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川崎フロンターレ1998→2017 極私的トリロジー(1) 「鬼木世代」

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

あなたの世代は?

メディアでよく目にする、「●●世代」というくくり。野球界ならば、最近よく目にするのは、引退する選手が増えてきた「松坂世代」か。それぞれの人の心の中に、たとえ直接触れ合わないスポーツ選手や有名人との間にも、そういう“同期”としての結びつきはあるはずだ。

「不作の年と言われましたからね」。日本代表でもプレーした平野孝さんは、そう言って苦笑した。同い年で、名前も漢字まで一緒。だから勝手に応援していたんですよ。2006年に横浜F・マリノスに移籍してきた平野さんに、そう話した時のことだ。

「Jリーグ1期生」と言ってもいい世代だ。1993年春に高校を卒業、つまりJリーグ元年(カップ戦は1992年からスタート)に高卒1年目だった栄えある“ルーキー”たちである。

野球界で言えば、日米で活躍した松井秀喜さんも同い年にあたる。サッカー界では誰がいるかと問われれば、いつも挙げていたのが前述の平野さん、同じ日本代表ならば三浦淳寛さん。1996年のアトランタ五輪でブラジル代表を下すゴールを決めた伊東輝悦選手も、そうだった。

だが、最後に「鬼木達」の名を挙げると、相手が首を傾げることも少なくなかった。

市立船橋高校から鹿島アントラーズに入団。エリート街道である。だが、経験ある名手をそろえて優勝を争う強豪の鹿島では、なかなか出番に恵まれなかった。

1997年には、川崎フロンターレへと期限付き移籍で加入。鹿島へ復帰した1年間を挟んで、当時J2の川崎に完全移籍で戻ってきた。

決して目立つプレーではなかったかもしれないが、中盤の底で周囲の状況を常に把握して、ボールのあるなしに関わらず、的確なプレーを選択した。ピッチ外では、「中学の頃は、親にも迷惑かけました」という言葉を聞いても、やんちゃな昔など想像もつかないくらい、穏やかに話す選手だった。

周囲の状況をよく理解して、控えめで。だからだろうか、まさに川崎にとって悲願の初タイトルをもたらした監督ながら、チーム内におけるメディア露出のパーセンテージは、あまり高くなかったように感じる。いや、むしろ鬼木監督らしかった、と言えるのかもしれない。

新しい世代と時代

フロンターレ一筋の中村憲剛や、リーグ最優秀選手賞と得点王のダブル受賞を果たしたキャプテン小林悠らにスポットライトが当たったのは当然だ。だが、鬼木監督の言葉が、額面通り以上の意味を持って響いた。

前身の富士通川崎時代にプレーしていた高畑勉さん、2004-05シーズンにプレーした相馬直樹・現町田ゼルビア監督という「OB監督」はいた。だが、「フロンターレというクラブ」でJリーグ100試合以上戦った“生え抜き指揮官”として大きな成功は、もしかしたら初タイトルという事象以上の大きな意味をクラブの今後にもたらすように感じる。

「フロンターレの歴史が動き出した」と、鬼木監督は語った。だが、新たな時代を開いたのは、この43歳の指揮官であると思う。

川崎は昔から、家族的な雰囲気を持つクラブだった。そこで育ったリーダーの成功に、次なる世代が続こうとするのは、ごく自然なことだ。そういう流れを、鬼木監督がつくったのだ。

日本サッカーリーグではなく、Jリーグだけで選手としてプレーした世代が、Jリーグで指揮を執る時代になってきた。今年なら、日本代表で背番号10を背負ったジュビロ磐田の名波浩監督や、最終節までJ1首位に立っていた鹿島アントラーズの大岩剛監督らが、「筆頭世代」か。

鬼木監督は日本代表経験者もいる同期の中で、今や「世代筆頭」に躍り出た。さらには先輩世代とわたり合い、クラブ内にも次なる世代にとっての目標を高く掲げた。

昭和49年度生まれ。自称「49ers」の一員として、来季の行方も勝手に楽しく見守りたい。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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