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ボスニアでナショナリズムについて考えた

橘玲作家

6月16日午前0時。ボスニア・ヘルチェゴヴィナの首都サラエボの中心にあるショッピングセンター前は群集で埋め尽くされていました。多くは20代の若者ですが、高齢者や女性の姿も混じっています。

広場に据えつけられた巨大なモニターにブラジルのサッカー会場が映し出されると大歓声があがり、発炎筒が焚かれ、花火が何発も打ち上げられました。ワールドカップの舞台にボスニア国歌が流れる歴史的な瞬間が訪れたのです。

ユーゴスラビア解体で1992年から95年まで続いたボスニア内戦は、20万人の犠牲者と人口の半分に迫る200万人もの難民を生み出しました。これはセルビア人、クロアチア人、ムスリムの“民族紛争”とされていますが、彼らはもともと異なる民族ではなく、南スラブ人として同じ容姿、同じ言葉、同じ文化を持っています。

そんなひとびとを隔てるものは宗教です。地域性や歴史的経緯から、バルカン半島の北西部ではセルビア正教、カトリック、イスラムの3つの宗教が広まりました。しかしこれは、“宗教紛争”ともいえません。400年以上にわたったオスマントルコ統治下でも宗教間の軋轢はありましたが、凄惨な殺し合いは起きませんでした。

ボスニアの悲劇は近代のナショナリズムによってもたらされました。国民国家とはそれぞれの民族(ネイション)が自分たちの国(ステイト)を持つという政治上の工夫(虚構)で、これによってフランスやイギリス、すこし遅れてドイツなどが国民皆兵の強大な軍事国家となり世界に覇を唱えました。ところがボスニアのように民族的なアイデンティティがあいまいな地域では、隣国(セルビアやクロアチア)の極右民族主義の扇動によって社会は混乱に陥ってしまうのです。

昨日までの隣人が突然“敵”に変わったときにひとびとをとらえたのは恐怖でした。「奴らが自分や家族を殺しにくるかもしれない」という恐怖から逃れるもっとも簡単な方法は、「奴ら」を自分たちの縄張りの外に追い出してしまうことです。

ところが、ここにはひとつ大きな問題があります。それとまったく同じことを、相手も考えているのです。

戦争とは国家の軍隊同士が戦うことで、戦闘員と市民は区別されています。ボスニア内戦の悲劇性はこの区別がなくなり、ごくふつうの市民が銃をとって隣人たちと殺し合いを始めたことでした。その結果、誰が戦闘員かわからなくなり、捕虜となった数千人の成人男子全員を処刑するというジェノサイドが引き起こされました。

膨大な犠牲者を出したのち、内戦は欧米の介入によってセルビア人地区(スルプスカ共和国)とムスリム・クロアチア人地区を分離することでようやく終息しました。このときサラエボはムスリムの居住地区とされ、セルビア人は町の東側の山麓部でまったく隔絶した暮らしをしています。ボスニアのすべての国民がワールドカップに熱狂していたわけではないのです。

初戦はアルゼンチン戦で、開始早々にオウンゴールがあったもののその後は善戦し、後半には「歴史的な初ゴール」が生まれました(イラン戦で「歴史的な初勝利」もあげました)。

その瞬間、広場に集まったひとびとは狂喜乱舞し、声をかぎりにボスニアの応援歌を歌いはじめました。それは感動的な光景でしたが、その一方で「民族」の持つ魔性を思わずにはいられませんでした。

『週刊プレイボーイ』2014年7月7日発売号

禁・無断転載

ワールドカップ会場にボスニア国歌が流れると、発煙筒が焚かれ花火が打ち上げられた(サラエボ市街)
ワールドカップ会場にボスニア国歌が流れると、発煙筒が焚かれ花火が打ち上げられた(サラエボ市街)
作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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