なぜ彼女は男の部屋に行ったのか。じっとり描写が恐怖を増幅する監禁スリラー『ベルリン・シンドローム』
ケイト・ショートランド監督の『ベルリン・シンドローム』(原題:Berlin Syndrome)は、気になりつつも、二の足を踏ませる作品でした。一人旅の女性が、異国の地で出会った男の部屋に監禁されてしまう。そのシチュエーションゆえに、おどろおどろしい世界が描かれているのではないかと不安を抱かせたからです。
けれども、これは丁寧で繊細な描写で息詰まらせる上質な心理スリラーでした。
撮影旅行でベルリンを訪れたオーストラリア人女性クレア(テリーサ・パーマー)は、ふとしたことから言葉を交わした地元の男性アンディ(マックス・リーメルト)に街を案内してもらううちに惹かれあうものを感じるのですが…。
彼の部屋で一夜を過ごした彼女は、やがて自分が監禁されたことに気づきます。
もちろん脱出を試みるものの、なんとアンディが日々を過ごしている住居自体が、外に声の届かない監禁部屋。はたして、彼女はいかにしてこの部屋から脱出するのか。いや、そもそも、ハリウッドなエンタメ系スリラーではないだけに、彼女が生きて逃げ出せるのかすら疑わしい。このリアルに抱いてしまう嫌な予感が、さらにサスペンスを高めます。
とはいえ、抵抗さえしなければ、クレアは部屋の中で普通に過ごすことができる。ストックホルム・シンドロームを連想させるタイトルからもうかがえるように、監禁生活が続くなか、生き延びるために彼女の心理も態度も変化していくのですが、この作品の面白さは、加害者であるアンディについても丁寧に描いていることにあります。
クレアを監禁しておきながら、普段どおりに仕事に出かける彼の生活のみならず、家族との関係性も描かれる。そんな日常風景や同僚への言動から静かに浮かびあがってくるのが、一見好人物のアンディが抱える闇や異常性。
もちろんスリラー映画お約束の「そっちに行っちゃ駄目!」的な展開もありますが、クレアとアンディの両者が丁寧に描かれていることで、観客は絶叫系のスリラーとは違う、じわりと迫る不気味さに引きこまれることに。
しかも、この作品、ツカミがうまい。
なぜ、旅行中のヒロインが、女性を監禁するような男の部屋に行ってしまうのか。
試写状を手にしたときは、そこに納得できるのか疑問だったのですが、観て納得。クレアを待ち受ける事態を知っていても、これが監禁スリラーだということを忘れてしまうほど、アンディとの出会いが魅力的なのです。
ウィットに富んだ会話と誠実そうな様子で心を開かせる一方で、ときおり繊細さをのぞかせるアンディ。写真集の出版を夢見るクレアの真面目で内気な風情とあいまって、出会ったばかりの2人が過ごす時間には、旅先で生まれたラブストーリーが始まるかのような情感に溢れているのです。アンディの愛撫を受けたクレアの表情に一瞬浮かぶ違和感や、ベッドシーンに流れる電子音風の不穏な音楽を抜きにすれば…!
それでいて、この先、クレアの身に起こることをわかっている観客としては、ベッドで彼女に寄り添うアンディが口にする言葉に、女性と永続的な関係を結べなさそうな彼の本質をかいま見て、サスペンスが静かに高まっていく。
そもそも、アンディがクレアに話しかける前の出来事も、偶然ではなく、意図的に起こされたものなんだろうなと想像させる。そんな出会いのディテールまで注視せずにいられなくなる作品は、旅先に限らず、どこにでも潜んでいそうな危険への警戒心を改めて呼び起こしてもくれるはず。
新宿武蔵野館、渋谷シネパレスほか全国公開中
(c)2016 Berlin Syndrome Holdings Pty Ltd, Screen Australia