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追悼・安倍政権に「殺された」戦場カメラマンー崩壊しつつある日本の「報道の自由」

志葉玲フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
外国人記者クラブで外務省からの命令書を報道陣に見せる杉本さん 筆者撮影

 また、一人、紛争地で取材する日本人がいなくなった。筆者の友人で、フリーカメラマンの杉本祐一さんが病に倒れ、先月下旬、その波乱の生涯を終えた(享年62歳)。杉本さんは、2015年2月、シリア北部コバニを取材する予定であったが、外務省によってパスポートを強制返納させられた。メディア関係者の旅券強制返納は、戦後初。その後、常岡浩介さんも旅券を無効化され、安田純平さんもパスポートが発給されないなど、紛争地を取材するジャーナリスト達への渡航制限が続いている。生前、「安倍政権に僕の職業生命は断たれました」と語っていた杉本さん。彼の身に何が起きたのか、それがどのような意味を持つのか。追悼の意を込め、考察していきたい。また、本稿の後半で、安田さんのパスポート発給拒否問題も取り上げる。

○戦後初のケース、海外メディアも驚愕

 杉本祐一さんは、新潟県出身のフリーカメラマン。約20年ほど、旧ユーゴスラビアや、アフガニスタン、パレスチナ、イラク、そしてシリア等で写真や映像を撮り続けた。紛争地で生きる人々、難民キャンプでの生活、自由と民主主義を求め戦っている青年達の姿…

杉本さんは、地元の新潟県の新聞やテレビなどを中心に報じてきたのだった。

*杉本さんがシリアで撮影した映像。ショッキングな場面が含まれているので閲覧注意。

 杉本さんがパスポートを奪われたのは、2015年2月7日。杉本さんを取材した地元紙のミスにより、シリア渡航の予定が外務省が知ることになり、杉本さんの自宅に外務官僚と警察が押しかけ、パスポートの返納を強いた。メディア関係者のパスポート強制返納は、杉本さんのそれが、戦後初のケースだ。

 杉本さんのパスポート強制返納は、海外の主要メディアも驚きと共に報じた。英国のBBC放送や米国のCNN、FOXニュースといったテレビ局、ロイターやAP、AFPといった通信社、さらには、APの配信記事を米国のニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙が掲載している。中でも踏み込んだ見解を示したのが、米国の老舗週刊ジャーナリズム誌の『タイム』だ。同誌は2015年2月11日付けの記事で「安倍政権はなんて酷い方法で、シリアでの人質危機を防ごうとするのか?」「シリアに行こうと考えただけで日本のジャーナリストはパスポートを奪われる」と痛烈に批判した(関連情報)。

外国人記者クラブで会見する杉本さん(中央・筆者撮影)
外国人記者クラブで会見する杉本さん(中央・筆者撮影)

タイム誌の批判は的を得ている。福島瑞穂参議院議員が外務省及び警察庁に確認したところ、当時、内閣官房副長官であった杉田和博氏は新聞報道で杉本さんのシリア渡航計画を知ると、外務省の三好真理領事局長(当時)を呼びつけ、その場で旅券強制返納が決定されたのだという。杉本さんのパスポート強制返納が行われた当時、後藤健二さんと湯川遥菜さんがシリアでIS(いわゆる「イスラム国」)によって殺害されたばかりで、安倍政権は二人を救うための具体的な対応をしなかったことで批判にさらされていた。つまり、またシリアで日本人が誘拐・殺害された場合、政権へのさらなる批判につながることを恐れたが故の決定だった可能性が極めて高い

○杉本さんの法廷闘争と、忖度判決

杉本さんの新たなパスポートは、シリアとイラクへの渡航制限付きだった 筆者撮影
杉本さんの新たなパスポートは、シリアとイラクへの渡航制限付きだった 筆者撮影

 その後、杉本さんはパスポートの再発給を申請。新たなパスポートを得たものの、シリアとイラクへの渡航制限があるものだった。そのため、杉本さんは政府によるパスポートを強制返納及び渡航制限を取り消す裁判を2015年7月、東京地裁で提訴した。主な論点は、以下のようなものだった。

・報道の自由に対する侵害

・「返納しなければ逮捕する」と迫った等、行政手続法上の問題

・杉本さんが渡航しようとした地域の治安状況からの強制返納の是非

・政権の保身のための強制返納だったのではないかとの疑惑

 順に解説すると、まず憲法上の問題がある。旅券法19条には、「個人の生命や身体、財産の保護」のためであれば、パスポートの返納を命令することができる、としている。しかし、この命令は憲法第22条で保障された「居住移転の自由」を制限するため、慎重な運用が求められる。しかも、杉本さんのケースだと、憲法23条で保証された「報道の自由」、同条で尊重される「取材の自由」までが制限されるため、なおさら慎重さが求められた。実際、国連「表現の自由」特別報告者のデビット・ケイ氏も「このような処置はジャーナリストに対して適用すべきではない」と杉本さんのパスポート強制返納を憂慮した。

 旅券法に限らず、行政処分というものは、法律に定められた手続きを経なければ、それは違法で無効なものとなる。杉本さんの裁判での大きな争点となったのが「聴聞が行われたかどうか」ということ。「聴聞」とは、行政手続法13条に定められたもので、個人の権利を制限する処分(不利益処分)を行う際、権利を制限される側の言い分をしっかり聞きなさいというもの。その点、杉本さんへの外務省の対応は異常なものだったといえる。上述したように、外務省の職員らは複数の警察官達と共に「応じなければ逮捕する」と、パスポート返納を迫ったのだ。これでは、聴聞が適切に行われたとは言い難い

裁判に臨む杉本さん 筆者撮影
裁判に臨む杉本さん 筆者撮影

 さらに、杉本さんの取材先の治安状況も問われた。杉本さんが目指していたのはシリア北部コバニ。当時、既にISから解放されており、治安は安定。クルド人部隊によるプレスツアーも行われていた。すなわち、パスポートを強制返納させるほど、「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」(旅券法第19条1項4号)であったのか?ということだ。当時のコバニの治安情勢については、元朝日新聞の記者であった貫洞欣寛さんが杉本さんの裁判に協力。安全に取材できたこと、危険は感じられなかったことを詳細にわたって陳述書で述べた。

 そもそも、パスポート強制返納が、「杉本さんの生命、身体の保護」のためではなく、上述したような、「第二の後藤・湯川事件」が起き、政府対応への批判が再燃することを恐れた安倍政権が自らの保身のために、旅券強制返納を行なわせたのであれば、法の恣意的な濫用であり、大問題である。

会見する杉本さんと中川弁護士(右)
会見する杉本さんと中川弁護士(右)

 ただ、裁判所はこれらの問題を考慮しなかった。東京地裁、東京高裁ともに「渡航すれば生命に危害が及ぶ恐れが高いという外務省の判断は合理的だ」と一方的に外務省の言い分のみを認める「忖度判決」だった。とりわけ、高裁判決は「紛争地に赴いた個人が、その生命・身体を危険にさらされ、万が一身柄を拘束される事態に至った場合には、政府及び関係諸機関に多大なる影響を及ぼし得る」と述べていた。つまり「国に迷惑をかけるな」ということであるが、杉本さんの代理人である中川亮弁護士は「旅券法に書いてないことを、裁判官らが主張することは大問題だ」と高裁判決後の会見で批判した。だが、最高裁判所も「忖度」。2018年3月、上告を棄却、杉本さんの敗訴が確定してしまった。

○失意の中で亡くなった杉本さん

 「人権侵害と言論弾圧の絶滅列島日本で安部官邸、外務省に僕は抹殺されました」。そう、杉本さんはパスポート強制返納、渡航制限について自身のフェイスブックで書いていた。敗訴確定後、筆者は何度か杉本さんと電話やメールでやり取りしたが、そこには深い苦悩や絶望があったと思う。我々、紛争地で取材する者にとって、存在理由を全否定されたようなものだ。

杉本さんは新潟から東京へ裁判に通っていた 筆者撮影
杉本さんは新潟から東京へ裁判に通っていた 筆者撮影

 そうした心労もあってか、杉本さんは体調を崩し、寝たきりにもなった。実は、最高裁棄却を受け「プランB」として、渡航制限が継続していることへの不服申し立て裁判を新たに起こすことも、検討はしていたのだが体調悪化や経済苦もあり、杉本さんが再び法廷に立つことは無かった。それでも、紛争地取材への熱意は捨てきれず、杉本さんは「シリアやイラクに行けなくても、(パレスチナ自治区の)ガザやアフガニスタンに取材に行こうかと思う」と筆者に語っていた。だが、今年に入り、杉本さんは末期がんを患っていると告知された。そして闘病の末、今年9月、亡くなった。

○安田純平さんのパスポート発給を拒否

帰国後、記者会見に臨む安田純平さん 筆者撮影
帰国後、記者会見に臨む安田純平さん 筆者撮影

  杉本さんの死は、筆者にとって衝撃的で、言いようのない重苦しさを感じさせるものだ。同業として、彼が受けた仕打ちに憤りを感じると共に、彼を助けることができずに申し訳なく思う。生前、杉本さんが気にかけていたのは、シリアで拘束されたジャーナリストの安田純平さんのことだった。杉本さんと安田さん、そして筆者は、イラク戦争開戦直後、バグダッドで取材していたからだ。だから、昨年9月に安田さんが解放されたことを、杉本さんもとても喜んでいた。だが、杉本さんの件を「前例」とするかのように、紛争地を取材するジャーナリスト達への渡航制限はより厳しいものとなっている。常岡浩介さんは、イエメン内戦の取材へ出国しようとしたところ、パスポートを無効化されてしまった。シリアで3年4ヶ月の拘束に耐え、やっと帰国した安田さんを待ち受けていたのは、誘拐犯に奪われてしまったパスポートを新たに申請したものの、発給されないという不条理だった。安田さんには、その経緯について話を聞く機会があったが、全くおかしな話である。

 今年1月、安田さんが家族旅行でインド等に行くため、新たなパスポートを申請したものの、「審査中」の状況が続いた挙げ句、今年7月、発給拒否された。理由は「(安田さんが経由してシリア入りした)トルコから入国禁止措置を受けている」とのことだ。旅券法13条第1項1号は「渡航先が入国拒否している場合、旅券の発給を制限できる」としているものの、審査の際、外務省側が安田さんに求めた渡航先にはトルコは含まれていない。また、本当にトルコが安田さんの入国を禁止しているかすら、定かではないのである。安田さんが確認を求めても、外務省は詳細を明かさなかった。仮に、トルコが本当に安田さんを入国禁止としていたとしても、通常はある国から入国禁止されていても、空港や国境での入国審査でその国への入国を認められないだけであり、パスポート自体の発給を外務省が拒否するというのは、異例のことである。

雑誌記事の対談で安田さんと語る筆者(右) 撮影:増山麗奈
雑誌記事の対談で安田さんと語る筆者(右) 撮影:増山麗奈

 安田さんは「13条第1条1項は口実で、本当は同7号を適用しているのではないか」と疑う。旅券法13条1条7号は「著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に対し、外務大臣が法務大臣と協議の上、旅券発給を拒否できると規定している。ただし、パスポートを取得する権利は、憲法第22条で保障されており、発給制限は、法学者達が慎重かつ具体的な根拠を必要とすると指摘していることだ

 安田さんへのパスポート発給拒否について、ネット上では「国に迷惑をかけたから当然」との声も上がっているが、では具体的にどのようなことが「日本国の利益又は公安を害する行為」だったのか。安田さんは「シリアで拘束されている間、身代金交渉に欠かせない生存証明を一度も取られたことはなく、日本政府が身代金を支払ったという証拠は何一つありません。出国禁止という重い処罰を下すからには、それに相当するだけの具体的根拠を示すべきです」と語る。筆者も安田さんの言い分に同意する。匿名のネットユーザーのみならず、「政治ジャーナリスト」等メディア関係者までもが具体的な根拠を何一つ示さず、パスポート発給制限を支持しているが、極めて愚かしいことだ。

○自らの利益を憲法より優先する政権の危うさ

 紛争地を取材する者の端くれとして、筆者が憤り、また懸念しているのは、日本において「報道」の役割自体が軽視されているのではないか、ということだ。シリアでは、米国人やフランス人、スペイン人等のジャーナリスト達も拘束されているが、彼らは誰一人として、パスポートを強制返納させられたり、発給拒否されたりしていない。拘束から解放された後、再び果敢に紛争地での取材を行っているジャーナリストもいる。それは、欧米諸国と日本とで、報道の重要さに対する社会の理解の違いなどのだろう。報道とは人々の知る権利を保障するものであり、それは主権在民の民主主義国家制度の根幹をなすもの。国民の代表たる国会議員にとっても、政策を策定したり、政府の方針の是非を判断する上で、報道は欠かすことのできないものだろう。「国益のためなら個人の人権を制限しても良い」という全体主義的な発想が広がっていることも危険な兆候だ。憲法で保障されている個人の権利を制限できる「公共の福祉」とは、あくまで個人の権利と別の個人の権利が衝突した際の調整機能なのである関連情報)。それにもかかわらず、政権の都合で、しかも明確な根拠・理由すらも示さずに、個人の人権を制限することが、あからさまに行われていることに戦慄を覚えざるを得ない。それは、紛争地で取材するジャーナリストという、ごく少数の人間だけの問題ではない。ドイツの神学者で平和運動家のマルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩を思い起こす。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

出典:ニーメラー財団による詩

 憲法で守られるべき権利を自らの都合のために、あまりにも簡単に踏み躙るような政府、それを是認する社会は、いずれ一般の人々にも牙を剥くことになる。私達は、今、非常に危うい状況の中にいることを自覚すべきなのだ。

(了)

フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

パレスチナやイラク、ウクライナなどの紛争地での現地取材のほか、脱原発・温暖化対策の取材、入管による在日外国人への人権侵害etcも取材、幅広く活動するジャーナリスト。週刊誌や新聞、通信社などに写真や記事、テレビ局に映像を提供。著書に『ウクライナ危機から問う日本と世界の平和 戦場ジャーナリストの提言』(あけび書房)、『難民鎖国ニッポン』、『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、共著に共編著に『イラク戦争を知らない君たちへ』(あけび書房)、『原発依存国家』(扶桑社新書)など。

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