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アメリカの「人種問題」は善と悪の対立では理解できない

橘玲作家
(写真:ロイター/アフロ)

アメリカ中西部のミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性が白人警官に暴行を受け死亡した事件をきっかけに、アメリカ全土で抗議行動が広がっています。新型コロナの感染拡大でアメリカ社会の矛盾が顕在化しましたが、そのすべてがこの混乱に象徴されています。

アメリカの雇用制度は不況時のレイオフを広く認めており、ニューヨークなど都市部のロックダウンによって失業率は戦後最悪の14.7%に達しました。とはいえ、すべてのひとが経済的な苦境にあるわけではありません。

今回は連邦政府による週600ドル(約6万4000円)の上乗せ支給があり、働くより解雇されて失業保険を申請した方が収入が増える逆転現象が起きています。その一方で以前と同じように働く場合は上乗せがなく、医療・介護だけでなく、警備やゴミ収集などの「不可欠な仕事」に就くマイノリティは経済的な見返りもなく感染リスクにさらされています。これが、黒人の新型コロナ死者数が10万人あたり54.6人と、白人(22.7人)の2倍以上になる理由のひとつとされます。

貧困層のなかには、失業保険の受給要件を満たさず、働く場所を失ったひとたちがたくさんいます。これが、抗議行動に乗じて略奪が起きる背景でしょう。アメリカの経済学者は、「黒人や白人といった人種を問わず、4000万人の失業者が激怒している。コロナ危機が暴動につながると想定していた」と述べています。感染症が拡大しはじめたとき、アメリカ各地で銃や弾薬が売れはじめたことが面白おかしく報じられましたが、表には出ないものの、これがアメリカ人(中流階級)の本音なのでしょう。

混乱に輪をかけたのは、トランプ大統領が、「アンティファ(アンチ・ファシズム)」なる極左組織が暴力行為を煽っていると主張していることです。実態は不明ながら、急進的な個人やグループのネットワークがあることは確かなようですが、話がさらにややこしくなるのは、トランプを支持する白人至上主義者が、アンティファをかたって暴動を扇動しているとの有力な証拠があることです。

肌の色による差別は世界のどこにでもありますが、隣国のカナダでは、黒人が警官によって殺され、暴動に発展するなどということは起きません。これはアメリカ社会がいまだに、奴隷制の負の歴史を克服できていないからだとされます。

アメリカでは「警察の不当な扱い」を経験する黒人が5人に1人にのぼるととされ、こうした主張はたしかに説得力がありますが、その一方で法律家・社会評論家のヘザー・マクドナルドは、ウォールストリートジャーナルへの寄稿(「組織的な警官の人種差別という神話」)で、「2019年の警察官による容疑者の射殺の4分の1は黒人だが、それは警官が武装している相手と遭遇する比率で説明できる。同年に武装していない黒人9人が射殺されたが、白人は19人だった。武装していない黒人が警官に射殺される比率より、警官が黒人に射殺される比率が18.5倍高い」とのデータを示しました。

11月の大統領選の思惑も含め、アメリカ社会ではさまざまな問題が「人種」を中心に重層的に絡み合っています。ひとつだけたしかなのは、誰もがそこから自分好みの「真実」を取り出しているということでしょう。

参考:日経新聞 2020年6月3日「米デモ拡大、三重苦が招く 人種差別・コロナ・失業、しわ寄せ黒人らに」

Wall Street Journal(June 2, 2020) “The Myth of Systemic Police Racism: Hold officers accountable who use excessive force. But there’s no evidence of widespread racial bias.”By Heather Mac Donald

『週刊プレイボーイ』2020年6月15日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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