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風評にも揺るがず、福島のピッチに立つ ドイツから来た20歳のストライカー、「僕は自分の目で判断する」

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
福島ユナイテッドでプレーするエメル・トカチ(筆者撮影)

福島県にプロサッカークラブがある。そう伝えると、ドイツ人の友人は驚いていた。そんな普通の暮らしがあるとは、といった反応だった。すでに東日本大震災から5年が経っていた頃のことだ。

「ほら、見てよ」。そのクラブにプロ選手としてドイツからやって来た若者は、スマートフォンに「Fukushima」と打ち込んで、検索結果をこちらに見せた。画面のトップに表示されていたのは、事故発生当時の福島第1原発の写真だった。

エメル・トカチは今、福島ユナイテッドFCの一員としてプレーしている。昨年の夏に湘南ベルマーレへ加入し、期限付き移籍で福島へやって来た。

幼少期からドイツのレヴァークーゼンで育った。そのトップチームから今夏に7100万ポンド(約99億円)と言われる移籍金で英プレミアリーグのチェルシーへ移籍したカイ・ハヴァーツはアカデミーでの1学年先輩で、ともにプレーした。

前述のとおり、ヨーロッパでは今でも福島に対する誤解、偏見が根強いようだ。2012年にはフランス国営テレビのバラエティ番組が、同国代表と対戦して1-0の完封勝利に貢献した日本代表GK川島永嗣の腕が4本あるように写真を合成し、「フクシマ(第1原発の事故)の影響ではないか」と揶揄したことがあった(この発言はフランスを含む欧州でも問題視された)。

日本からの距離に比例して、欧州では風評がねじれを増しているようだ。そうした状況ながら、名門で育ったエリートはどうして、どんな思いで福島へとやって来たのか。染まり始めた紅葉と、うっすらと雪をかぶった遠くの山頂が美しいコントラストを描く福島市郊外、飯坂温泉近くのクラブハウスで話を聞いた。

きっかけは日本期待の若手とのプレー

ドアを開けて入ってきた瞬間から、エメル・トカチは全身からフレンドリーさを放っていた。「日本は素晴らしいね。生活でも、困ったことは一度もないよ」。日本での、福島でのプロフットボーラーとしての日々を楽しんでいる。

筆者撮影
筆者撮影

遠い異国でプロ選手になるきっかけは、年代別日本代表のある選手だった。

「レヴァークーゼンU19でプレーしている頃、日本から来た選手が練習に参加したんだ。セレッソ大阪のジュン…、そうジュン・ニシカワ(西川潤)。僕らと1、2回一緒に練習をして、1試合に出場した。ジュンと僕は練習試合で、一緒にプレーしたんだ。僕は2、3点決めて、ジュンは僕のアシストから1点決めた。その時、日本人の代理人が僕を見ていて、『日本に行く気はあるかい?』と聞いてきたんだ」

トカチは現在、元日本代表FW本田圭佑の実兄である本田弘幸氏が設立した会社に、日本での代理人業務を託している。前述の試合でトカチに興味を持った同社のスタッフが、レヴァークーゼンと湘南ベルマーレ、そしてトカチをつないだ。その結果、湘南からのオファーへと発展したという。

――日本行き以外の道は考えなかった?

「U19が終わった後、初めて来たオファーが湘南からのものだったんだ。湘南というクラブを見てとても気に入ったし、クラブも僕を気に入ってくれたので、契約を結んだ。Jリーグも日本のことも、とても気に入っている。実際に来て、目にして、気に入ったんだ。湘南、平塚地域のあらゆるものが好きになった。だから、決断するのは簡単だったね。喜んでサインしたよ。これはすごいチャンスだ、って思ったんだ。

湘南に来た後、トルコからオファーが届いた。練習に入る前に、(トルコ1部の)アンタリヤスポルがオファーをくれたけれど、もう日本に来ているし、契約を結んだと伝えた。練習参加するように言われたけど、断ったよ」

体験して驚いたJリーグのレベル

来日後、助けが2つあったという。1つは「6歳半か7歳の頃から12年間、U8からU19まですべてのカテゴリーでプレーした」というレヴァークーゼンでの教育だ。「欧州でも有数」と誇らしげに話す育成組織での成長の証拠に、ルーツがあるトルコとドイツのU-15、U-17代表に選ばれてもいる。トップ昇格はならなかったが、「確かに、あのクラブでプレーを続けるのはとても難しいことだけれど、受けられる教育はとても素晴らしいもの。だから、日本に来ても問題なかった」と感謝する。

もう1つ大きかったのが、来日当時にチームを率いていた「湘南スタイル」の生みの親、チョウ貴裁監督(現流通経済大学サッカー部コーチ)の存在だ。ドイツのケルン体育大学で学んだチョウ監督とは、ドイツ語でコミュニケーションをとれた。

「日本とドイツのサッカーは少し違うから、最初はちょっと苦労した。例えば日本のサッカーはとても技術が高くて、あまりミスがないけれど、ボールを持っても安全なプレーをすることが多い。ドイツではもっと戦術的で、フィジカルの要素が強く、チョウさん寄りなんだ。湘南が僕に合った理由もそこにある。日本的であり、ドイツの要素も少しある。だからこそ気に入って、僕は日本に来たんだ」

――チョウさんとはどんな話を?

「君なら日本でプレーできるよ、って言われた。まだ若いから当然もっと学ばなければいけないけれど、動きも技術もシュートも良いから、って。チョウさんの下で、(加入直後のリーグ戦とコパ・スダメリカーナの)2試合に出場できた。練習ではいつも話をしてくれて、良いところやもっと伸ばすべき点を教えてくれた」

ただしチョウ監督が退任すると、J1残留争いに苦しむチームとともに風向きが変わった。出場機会の増加を望むトカチは今季、湘南と提携関係にある福島ユナイテッドへの期限付き移籍を選んだ。

J1から2つ下のカテゴリーへ。初めて体験するJ3には、良い意味での驚きがあったという。

「Jリーグのレベルは高いと思う。J2もJ3も、映像で見ているとそれほどのレベルには見えないけれど、スタジアムで見ると、とても良いね。プレーや動き方など、とても良い。

福島にも、とても驚かされた。ここに来る前は、J3はあまりレベルが高くないと思っていたけれど、今ならばプレーするのがとても難しいということが分かる。若い僕にとっては、とても良いことだね。毎日、毎回の練習でどんどん学び続けているよ」

――J3が難しい点は?

「J3も含めて日本のプロリーグでは、すべてが速い。ボールを持つと、あらゆるところからプレッシャーをかけられるから、その前に考えて、何か行動を起こしておく必要があるんだ。ボールを持っても時間の余裕がないから、いつも困ってしまう。でも、パワーやシュート、動きといった僕の強みがあれば、ここで学んでさら高いレベルに行けると思う」

福島で懸命に力を磨く(筆者撮影)
福島で懸命に力を磨く(筆者撮影)

福島行きに難色を示した家族

福島に向かうにあたり、1つの問題があった。原発事故が起きた「フクシマ」行きに、家族が難色を示したのだ。

「2011年の爆発で、世界中の人が福島を知ることになった。だから僕がここに来た時、皆が同じことを尋ねてきた。『安全なの?』『病気になるかもしれないんじゃない?』ってね。僕も以前はそう思っていた。メディアやインターネットで『Fukushima』という言葉に続くのは、2011年の様子なんだ。家族も友人も、それに僕自身も含めて、福島は危険な場所だと思っていた。家族は福島行きにダメだとは言わなかったけれど、本当に安全か、どんな様子かと聞いてきた」

これが、世界の認識なのだろう。日本国内でさえ、今も風評被害は消えていないのだから。

――実際に来る前の福島の印象は?

「福島のことは何も知らなかった。Fukushimaと打ってググったり、インターネットを見てみると…。ほら、見てよ。最初に出てくるのは、2011年の出来事。こういう画像が、まず目に入ってくるんだよ。すると最初は、ああ、そうか、そういう場所なのかって思ってしまう」

インターネットが利便性を増すほど、人は弱り、安易に流されやすくなる。まるで、思考を奪われたかのように。

「でもその後で、自分自身に言い聞かせたんだ。これは単なるインターネットだ、ってね。時にインターネットは信頼に足らないことがある。僕には、自分自身で足を運んで、自分の目で見る必要があるんだ。今なら、そう言える。ただ写真を見るだけで判断するのは間違いだ。自分で足を運んで、自分の目で見て、知るべきだ、って。

福島は素敵なところだよ。だから、ここに来ることは僕にとって何の問題でもなかった。あんな画像を最初に見たら、例えばチェルノブイリのようなところだと思ってしまうかもしれない。でも実際に行ってみれば、そうじゃないことが分かる。だから自分で行ってみて確かめる必要があるし、僕はそうした。日本に来た時もそうだった。湘南からオファーが来た時にね」

湘南行きを決断したのは、「実際に来て、目にして、気に入った」から。J3のレベルも、スタジアムで目にし、実際に触れることで誤解に気付いた。

「ドイツでは、日本のことはあまりよく知られていないんだ。周りからは『本当に日本に行きたいの?』『日本はどんな感じ?』『日本人はどんな人たちなの?』って聞かれた。僕は『知らない』って答えていた。だからこそ、日本に行きたかったんだ。気に入れば暮らせるし、そうでなければ帰ってくればいい。でも、とにかく僕に見させてほしい、って」

ドイツにいた18歳の頃、日本のクラブが興味を寄せていると聞かされても、浮き足立つことはなかった。「まずはオファーがないと」と、“実物”にこだわった。

「僕はいつも、誰かが何かを言った時、あるいはインターネットで読んだ時、これは間違いかもしれないと考える。僕は自分の目で見てから判断を下したい人間なんだ。誰かが言ったことを、ただ繰り返すようなことはしたくない。だからこそここへ来たし、平塚、東京、そして福島、どこであろうとも僕は行く」

父の置き土産

家族には福島の写真や動画を送って、何の問題もないことを理解してもらった。「いろいろな動画を撮影したよ。飯坂温泉もね。ドイツの人は温泉のことをあまり知らないんだ。『どんな感じ? すごく良さそうだね、リラックスするには最適だろうね』と言っていたよ。これが日本の文化で、僕は本当にとても気に入っていると伝えた」

福島行きの問題はなくなったが、カテゴリーが下のJ3に来たからといって、すべてが自動的にうまく回り始めるわけではない。それもまた、現実だ。

開幕戦からメンバーに入ったが、出場時間が短い時期が続いた。今でも、相手を背負った状態からシュートに持ち込む練習がうまくできず、地面を蹴り上げることもある。

シュート練習がうまくいかず、ちょっとすねる(筆者撮影)
シュート練習がうまくいかず、ちょっとすねる(筆者撮影)

しかし、「ここで頑張らなければいけないよ、たくさん学んで、もっと良い選手にならなければいけないよ、と言われたんだ」。胸に大事にしまっている言葉は、父の置き土産だ。

当初は息子のフクシマ行きをしぶった父は今年2月、息子が選んだ街へとやって来た。息子の成長と福島の安全を確認して1カ月後、帰途に就いた。両親と、3人の妹と。少なくとも今、ドイツには福島ユナイテッドのファンが5人いる。

18歳で来日した若者は、20歳になった。歳を1つ重ねた今年10月、先発の機会とゴールが一気に増えた。「ハードワークした結果だと思う。いつもチームを助けたいと思っているからね」。自ら選んだ挑戦の地での日々が、実を結び始めている。

「僕は日本にいて、ここで学んでいる。まだ若いし、学ぶべきことがたくさんあるんだ。すべてがうまく行ったら、日本で次のステップを踏み出したい」

エメル・トカチの冒険は続く。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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