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首相の妻をめぐって議論が空回りする理由

橘玲作家
(写真:ロイター/アフロ)

当初はささいなことと思われていた森友学園問題は、理事長の国会での証人喚問で一気にヒートアップしました。密室での献金や講演料の授受は水掛け論としても、疑惑が公になったあとも首相夫人が副園長(理事長夫人)と頻繁にメールのやりとりをしていたことや、小学校を建てる国有地の借地期間の件で理事長が直接、首相夫人に電話をかけ、経産省から出向していた秘書官が財務省に照会し、回答をFAXしていたことは大きな衝撃でした。政府はこれまで首相夫人を「私人」と説明してきましたが、民間人からの依頼を官僚に処理させていたことでこの理屈は破綻しました。

この件で不思議なのは、首相官邸がメールやFAXの存在をまったく把握できていなかったらしいことです。これはようするに、国家の危機管理を担う日本国首相は、妻がなにをやっているかまったく知らないし、その行動をなんら「管理」できていないということでしょう。この驚くべき事実は、最近では永田町界隈で「アベノリスク」と呼ばれるようになったようです。

ところがこのことが、首相の責任をめぐる保守派とリベラルの議論を混乱させています。

強大な国家権力の頂点に立つ首相の職責とは、多様な利害の調整だけでなく、自らの決定に国民を従わせることです。その首相が自分の妻すら「管理」できないとすれば、国民がそのマネジメント能力に疑念を抱いたとしても当然でしょう。

これと同様のことが旧民主党政権時代に起きたとしたら、「日本社会の根幹はイエ制度」と信じる保守派のひとたちは、「家庭を管理できない奴に国家の管理が任せられるか」と大騒ぎしたでしょう。しかし今回は当事者が保守派の“期待の星”なので、「夫婦関係は私的なこと」として無視をきめこんでいます。民進党代表の家族がテレビで紹介されたときは、「夫をヒト扱いしない人が国民をヒト扱いするのか?」とバッシングしたことを思えば、目を覆わんばかりのダブルスタンダードです。

その一方で、首相を批判するリベラルの側にも頭の痛い問題があります。彼らの理屈では夫と妻は独立した人格ですから、妻の不始末の責任を夫がとる(あるいはその逆も)ことなどあってはならないのです。首相に妻を「管理」する責任などなく、首相夫人がどれほど“公権力”を濫用したとしても、夫である首相がそれを知らなかったのなら、「困った妻に翻弄されるかわいそうな夫」というだけのことなのです。

「真に日本国を支える人材を育てる」小学校の開校について、政府は一貫して政治的圧力はなかったと主張していますが、首相夫人が名誉校長に就任し、理事長が有力な国会議員や大阪府議会議員に働きかけているのですから、これが「政治案件」であることは誰でもわかります。副園長とのメールのやりとりを見ても、首相夫人はたんなるつき合いで名誉校長を引き受けたわけではなく、その教育理念に共感し同志的つながりを持っていたことは明らかです。

しかしこのように首相夫人の責任が前面に出てくるほど、「夫婦の連帯責任」を問わずに首相を追及するのが難しくなってきます。これが、首相の責任をめぐる議論が空回りしていうように見える理由なのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2017年4月3日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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