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大麻は「麻薬」なのか?―大麻取締法改正問題―

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:イメージマート)

■はじめに

今の国会に大麻取締法改正案が提出されている。

この改正案で注目すべきは、大麻が麻薬及び向精神薬取締法(麻向法)における「麻薬」に分類されたことである。この改正が実現すれば、現在は処罰規定が存在しない「大麻使用」という行為に、既存の「麻薬施用罪」(7年以下の懲役)が適用されることになる。

■「麻薬」という言葉

一般国民が「麻薬」という言葉ですぐに思い描くのはアヘンやモルヒネなどだろう。そこには独特のたいへん恐ろしい響きがあり、必ず否定的意味をもって受け取られている。たとえば広辞苑では次のように説明されている。

  • 「麻酔作用を持ち、常用すると習慣性となって中毒症状を起こす物質の総称。阿片・モルヒネ・コカインの類。麻酔剤として医療に使用するが、嗜好的濫用は大きな害があるので法律で規制」(広辞苑第6版)。

「麻薬」という言葉はギリシア語で睡眠を意味する「narkos」に由来し、眠気を誘発する物質およびその関連物質のことである。したがって、コカインや覚醒剤は「麻薬」ではない。それらは「麻薬」とは正反対の覚醒効果があり、使用者が活動的になるからである。これらを「麻薬」と呼ぶのは、コーヒーや抹茶を麻薬と呼ぶくらい違和感がある。

しかしそもそも「麻薬」(narcotic)という言葉には明確な定義は存在しない。医学的には、昏睡、昏迷、または痛みに対する無感覚を誘発する物質が「麻薬」と呼ばれているが、当然のことながらそこには道徳的な否定的意味は含まれていない。

しかし、これが他の分野の定義と一致しているかといえばそうではないのである。とくに法的定義はあいまいであり、規制という観点からどこの国でも「麻薬」という言葉が処罰を拡大する方向で使われる傾向がある。

  • ちなみに麻向法第1条にいう「麻薬」については、次のような説明がなされている。
  • 「一般には、微量でも著しい鎮痛作用、麻酔作用があり、反復継続して使用することにより精神的又は身体的な依存性(引続きその薬物を使わずにはいられないような状態、psychic or physical dependence) を生じさせやすく、その使用を中止した湯合にいわゆる禁断症状を呈することの多い薬物をいうもの」(千葉裕『麻薬及び向精神薬取締法』注解特別刑法5-1、医事・薬事編(1)〔第二版〕Ⅳ(1992年)7頁)。

この点、今回の厚労省の資料では、単に「大麻等を麻向法における『麻薬』と位置づけることで、大麻草から製造された医薬品の施用等を可能とする。」(太字は筆者)とだけ書かれており、大麻をなぜ「麻薬」と呼ぶべきなのかについて、(ここがもっとも重要な論点の一つだと思うのだが)はっきりとした説明はなされてはいない。大麻が「麻薬」であるのは自明であるかのような前提で改正が進められている。

■麻薬に関する単一条約

大麻を正式に「麻薬」に分類したのは1961年の麻薬に関する単一条約(以下、単一条約)だが、当時なんらの科学的根拠もなく、政治的理由で大麻が「麻薬」に分類された。

重要なのは、この条約の起草が、復興、脱植民地化、そしてアメリカが世界の覇権国家として台頭してきた時期に行われたことである。その裏には、当時国内に深刻な若者のマリファナ問題を抱えていたアメリカの強い影響があったといわれている。

  • この条約は、国際的な薬物禁止の歴史における画期的な出来事であった。単一条約は、1911年のハーグ国際会議以降に導入された9つの薬物取締りに関する多国間条約をすべて成文化し、麻薬原料植物の栽培にまで規制を拡大した。すなわち、アヘンやモルヒネ、ヘロインなどの植物由来の製品のみならず、メタドンなどの合成麻薬、そして大麻、コカ、コカインも「麻薬」に分類されたのである。そして重要なのは、この分類は科学的な分類にもとづくものではなかったことである。
  • たとえば、不正薬物の生産と取引に関する初の国際犯罪を定めたのは危険薬品の不正取引の防止に関する条約(1936年、ジュネーヴ)であるが、その交渉過程で依存症につながる物質から最終的にタバコとアルコールの両物質がリストから除外された。これは交渉していた植民地をかかえる大国にとっては、これらが文化的・社会的に重要な物質であったため、違法薬物取締制度の対象外とされたのである。(KHALID TINASTI, Toward the End of the Global War on Drugs, 2019, p.6)
  • 麻薬単一条約の前文がそれまでの議論の道筋から逸脱していることを示唆していることも重要である。前文は、麻薬への「中毒」は、「個人にとっての重大な害悪であり、人類に対する社会的及び経済的な危険」をはらんでいる。そのうえで、締約国は「この害悪を防止し、かつ、これと戦う締約国の義務を自覚し、麻薬の濫用に対する措置が効果的であるためには、協調して、かつ、世界的規模で行動することが必要」(外務省訳)(太字は筆者)と述べている。同様の言い回しは、以前の条約や単一条約の交渉の際にも見られたが、「」という感情的な用語が最終文書に残ったのはこれが初めてだった。

その後アメリカは、軍事、外交、経済の手段を駆使して、薬物と薬物市場の根絶のために、不寛容主義・懲罰主義を掲げて積極的な阻止、抑止、処罰へと国際システムを規制から処罰へと再構築した。国際社会は、非医薬品薬物とその前駆物質の生産、使用、取引をこの地球上から根絶することに合意し、日本もその例にもれず、大麻事犯を重大犯罪だとみなし、摘発と処罰を強めてきた。

■大麻とヘロインの科学的違い

ところで社会には、流通や使用について社会がほとんど気にする必要のない薬物から、刑罰によって厳しく取り締まられる薬物まで、薬物はさまざまなカテゴリーに分類されている。これらを私たちの頭の中で分けているのはそれらの科学的、医学的根拠ではなく、実はそれらの法的地位である。

大麻にはかなり独特な心因的作用があるため、これを「麻薬」に分類するかは微妙な問題である。覚醒でもなく、抑うつでもない。過剰に摂取した場合は幻覚的作用があるが、ほとんどの使用者はLSDのように幻覚効果を得ることを目的として使用するわけではない。大麻の有効成分であるカンナビノイドは、これらの他の種類の薬物とは異なる方法で神経受容体と相互作用し、複雑な効果を発揮するのである。したがって、科学的にも「麻薬」とは別のカテゴリーに属すると理解した方がよいだろうといわれている。

さらに、大麻についてはその過剰摂取による死亡例は知られていないし、依存症のリスクも比較的低い。他方、ヘロインは、大量に摂取した場合、命の危険がある。また依存症になるリスクも大麻より多く、20数%あるといわれている。

つまり、科学的には大麻とヘロインの危険度はまったく異なるのだが、上記の麻薬単一条約では、大麻はヘロインと同等であるかのように国際的に最も厳しい管理カテゴリーに位置づけられている。そしてその分類が不合理だと思う国も最近は増えてきているが、多くの国は、条約の内容を忠実に自国の国内法に反映させているのである。国によっては、大麻事犯に重罰をもってのぞむところもある。日本も重罰化を進めている。

■薬物に対する恐怖

焦点距離の長いレンズで過去の歴史を眺めた場合、最初は異質なものとみなされ、為政者が怖れを抱いて犯罪化した薬物も、やがて文化に同化し、合法化されていくことが多い。コーヒーは最初は拒絶され、やがて受け入れられていった。タバコは最初厳しく禁止され、やがて受け入れられるようになったが、その害が認知されるようになると再び非合法化される可能性もある。

「麻薬」という言葉を拡張的に使用し、懲罰的態度を強化しようとする考えには、規制が緩めば国が堕落するのではないかという薬物に対する恐怖があるだろう。第一に、規制が緩めば、誰もが薬物を試し、その多くが依存症になるだろうという恐怖がある。しかし、すでに大麻を合法化した国ではそのような事態になっていないことを私たちは知っている。第二に、合法化した国では、薬物を使用するほとんどの人々は、家でリラックスするために大麻を吸ったりしていることも知っている。

2018年に大麻を合法化したカナダは、国として崩壊したのだろうか。アメリカやドイツ、その他のヨーロッパ諸国では大麻規制が緩和される傾向にあるが、それらの国は自滅への道を進んでいるのだろうか。

■結びー比例原則ー

薬物規制に限らず、およそ刑事立法の妥当性を判断する基準として認められている原則に「比例原則」がある。

これは、犯罪と刑罰のことを考える際のもっとも重要な原則であり、ある行為を処罰する場合、その行為が他者や社会に与える損害の重大性と、それに対する刑罰とが釣り合っていなければならないという、刑事立法段階から量刑までを貫くもっとも重要な考えである。また、人の基本的な権利に介入する場合には、それに対する侵害が最も少ない選択肢を採用することが要求される。

薬物犯罪でいえば、刑罰は、人類の健康と福祉を向上させるという薬物規制に関する国際条約が掲げる目的を追求すべきであり、この文脈でどのような薬物対策が比例原理に合致するかの議論を必要としている。

世界の潮流としては、大麻の自己使用やそのための薬物所持の非犯罪化が進んでいる。これは、刑罰を回避することが、大麻規制と量刑慣行の比例チェックを行なった結果である。近年、さまざまな国際機関も大麻の有害性について見直しており、厳しい処罰を回避するように推奨している。

改正案のように、大麻を強引に「麻薬」に分類するような方向性は、比例原則にも反すると思われるのである。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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