて天皇から与えられる称号でした。わかりやすくいうと「氏のランク付け」を行ったものということができます。

 しかし、八種の姓で第1順位の「真人」が皇族専用の姓だったため、第2順位の「朝臣」に人気が集中し、結果的に、氏と姓は同一化していきました。そして、次第に氏姓は武士を中心に源平藤橘の四種類へと統合されていきます。

名字のなりたちとは 源家康って誰?

 ところで、姓(かばね)の数はあまり多くないため、次第に気づけば周りは「源」や「藤原」だらけになってしまい、区別が難しくなってきました。そこで、武家はその本拠地の地名を取って名字とし、公家の場合は都の自身邸宅のある地名や、一族にとって重要な寺院のある地名をとって家名として用いるようになりました。こうした名字や家名は私的なものなので勝手に名乗ることが許されました。

 たとえば藤原氏の中から近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家というような家名が、源氏の中から足利氏・新田氏・武田氏・佐々木氏といった名字が出てきました。これは「熊本のおじさん」とか「浦和のおばさん」といった感覚に近いものです。

 しかし、家名・名字はあくまで通称なので、正式な場面では相変わらず氏姓を使います。なので、足利義満は、どこまでいっても「源道義」ですし、徳川家康も「源家康」なのです。ただし、例外的に羽柴秀吉だけは、「豊臣」という新たな姓を賜ったので、「豊臣秀吉」が正式な氏名です(だから豊臣となったあとも羽柴という名字は残っています)。

 その結果、祖先を同じくする原始的な血縁集団から、所領に紐付いた一族郎党まで含む機能を重視した「家」(「イエ制度」)に変わっていきます。イエ制度は、およそ中世から江戸期にかけて完成したと言われています。律令制度から封建制度に移行する中で、すでに血の論理は後退して、いかに家を存続させていくかに主眼が行われていきますので、イエ制度においては、男系による継承へと変わっていきました。

名字(氏)の普及と明治民法

 これが、氏・姓・名字の由来ですが、その後明治時代になって四民平等となり、1870年(明治3年)には、国民全員が「氏(し)」をもつことになりました。このタイミングで、元から武士だった人たちは、名字を氏にしましたし、それとは別に本来の氏(うじ)・姓(かばね)を氏(し)にした人もいます。

 ここで、氏姓と名字の混乱が始まりました。その後1876年(明治9年)には明治政府は太政官指令を出し、「婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」と布告しました。ここにいう「所生ノ氏」とは、生家の氏ということで、夫婦は結婚してもなお別の氏を名乗ることが義務付けられていたのです。

 なお、江戸時代、庶民に名字はなかったというのは誤りで、公称できなかっただけです。武士以外の人たちの多くは、それぞれの家に伝わる名字をもっていました。ただ、身分の低い人の間には、本当に名字をもたない人たちもいました。そういう人々は、明治になって新たに氏を考えたのです。

 ところで、導入当初は、夫婦は別姓が原則でした。選択的に別姓を名乗ってよいということではありません。同姓を名乗ることが認められていなかったのです。

 これは上にも書いたようにイエ制度が男系による承継をとっていたためです。日本のみならず、東アジアの通婚秩序は、自分の属する血縁集団以外の血縁集団の構成員と婚姻する外婚制(イクソガミー)を基礎としています。北条政子や日野富子の例を出すまでもなく、女性は仮に結婚したとしても嫁ぎ先のイエのメンバーとはみなされず、あくまで実家に帰属したままなのです。すなわち、たとえ結婚しても所詮ヨソモノである妻には家にまつわる地位や財産に対する継承権を与えないという父系出自主義のあらわれというわけです。

 1898年(明治31年)、明治民法が成立します。フランスの民法をベースに起草されており、日本古来の伝統が破壊されるとして、穂積八束は「民法出デテ忠孝滅ブ」と猛烈に批判しました。

 そしてこの民法で、改めて氏名に関する規定が設けられ、夫婦同姓となったわけです。

 明治民法はこのように規定しています。

「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」

出典:明治民法746条

 なぜこの明治民法では夫婦同姓と規定としたかというと、結婚した後も別姓のままでは誰と誰が夫婦なのかいろいろと不都合が生じるため、国民の側から「同姓としてほしい」という要望があったからなのです。

 そして同時に、夫婦同姓とは、夫婦一体を重視した欧米から輸入された近代的な家族像に基づくものでした。近代化を遂げて欧米列強の仲間入りをするためには、従来の伝統的な家族観を捨て去る必要があったのです。つまり、現在の選択的夫婦別姓導入派の主張とは真逆に、当時は夫婦別姓が日本古来の伝統的なイエ制度を破壊するものとして批判にさらされていたのです。

 こうしてみると、結局はイエ制度や個人の尊重と、同姓別姓は論理上において必ずしも一義的に結びつかないことがよくわかります。ましてや、同姓であれば遅れている、別姓であれば進んでいるというものでないことは明らかでしょう。現在交わされているそれぞれの主張の論拠に思想上の混乱が透けて見えます。

 ちなみに、お隣の韓国では、これとは逆に伝統儒教的な家族観を今なお重視しているがゆえに、結婚しても終生実家の姓のままで過ごすことが一般的です。

 さぁどうでしょうか。このように見てくると、本当に選択的夫婦別姓制度の導入が、近代的な個人主義に基づくイエ制度からの解放であると言えるのでしょうか。他方で、夫婦同姓を続けることは日本古来の伝統的家族像に合致しているのでしょうか。

 ぜひ一度、よーく考えて見てください。

個人の尊重を謳うのであればむしろ姓氏は全廃すべき

 また、イエ制度打倒に加えて、憲法13条から導かれる個人の人格権、自己決定権を尊重すべきであって、氏名は個人の人格に関わるものだから、結婚によってこれを強制的に変更することを余儀なくされることは、憲法違反だという主張があります。

 なるほど、確かに最高裁判所は次のように判示しており、一見筋が通っているようにも見えます。

氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであ るが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その 個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、 人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を 受けうる人格的な利益を有するものというべきである。

出典:最判昭和63年2月16日

 しかし、個人の人格を尊重するのであれば、なぜそこで立ち止まってもう一歩進めないのでしょうか。

 氏姓であるにせよ、名字(苗字)であるにせよ、それは個人を表す名前ではなく、部族なのかイエなのか、いずれにせよある一定の集団を表す名称のはずです。

 山田花子という人間がいたとして、山田家という集団に属する花子という個人がいるのであって、本当に血縁やイエといった近代的合理主義にそぐわない悪しき因習を打破し、個人の尊重を高らかに謳うのであれば、姓氏などなくしてしまえばよいではないですか。みんなただの太郎や花子になれば、同姓だ別姓だといった無益な議論に煩わされる必要もなくなるわけです。

 夫婦同姓によって個人の人格権が侵害されるのであれば、親子同姓も同様に個人としてのアイデンティティを脅かす悪しき因習ではないでしょうか。いや、親子同姓はより選択する余地が少ないことからすれば、さらに深刻な問題でしょう。親子の紐帯などという科学的根拠に欠けた迷信によって尊い尊い個人様の尊厳が失われるなどあってはならないことなのではないでしょうか。

 このように、フェミニズムや個人の人格権を主張する人権派・進歩派のお歴々が、なぜ姓氏にそこまでこだわるのか、私には理解ができません。

 夫婦別姓となれば、いきおい、家名存続や実家による孫の姓氏の奪い合いといった事象が生じるでしょう。なんのことはない、夫婦別姓の導入こそが、イエ制度を強化助長し、個人を圧壊するおそれがあるわけです。

 また「自己決定」といいますが、ほとんどの人は自分の姓氏も名も、自分自身で選んで名付けたわけではないでしょう。自分とは別の人間が自分の意思にかかわらず、一方的に名付けられたものに過ぎず、言ってみれば、私たちは自分たちの名前がすでに確定された状況に投げ込まれて生まれてくるわけです。よく冗談めかしていう話ですが、旧姓は自分で選択できないものの、結婚後の改姓はある程度選択できるのであるから、むしろ自己決定を行うことができるともいえるわけで、こんな詭弁が成り立つ余地があるほどに、氏名と自己決定との関係は単純ではないと言えるでしょう。

 なお、これまで、非嫡出子の相続分は嫡出子の1/2とされていましたが(旧民法900条4号但書)、この規定が憲法違反だとされ、平成25年にそれぞれが同じ相続分であると改正されました。

 これも、一見、個人を尊重し出生による差別を撤廃するような進歩的価値観によって推進されています。大変素晴らしいことです。しかし、同時に伝統的なイエ制度を強化助長するという副作用をはらんでいることに注意すべきでしょう。すでにお分かりのことでしょうが、一夫一妻を基本とする近代的家族像は、伝統的なイエ制度とは異なるものなのです。

封建主義者かく語りき

 さて、最後に私自身の見解を述べましょう。私は、呉智英氏の主催していた以費塾の元塾生であって、彼の掲げる封建主義に少なからず賛同しています。そういう意味では、夫婦別姓もありうべしと思っていますし、むしろ夫婦同姓の方こそ問題視すべきでしょう。いやいや、そもそも本来の封建主義者であれば、私のような平民が名字を公称することはあってはならないことです(この項半分冗談です)。