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強制わいせつ罪に「性欲を満たす意図」は必要かー半世紀ぶりに最高裁判例が変更になる可能性がー

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
最高裁判所大法廷(裁判所のHPより)

■1■ はじめに

 強制わいせつ罪(刑法176条)は、暴行か脅迫を手段として、被害者にわいせつな行為をする犯罪です(被害者が13歳未満の場合は、暴行や脅迫がなくとも成立)。行為が「わいせつ」であることが要件ですから、「わいせつな行為とは何か?」が論点になります。つまり、行為者が「性欲を満たす意図」で行う違法行為が「わいせつ行為」なのか(必要説)、あるいはそのような主観的な意図は必要なく、客観的に「わいせつ」と評価できる行為が「わいせつ行為」である(不要説)のかということが問題になります。

 この問題について、最高裁は、以前から必要説に立ってきました。先例となったその事案は、犯人が被害女性を報復の目的で裸にして、写真を撮ったというものですが、最高裁は、この行為は性欲を満たすという性的目的のもとに行われたものではないとして、強制わいせつ罪の成立を否定しました(最高裁昭和45年1月29日判決)(以下では〈昭和45年判決〉と略します)。しかし、この判決には、客観的に被害者に性的しゅう恥心を与え、被害者の性的自由が侵害されている以上、犯人の主観のいかんにかかわらず、強制わいせつ罪の成立を認めるべきだとの反対意見(不要説)があり、学説においてもこれを支持する見解は少なくありませんでした。

 そして今回、最高裁に上告中のある事件が、15名の裁判官全員による大法廷で審理されることが決定され、上記の判例が約半世紀ぶりに変更される可能性が出てきたのです。

 大法廷で審理されることになった事件とは、被告人が、7歳の女児にわいせつ行為を行ったとして起訴された事案ですが、第一審、第二審ともに、被告人には自らの性欲を満足させるという「性的意図」はなかったと認定したにもかかわらず、ともに〈性的意図不要説〉に立って強制わいせつ罪の成立を肯定しました(なお、被害者のプライバシー保護のために事件の詳細は省略しますが、本件の被告人に性的意図がなかったという主張には肯定できるものがあります)。そこで、被告人はこの判断が最高裁判例に違反しているとして上告したのでした。

■2■ 問題点はどこにあるのか

 7歳の女児に対する上記のような行為は、はたして行為者の性的意図とは無関係に、客観的に〈わいせつな行為〉だと評価できるのでしょうか。実際には、学齢前のより低年齢の児童に対する強姦罪(強制性交罪)や強制わいせつ罪を認定した多くの裁判例が公刊物に登載されていますが、そのような行為を行為者の主観を考慮せずに客観的に評価すれば、ただただ〈おぞましい行為〉にすぎず、どこにもわいせつな意味合いは認められないのではないでしょうか。行為者に性的意図があるからこそ、これらの行為を〈わいせつ行為〉と評価できるのではないでしょうか。

 本件の控訴審は、被告人の行為を「客観的に被害女児に対するわいせつな行為である」と評価したのですが、これは、裁判所自らが認定に疑いが残るとした「行為者の性的意図」を無意識のうちに前提としているからであって、行為者の性的意図を参照することなしに、このような低年齢の女児に対する加害行為を客観的に〈わいせつ行為〉と評価することはできないのではないでしょうか。これが、私の問題意識です。

■3■ わいせつ行為とは何か?

1.客観的にわいせつと評価される行為は問題ない

 まず、客観的に法に反しない行為ならば、行為者に反倫理的な動機があることを理由に、それを犯罪だと評価するべきではないでしょう。たとえば、客観的には適切な治療行為とされる医療行為を行いながら、医師が内心では性的満足を得ていたとしても、客観的にはその行為は規範に違反するとは認められませんので、その行為を「わいせつ行為」とすることはできません。これは近代法の「法と道徳の峻別」という原理からの帰結です。

 また逆に、客観的に「わいせつ行為」と評価され、行為者が故意にその行為を行っているならば、行為者は「わいせつ」という行為の意味を認識してその行為を行っているのですから、その行為者に重ねて性的意図を要求することは無意味です。この場合の性的意図は、倫理的な問題にとっては重要な要素ですが、行為の違法性に影響を与えるものとはいえません。

 たとえば、刑法92条1項には外国国章損壊罪という犯罪があり、「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。」と規定されています。外国の国旗や国章に対して損壊や除去、汚損の行為を行うことは、そのまま侮辱を意味しますので、行為者に対してさらに同じ「侮辱目的」を要求することは無意味です。つまり、行為そのものから「侮辱目的」が認定されますので、「侮辱する目的」は外国国章損壊罪の故意と同じだといえます。

 このように考えますと、〈昭和45年判決〉の被告人も、被害者に対して報復の目的で性的しゅう恥心を与えるために、被害者を裸にし写真に撮っているのですから、彼に特別に性的意図があったのかどうかを改めて問うことは意味のあることではなく、単純に強制わいせつ罪を認めることで良かったのではないかと思います。

2.特殊な性癖がある場合が問題

 ところで、強制わいせつ罪における「わいせつ行為」とは、(ニュアンスの違いはありますが)基本的に公然わいせつ罪(刑法174条)やわいせつ物公然陳列罪(刑法175条)における「わいせつ」と同じものと考えられており、「いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ、普通人の正常なしゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為だとされています。

 問題となるのは、この定義はいったい誰を基準とすべきなのかという点です。

 強制わいせつ罪が被害者の性的自由を保護するものだとするならば、出発点としては被害者の感情を基準すべきだということになります。しかし、そうすると場合によっては被害者が過剰に性的しゅう恥心を感じる場合(たとえば、手が触れただけでも強い性的しゅう恥心を感じる場合もあるかもしれない)にも犯罪が問題となるので、客観的な限定を付して、社会の一般の人びとが「わいせつ」と評価するようなものである必要があります。

 しかし、そうすると今度は、一般的に見ておよそ性的な意味を読み取ることができないような違法行為が行われているが、行為者には特殊な性癖があって、彼にとってはそれが性的意味を有する行為であり、その行為によって性的満足を得ようとしている場合をどのように考えるべきかという問題が生じます。

 たとえば、犯人に特殊な性癖(SM嗜好やフェティシズム行為など)があり、客観的には単なる暴行や傷害などとしか評価できないが、彼がそれによって性的満足を求めているような場合が考えられます。実際の事例でもさまざまなものが問題となっていますが、たとえば、「女性の嘔吐する姿に性的興奮を覚える者が、女性の口に無理やり指を突っ込んで嘔吐させる行為」や「靴フェチの犯人が女性から無理やり靴を脱がす行為」、「あらかじめビンに入れた自分の精液を通りすがりの女性にふりかける行為」など、一般人の感覚からすればおよそ〈性的行為〉とは評価できないような行為が問題になります。〈性的意図不要説〉に立つならば、このようなケースは単なる傷害罪や暴行罪、器物損壊罪として処理されることになりますが、異常な性癖が犯行の動機になっているだけに、処罰においてそれを無視することは妥当ではないのではないでしょうか。

 「低年齢の児童に対する強制わいせつ」もそうです。このような行為について行為者の異常な性癖(小児性欲)を考慮することなく、従来のわいせつの定義に立脚し、客観的に「普通人」の感覚で評価するならば、これらの行為は決して「わいせつ」と評価できるものではありません。行為者の異常な性癖に言及しないならば、これらは児童に対する虐待行為そのものであって、わいせつといった性的な文脈に位置づけられるようなものではありません。これらの行為に「性的な意味」を付与するのは、一般人がおよそ性の対象とすることのない児童に対する行為者の異常な性癖だといえます。実際には0歳~5歳までの乳幼児に対する性犯罪も年間数十件ほど検挙されており、そのような場合、児童の性的しゅう恥心や性的自由(性的自己決定権)が重要であるとはいえず、そのような異常な性犯罪においてはもっぱら犯人の性的意図(性癖)が問題なのです。

 要するに、行為者に特殊な性癖がある場合、彼の性的意図に言及することなく、客観な(一般人を基準にした)評価で「性的に意味のある行為」の内容を定義することはできないのではないでしょうか。

■4■ まとめ

 以上、客観的にわいせつな行為がなされている場合には、その認識が故意の内容ですから、重ねて性的意図を要求することは意味がありません。しかし、客観的に性的意味を認めることができないような行為がなされ、行為者の特殊な性癖が犯行の強い動機となっている場合には、その性的意図に言及して、その行為を強制わいせつ罪で処罰すべきであると思います。

 つまり、強制わいせつ罪という性犯罪には、(1)行為者の〈性的意図〉が故意と一致する場合と、(2)〈性的意図〉が故意を超えて問題となる場合の2種類が存在するということになります。念のためにいえば、〈昭和45年判決〉の事案は前者であり、今回大法廷で審理されることになっているケースは後者のケースなのです(ただし、〈性的意図〉がないので強制わいせつ罪が否定されるケース)。

 最後に蛇足ながら、刑法の解釈は矯正処遇(刑の執行)の場面をも取り込んで、刑事司法システム全体の中で議論されなければなりません。以前は、性犯罪受刑者といえども刑務所で特別な矯正プログラムが実施されていたわけではありませんでしたが、平成18年より、性的に強い動機に駆られて事件を起こした者を指導の対象として、重点的に性犯罪再犯防止プログラムが実施されています。彼らを犯罪へと駆り立てる〈性癖〉を裁判において正面から認定することは、その後の矯正処遇においても効果的なことだと思われます。なぜなら、異常な性癖によって違法に性的満足を得ようとする者は性犯罪を繰り返す可能性が高いので、自らの偏った性癖を自覚させて、適切な矯正プログラムを受けさせる必要性もそれだけ高いと思われるからです。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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