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憲法・・・政治・政策リテラシー講座6

鈴木崇弘一般社団経済安全保障経営センター研究主幹

憲法改正が、最近話題になってきています。では、そもそも憲法とは何なのでしょうか。

日本でも聖徳太子が作成したといわれる「十七条憲法」が古代にあったように、専制君主国家などを含めた近代以前の社会でも、「憲法」はさまざまな形で存在してきました。ただ、近代以前では、権力者の側の自由度が高く、国民などにかなり抑圧的で一方的な政治が行われることも多かったのです。その後、そのような権力者の横暴などに対して、市民や国民などが立ち上がり、基本的人権などを獲得してきたのです。

そのような歴史を経てつくられるようになった近代憲法は、権力者が守るべきことを定めており、国家の権力から国民などの権利などを守る存在に発展してきたのです。つまり、憲法は、権力者よりも上位にあって、権力者に歯止めをかけているのです。このような考え方を「立憲主義」と呼ぶわけです。

憲法には、当該国の国家を治めていくための基本構造が定められていて、権力者は、そこに書かれたことに基づいて国を治めていくわけです。また、権力者の側が奪ってはならず、守っていくべき権利や条件などの普遍的な価値や権利なども書かれています。つまり、「統治のあり方」が定められているわけです。

これをさらに別のいい方をすると、憲法は、国民と権力者の間の契約であり、権力者が国民に対して約束し、実現するべきことが書かれているわけです。また国家は、憲法に書かれている以外の権限を行使することはできないのです。そして憲法は、いかなる法律よりも、いかなる権力(者)よりも上位に位置しているわけです。

このような近代憲法の性格から、憲法には、国民の権利が多く書かれており、義務については限定的にしか規定されていないということになるわけです。

このような近代憲法や立憲主義は、欧米のもので日本の歴史とは異なるので、日本には日本独自の憲法の考え方があるというような意見があります。しかしながら、次のようなことも思い出すべきでしょう。

日本が近代国家になるべく邁進していた明治時代、近代憲法である大日本帝国憲法(注1)が制定される前の最終段階の会議において、伊藤博文首相(当時)は、権利条項を不要という主張に対して、「憲法ヲ創設スルノ精神」として、「第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」と反論したそうです(注2)。つまり、日本の近代憲法も、欧米の考え方に基づいて制定されてきているという経緯と歴史があるわけです。

このように考えていくと、近代憲法や立憲主義の考え方は、主に欧米の近代の歴史から生まれものですが、日本の近代憲法も同様の考え方に基づいて構築されてきているわけです。そして、世界のほとんどの国々でもこの考え方は踏襲されてきているのです。正に人類の歴史の産物と考えていいわけです。

今後、日本国憲法の改正の問題がますます現実の議論に上がってくることが予想されますが、以上に述べたような憲法そのものの問題や人類および日本の歴史も踏まえて、十分かつ的確に議論を行い、結論を出していくことが必要であると考えられます。

(注1)現在の日本国憲法の改正以前の憲法です。明治憲法と呼ばれることもあります。

(注2)『いま「憲法改正」をどう考えるか』(樋口陽一著、岩波書店、2013年)p16~p17参照。

一般社団経済安全保障経営センター研究主幹

東京大学法学部卒。マラヤ大学、イーストウエスト・センター奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て、東京財団設立に参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・フロンティア研究機構副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立に参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。㈱RSテクノロジーズ 顧問、PHP総研特任フェロー等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演等多数

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