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「非自発的禁欲」のテロリズム

橘玲作家
(ペイレスイメージズ/アフロ)

妻以外の女性と交際するのが(夫の)不倫ですが、それがたんなる火遊びではなく、他の女性とのあいだに子どもをつくったり、生活の面倒を見たりするようになると、「愛人」とか「二号さん」「お妾さん」などと呼ばれます。高貴な男性に囲われる妻以外の女性は「側室」で、明治天皇に5人の側室がいたことからわかるように、日本の社会ではごく当たり前の慣習でした。

歴史的に見ても、人類の婚姻形態はゆるやかな一夫多妻制で、一夫一妻になるのは夫に甲斐性(経済力)がなく、複数の女性を養えないからでした。クルアーンに書かれているように、妻をめとる男には共同体から重い責任が課せられるのです。

厳格な一夫一妻というのは、近代以降のヨーロッパで始まったきわめて特異な制度です。それが植民地化によって世界に広がり、一夫多妻は時代遅れで女性の権利を侵すものとして、フェミニストからはげしく攻撃されるようになりました。「愛」は至高の絆でつながる「ロマンティックラブ」でなければならないのです。

ところが最近になって、アメリカで奇妙な現象が目につくようになりました。

恋愛と縁のない若い男性は日本だと「非モテ」と呼ばれますが、アメリカだと「インセル(Incel)」です。これは「Involuntary celibate(非自発的禁欲)」のことで、宗教的な禁欲ではなく、「自分ではどうしようもない理由で(非自発的に)禁欲状態になっている」ことの自虐的な俗語としてネット世界に急速に広まりました。

2014年5月、エリオット・ロジャーという若者がカリフォルニア州サンタバーバラで無差別発砲し、6人が死亡しました。この事件が注目されたのは、22歳で童貞のロジャーが「インセル」を名乗り、自分を相手にしない女性への復讐が目的だとYouTubeに「犯行声明」を流したからです。

この事件でロジャーはインセルの「神」に祀り上げられ、15年10月オレゴン州の短大(9名死亡)、17年12月ニューメキシコ州の高校(2人死亡)、18年2月フロリダ州の高校(17人死亡)、同年4月トロントの路上(10名死亡)と「インセル」による乱射事件がつづきました。これはまさに、「非モテ」によるテロリズムです。

「自分たちは(チャラ男に群がる)女に抑圧されている」と考えるインセルはフェミニズムが大嫌いですが、不思議なのは、そんな彼らが一夫一妻の伝統的な性道徳の復活を強く訴えていることです。

この謎の答えは、すこし考えてみればわかります。

男が10人、女が10人いて、一夫一妻ならすべての男が妻を獲得できます。ところが一夫多妻で、魅力的な男が2人の女性をめとることが許されるなら、5人の男はあぶれてしまいます。うだつのあがらない男と結婚するより、大金持ちの「二号」になった方がずっといいと考える女性はたくさんいるでしょう。

ここからわかるように、一夫一妻は非モテの男に有利で、一夫多妻はモテの男とすべての女性に有利な制度です。それにもかかわらず伝統的なフェミニズムは、一夫一妻を「女性の権利」と頑強に主張してきました。多くの(非モテの)男は、この「勘違い」によって救われてきたのです。

インセルの危機感は、価値観の変化によって「恋愛格差」が広がり、この「安全弁」が失われつつあるからでしょう。「反フェミニズム」がネトウヨと親和的な日本でも、これは同じかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年3月4日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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