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学校はいじめを前提に成立している

橘玲作家

文部科学省がいじめ対策として、全国の中学校にスクールカウンセラーを配置すると発表しました。しかしこれで、いじめ問題は解決するのでしょうか。

「子供の『命』を守るために」との副題がついた文科省の「取組方針」には、「いじめは決して許されないことである」とあります。しかしいじめの根絶を目指すのは、子どもに人間であることをやめろというのと同じです。

ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競い合いながら仲間意識を高めていくよう生得的にプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5~10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に分かれたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けることになります。

集団が成立するためには、「仲間」と「敵」を区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間はずれにしたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。

いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的に根絶できません。子どもを強制的に一カ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。

子どもには、「俺たち」と「奴ら(自分たち以外)」を分ける本能があります。クラスが男と女でグループ化するのは異なる性を「自分たち以外」に分類するからですが、じつはそれ以上に明確な境界線があります。それが、「子ども」と「大人」です。

どのような子どもでも、大人を「敵」もしくは「他人」と感じています。仲間の秘密を教師にチクることはもっとも不道徳な行為で、この規範を侵すと子ども集団全体から排除されてしまいます。教師であれば誰でも身に染みて感じているでしょうが、仲間同士のトラブルを生徒に「相談」させることはきわめて困難なのです。

スクールカウンセラーが機能しているように見えるのは、不登校のような家庭問題を扱っているからです。大人が自分たちの集団に介入してこなければ、ほかの生徒は興味を持ちません。だがいじめは子ども集団の秘密そのものですから、いじめられている生徒が自分から相談に来ることはないし、無理に相談に乗ったとしてもその生徒をより追いつめることにしかならないでしょう。

効果的な“いじめ対策”があるとしたら、いじめを前提としたうえで、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。そのうえで、暴行や恐喝のような犯罪行為には、犯人を学校から排除(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にできるわけがありません。

文科省によれば、「いじめ対策関連事業」の概算要求案は前年度より27億円多い約73億円になっています。このようにして、税金は無意味に使われていくのです。

『週刊プレイボーイ』2012年9月24日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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