日本は「失われたX年」をいつまで続けるのか?
失われた10年、失われた20年、そして失われた30年。日本は「失われたX年」と何度もいわれてきた。その都度、日本の問題点や課題が指摘され、日本を待ち受ける厳しい状況や危機が叫ばれてきた。だが、変化・改革への試みはあったが、残念ながら根本的に改善された状況にはなっていないし、深刻な状況が日本社会全体で真剣に共有されたという感もない。
筆者は、東京新聞日曜版の大図解の特集で、担当記者の方とこの問題について取り組んだ(注1)。そして、その作業は、たまたま偶然に別件で、この30年の日本の状況についてデータなどを調べたこととオーバーラップする機会ともなった。
筆者は、日本の置かれた状況が厳しいと長らく感じてきていたし、折に触れて個々のデータや情報には触れてきていた。またコロナ禍が起きる前は、中国やイスラエルなどの先進的部分なども訪問していて、日本が遅れてきていることを実感してきていた。
しかしながら、今回多くのデータなどを調べて、日本が、この30年、特に2000年に入ってからのこの20年で、非常に厳しい状況や環境にあることを改めて強く再認識させられたのである。
日本は、安定し、安全でそれなりにいまだ豊かであるのは事実だ。だが、そのように感じ、安心している間に、海外の国々や地域は猛烈に学び、進展・発展してきているのだ。そうこうしている間に、日本は、国際的にみると、いつの間にか、必ずしも先進国ともいえず、アジアにおいてでも2番手、3番手の国になりつつある状況になってきているのである。
つまり、日本は、今ももちろん良い面やユニークな面もあるが、海外から注目され、海外から人々が訪れる「日本は素晴らしい国、良い国」と高らかに主張し、他国をディスって安穏に過ごしていけるような状況ではなくなってきているのである。
筆者が最も危惧することは、2000年代の前半は国内にまだ改革への志向や試みがあったが、2010年代以降はその志向や試みさらにそれらに対する期待や意欲も雲さ散霧消してしまい、形式的なものはともかく、実質的な変化や変革に向かっての動きがなくなってきていることである。日本社会や日本人は、今の日本の状況に満足してしまっているように感じるのである。特に政治や行政でそのことを強く感じる。変化がないところに、変革も改革も起きるはずはないのである。
もうそろそろ、「失われたX年」という言葉を使うのを止めにしようではないか。そのためには、日本社会および日本人が、現状をまずリアルかつ的確に理解・認識し、この社会・国を変えられるのは自分たちだけであるという自覚をもち、それをより良いものにするための意欲と覚悟をもつことが必要だ(注2)。そして、この社会・国に住み、従来は必ずしもそこにおいて意志決定などの立場に参画できなかった方々も含めた多様な人材(世代や性別などは当然として、海外の人材にも参画していただいて)にも参画してもらい、多種多様な試みや対応に果敢にチャレンジしていくことが必要だ。
そうすれば、日本は新しい可能性や方向性を必ず見出していけるだろう。日本は、そのようなポテンシャルを有していると確信している。
(注1)次の記事等を参照のこと。
・記事「データで見る 失われた(失った?)30年」(東京新聞日曜版大図解No.1613、2023年5月28日)
・関連動画(後日掲載)
(注2)欧州最高峰の知性といわれるジャック・アタリ氏は、次のように指摘している。
「『積極性経済指数』について話したことに目を向けると、私たちは最下位の国の一つで、もっと上位に行きたいと思っています。例えば、日本がこう考えたとしましょう。『今はOECDの積極性指数で現在は44位、45位だけれども、15年後は10位までに入りたい。何をすべきだろうか、それは可能だろうか』と。もしそれを実行すれば、日本はポジティブな国になれますし、いい状態になれます。ですが、日本が気にせず、積極的指数のすべての指数でひどい状態であり続けたら、悪い状態のままです。この『積極性指数』には、国の借金、人口統計、(政治の)腐敗、女性の地位などがあります。」(出典:『「世界の知性」7人、未来への提言』、大野和基&ジャパンタイムズ編、株式会社ジャパンタイムズ、2018年、pp.179)