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皇室タブーで封印されたピンク映画裁判判決が浮き彫りにしたもの

篠田博之月刊『創』編集長
「昭和天皇」の文字と写真が黒塗りになった『週刊新潮』の広告(筆者撮影)

皇室タブーに触れた事件で大手メディアは報道もせず

 映画『ハレンチ君主 いんびな休日』公開中止事件をめぐる裁判の判決が7月29日、東京地裁で言い渡された。皇室タブーに触れるとして公開中止になったこの映画だが、映画会社は責任を現場の監督らに押し付けて、監督の過去の作品なども封印。それがあまりに過酷だったために監督らが映画会社を提訴。タブーに触れて公開中止になった作品をめぐって公開の法廷で争いが続くという、この裁判は異例なものだった。

 この事件については、月刊『創』(つくる)は一貫してフォローしたが、他には『キネマ旬報』や『映画芸術』、『シナリオ』などの映画雑誌が取り上げた。月刊『シナリオ』では森達也さんや井上淳一さんらの座談会など特集が組まれ、荒木太郎監督も発言した。『映画芸術』476号は、封印されたかに見えたこの作品のシナリオを掲載。なかなか気骨ある編集で、関係者はどんなリアクションが起こるか内心ハラハラしたと思うが、心配されたようなことはなかったようだ。

 かつて、新聞がもう少し元気だった時代なら、こうした事件をもフォローして紙面化したものだが、今はそうなっていない。皇室タブーや映画界の構造にも関わる大事な問題を内包したこの事件と裁判についてここで取り上げてみよう。

 私はこのヤフーニュースでは既に二度にわたって事件と裁判について報告している。前回のレポートは下記だ。 

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210528-00240133

皇室タブーで封印されたピンク映画監督が法廷で映画会社に告げた「どうか、誇りを。」

 そもそもの発端となった2018年の上映中止事件についてもヤフーニュースに書き、拙著『皇室タブー』に「封印されたピンク映画」と題して1章をさいて記載している。

 公開中止事件の後、長年一緒に仕事をしてきた荒木監督を、映画会社の大蔵映画は仕事を干し上げ、過去の作品まで封印してしまうという措置を取った。こういう場合、後遺症としてタブーがさらに強化され、関係者は口を閉ざしてしまうというのが、過去の多くの事例なのだが、この事件の場合は様相が違った。映画制作にあたった荒木監督が、大蔵映画(及び関連会社のオーピー映画)と、作品を「不敬映画」などと指弾した『週刊新潮』を相手取って2020年9月3日に民事訴訟を起こしたのだった。前述の意見陳述で荒木監督はこう主張した。

「『表現の自由』がこれ以上踏みにじられないために、何が必要なのか」「弱い立場の制作者から新たな被害者をこの業界から出してはいけないということを、改めて訴えたい」

【追補】9月26日付でここに追補として映画『ハレンチ君主 いんびな休日』が一部では観ることができる状態らしいと書いたが、これは同作品でなく荒木監督の他の作品の話だったようだ。訂正します。(9月29日追補)

12回の弁論は毎回、傍聴席が満席に

 裁判は約2年間にわたって争われ、12回にわたって弁論が公開の法廷で行われた。コロナ禍もあって20人強しか入れなかった傍聴席は満席だったばかりか、入れなかった人たちが廊下で見守った。弁論が終わった後、原告代理人の弁護士が報告を行うのだが、傍聴人の2倍ほどの人が耳を傾けた。

 傍聴希望者は早めに法廷前に来て並び、先着順で入廷できる人が決まるのだが、ハイライトと言えた2022年5月31日、原告側と被告側の当事者や関係者が証言を行う日には、開廷が10時だったので大事をとって1時間前に行こうかと思ったら、確実に入るためには裁判所の入り口が開く8時20分には来たほうがよいかもしれない、と言われた。先着順の法廷前に足を運ぶことは何度もあったが、裁判所が開く前から並んだのは初めてだった。

 大事件としてマスコミで報じられているわけでもない裁判になぜ毎回そんなに大勢の人が訪れたかといえば、多くの人が映画、特にピンク映画の関係者であるらしかった。上映中止といった事態になると現場が責任をとらされてきた業界のあり方に疑問を感じた人たちが、裁判の行方を気にして集まったのだった。実際、この事件の後、大蔵映画は、新たな契約を結ぶ際には会社が責任を問われることのないように厳しい条件をつけた基本契約書を交わすようになり、関係者の間では「奴隷契約」と呼ばれるようになった。

『ハレンチ君主 いんびな休日』公開中止事件についても、現場の荒木監督らが映画会社の意向を無視して暴走したとして責任を負わされるという決着がはかられたのだが、監督と脚本家が映画会社を訴えるという異例の事態になったのだった。

 それに対して裁判所がどういう判断を示したか。その判決の話の前に、事件そのものを簡単に紹介しよう。

皇室タブーに触れて映画会社に街宣抗議が

 事件が起きたのは2018年。2月16日に公開予定だったピンク映画『ハレンチ君主 いんびな休日』が上映中止になった。

 映画は、『ローマの休日』にヒントを得たものだが、問題は登場したのが王女ではなく昭和天皇を彷彿とさせる人物だったことだ。あくまでもフィクションだということで制作は進んできたが、公開直前になって、さすがにこれは危ないのではという声が映画会社内部で出始めたらしい。改めて作品をチェックする機会が設けられ、危なそうな場面を削除し、再編集も検討されたようだが、結局、公開は延期された。

映画の1シーンのイメージ(画像が使えずイラストに)C:ドイタ・ペコリータ
映画の1シーンのイメージ(画像が使えずイラストに)C:ドイタ・ペコリータ

 その映画が公開延期になったことを含めて大々的に取り上げたのは『週刊新潮』3月8日号「『昭和天皇』のピンク映画」だった。制作側はあくまでも昭和天皇という固有名詞は出さなかったのだが、同誌はタイトルに昭和天皇とうたい、新聞広告にまで昭和天皇の顔写真を掲載。ピンク映画で昭和天皇を扱う「不敬映画」とやり玉に挙げたのだった。

 大蔵映画はこの事態に慌てたようで、同誌発売の2日後に「上映延期ではなく、中止となっております。今後の上映予定はございません」という告知を行った。そして不測の事態に備えて発売後の土日は、劇場そのものを休館にしたのだった。

 ちなみに『週刊新潮』が新聞に掲載しようとした広告自体も問題になり、「『昭和天皇』のピンク映画」というタイトルや天皇の写真は掲載できないと、多くの新聞で異様な黒塗りとなった。それも含めて騒動が拡大し、大蔵映画の目黒駅前の本社、直営館、さらには映倫にまで右翼団体の街宣抗議が繰り返し行われた。

 大蔵映画は、監督や俳優として長年一緒に仕事をしてきた荒木さんに対して過去の作品のDVDまで出荷中止、脚本に関わったいまおかしんじさんへの仕事発注も取りやめになった。荒木監督の過去の作品の封印は、俳優としての出演作品にまで及ぶという徹底ぶりだった。

新潮社や大蔵映画を提訴に踏み切る

 荒木監督らが提訴したのは2020年9月、被告は大蔵映画、オーピー映画、そして新潮社だった。『週刊新潮』の「不敬映画」などという記述や、監督が会社の意向を無視して暴走したかのような記事の内容は名誉毀損にあたるとして新潮社と同誌の取材に応じた大蔵映画に賠償を求めた。また『週刊新潮』については、非公開の脚本の一部を無断で引用したことが著作者人格権の侵害だという訴えも行った。さらに、訴訟の中で、大蔵映画は映画の完成データばかりか、映像データさえも廃棄してしまったことが明らかとなり、監督の人格権を侵害したとして、別途大蔵映画に賠償を求めた。

 これに対して今回、7月29日に地裁がくだした判決は、『週刊新潮』記事の著作者人格権の侵害(公表権の侵害)について、原告2人に対して各33万円の賠償を命じたほかは「その余の請求をいずれも棄却する」というものだった。大蔵映画と新潮社による名誉毀損という荒木監督らの主張は退けられたのだった。

 それだけを見ると荒木監督らの敗訴と言え、実際、原告側は高裁に控訴したのだが、弁護団によるとそう単純ではないという。長尾宜行弁護士と小口明菜弁護士に話を聞いた。

「判決文を読むと、公開中止に至る経緯について裁判所はかなり丁寧に事実認定を行っているのですが、被告の大蔵映画の主張を退け、原告側の言い分をほぼ100%認めています。そのうえで結論があのようになったのは残念なのですが、内容的には勝訴と言えないこともないような判決です」

 この裁判では、映画制作から中止に至る経緯について詳細な究明が行われている。原告被告双方の言い分は対立したままなのだが、判決文では公開中止に至った事実の認定において明らかに原告側の主張が認められているというのだ。以下、その内容をたどってみよう(敬称略。個人名をイニシャルで表記)。

裁判所が認定した公開中止までの経緯

 原告荒木は、1995(平成7)年に被告大蔵映画が製作する映画の監督を務めて以降、これまで約90本の映画の監督を務めてきた。

 本件映画については、2017年9月4日、大蔵映画の制作担当であるNに3通の企画書を提出した。「人妻不倫腐れ縁・光陰如流水」「昭和天皇と人間宣言」「恋は思考を無効にす」というもので、Nは9月19日、「昭和天皇と人間宣言」を採用する旨告げた上で、昭和天皇という特定の人物についてのストーリーとはしないこと、設定を特定の国とせず架空の国王とすることという条件の下で脚本を作成するよう指示した。

 荒木は9月29日、初回の準備稿(準備稿1)を提出。「朕、人妻と密会す」という題名に変更されていたが、前記企画書同様「陛下」や「皇后陛下」が登場人物とされていた。また、場所については「某国街頭」とされているものの、冒頭では、「あなたは陛下についてどう思いますか、王とは一体何なのだろうか」という質問につき、皇居、繁華街、丸の内、風俗街、高麗神社、靖国神社等で街頭インタビューが行われるという内容だった。

「この映画にモデルはない」との字幕が表示されるものの、「今から数十年前敗戦間もない頃、某国で長年生き神と祀られていた陛下は人間宣言をし、地方へ、敗戦に打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民に人間王として直にお話しする為に巡幸していた」というナレーションが流れるほか、「国際裁判でA級戦犯にされた御臣下のことを心病んでおられるのでしょうか」などといったセリフやナレーションが存在した。

映画の1シーンのイメージ(画像が使えずイラストに)C:ドイタ・ペコリータ
映画の1シーンのイメージ(画像が使えずイラストに)C:ドイタ・ペコリータ

 これに対し、Nは10月27日に荒木に電話し、設定について架空性をより強めるように指示をしたものの、それ以上に具体的な問題点を指摘することはなかった。また、その際に、荒木に脚本の作成について別の脚本家の関与を得て共作とすることを打診したところ、荒木も了解、原告いまおかに参加を求めることとした。

 11月8日、荒木はNに対し、2回目の準備稿(準備稿2)を提出。登場人物は「王」「皇后」に改められたほか、冒頭で「この映画にモデルはない」との字幕が表示された上で、「これは時代不詳の某霊長類立憲君主星での出来事である」とのナレーションが流れるものとされ、また、「モスラ族」が登場人物として設定されるという違いが見られた。

 荒木は11月9日、いまおかに対し、準備稿2を提供した上で、脚本の共作を打診したところ、前向きに検討する旨の返答を得てNに報告した。Nからいまおかに対し、脚本作成に当たって、誰が見ても天皇を想起しない内容にする必要がある旨や、登場人物が天皇であるという印象を弱めるようにする必要がある旨を告げることはなかった。

 12月1日、荒木はNに対し、いまおかによる改訂を経たものとして、3回目の準備稿(準備稿3)を提出。冒頭、テーブルの端に座っている王の反対側に「サングラスをかけた外人がパイプをくわえて座って」おり、その「外人」が、「普通さ、君、処刑だよね、負けたんだから。でもさ、そうすると大変なことになるってみんな言うからさ、君、生きてていいよ。でさ、巡幸っていうの? あちこち地方回ってさ、頑張れとか言っちゃってくれる?」と発言するシーンから始まる。

 その後、「この映画にモデルはない」との字幕が表示され、「これは時代不詳の某霊長類立憲君主星での出来事である」とのナレーション部分が記載されているのは、準備稿2と同様である。

 荒木は12月1日、いまおかに対し、「Nさんから基本的にオッケイ頂きました」とのメッセージを送った上で、12月3日、Nから指摘を受けた①国名を指定しないこと、②薬物注射の描写を中止することの2点を踏まえたものとして、準備稿3を更に改訂した原稿をいまおかに送付した。

 荒木は、12月17日、Nに最終稿を提出。「東京空襲」が「帝都空襲」に変更されているのを除き、内容は変更されていなかった。

 オーピー映画は12月20日、本件映画の買取金額207万3000円のうち120万円を支払った。本件映画は、12月25日にクランクインし、2018年1月3日に撮影が終了した。

 1月11日、都内にある東映ラボ・テックの試写室にて、初号技術試写(オールラッシュ。映像のみの試写であり、音声は入っていない)が行われ、Nのほか、大蔵映画の検定担当者Tと映倫の審査員2名が出席したが、映画の内容につき特段の指摘を受けることはなかった。

 1月14日、都内の録音スタジオにてアフレコが行われた。荒木は、1月15日、Nに対し、公開日が決定したら教えてほしいと依頼する旨のメッセージを送ったところ、Nは、同日、「了解しました!お疲れ様です。寂しいですが前を向いてまた次回も進みましょう!!」と返信。1月18日、荒木に対し、「ハレンチ君主、公開日は2/16〜2/22となりました。お誕生日公開です。来週の初号、楽しみにしてますのでよろしくお願いします!」とのメールを送付した。

 1月26日に、東映ラボ・テックにおいて、スタッフやキャスト等を集めた試写会(初号試写会)が行われ、NとTも同席したが、同人らから特段の指摘を受けることはなかった。オーピー映画は、1月31日、荒木に対し、本件映画の買収代金の残額87万3000円を支払った。

 この頃、大蔵映画らは、マスコミに配布し、公開予定の劇場に掲示するためのプレスシートを作成したが、同プレスシートには、「キャスト」として「皇后」や「侍従長」といった配役が記載されているほか、「敗戦間もないころ王は人間宣言をし、地方へ敗戦に打ちひしがれ生活苦にあえぐ国民に人間として直にお話しする為に巡幸していた頃の物語」「王の失踪に大騒ぎになったのは宮内庁だった」などの記載が存在した。

 2月2日には、映倫の試写室にて、いわゆる映倫試写が行われた。大蔵映画らは、2月上旬頃までには、本件映画の予告編を作成し、インターネット上で配信するとともに、本件映画の宣伝用ポスターを制作した。

突如、事態は暗転し、公開中止が決定

 ここまでは順調に制作が進んでいたのだが、その後事態は暗転する。Tが2月11日、荒木に電話をし、上野オークラ劇場に備え置かれていた本件映画のチラシを撤去するように求めた。荒木が理由を尋ねても「上の命令だから」と答えるのみで、具体的な説明をしようとはしなかった。

 Nは、2月12日、荒木に電話をし、公開中止は回避されたようである旨を伝えた。また2月15日午前10時頃にも電話で、本件映画を再編集した上で公開する予定である旨を伝えた。しかし同日午後6時頃、荒木に対し、本件映画については技術的に再編集ができなかったため、公開延期が決定されたことを伝えた。

 さらにNは、2月16日午後5時55分頃、荒木に対し、「打ち合わせの結果、公開は中止になりました。私の詰めの甘さから悲しい事態を引き起こしてしまい申し訳ありませんでした」「荒木組の次回作の打ち合わせも落ち着いたらさせてください。今後とも、何卒よろしくお願いします!」とメールで送信した。

 以上のような事実認定を行ったうえで、判決ではこう指摘がなされている。

《上記認定事実によれば、少なくともNとしては、各準備稿や最終稿において、昭和天皇を想起させる内容が含まれていることを格別問題にしていなかったことが認められ、むしろ、N自身は、原告荒木が自らの指示に従っているものと認識し、映画の撮影開始や映画の買取りまで了承した上、試写会で視聴した本件映画の内容にも抗議をせず、本件映画の公開中止が決定された後も、原告荒木に対し、友好的な態度を示していたことが認められる。

 これらの事情の下においては、被告大蔵映画らは、Nを通じ、原告荒木に対し、誰が見ても天皇を想起しない内容とすることを条件として求めていなかったものと認めるのが相当である。

 したがって、上記のような条件を求めていたという被告らの主張は、本件映画の公開中止を一方的に原告荒木の責任に押し付けるための後付けのものにすぎず、N及びS(大蔵映画映像部部長)の証言は、上記事実経過に照らし、その信用性を欠くというほかない。》

 前述した今年5月の口頭弁論には大蔵映画側からN氏とその上司にあたるS氏が出廷した。S氏は、荒木監督には「誰がどう見ても昭和天皇を想起させないものにすること」「日本を連想させる表現をせずにファンタジーにすること」「純粋な『ローマの休日』のパロディとすること」の3つを企画採用の絶対条件として示してきた、と証言した。それを荒木氏が守らずに暴走したという主張だ。

 N氏もそれを荒木氏に伝えたと証言したのだが、それが絶対条件であるということは伝わっていなかったのではないかというのが裁判所の認定であるようだ。傍聴席で聞いていると、現場で荒木監督と二人三脚だったN氏が会社の上層部と板挟みになって曖昧な対応をとっていたかのような印象を受けた。判決文もN氏の証言については「信用性が極めて低い」と酷評している。

表現の自由に対する裁判所の思いが…

 大蔵映画内部でどのような話し合いがなされ公開中止に至ったかの真相が完全に解明されたとは言い難いのだが、少なくとも荒木監督が暴走した結果中止になったという被告側の言い分は明確に否定されたというのが原告弁護団の見方だ。

 そのうえでせっかくの機会なのでお話ししておきたいのですが、と前置きして長尾弁護士はこう話した。

「映画の著作権は大蔵映画にあるので公開中止にしたのがけしからんと裁判所が言っているわけではないのですが、ではあれほど中止に至る経過を詳しく述べているのはどういう意図なのか。やはり荒木さんの表現活動の自由が侵害されたと裁判所が考えているのではないかと思うのですね。裁判の過程で実は和解の話も出て、そのことも判決文では最後に触れています。裁判所の和解勧告に従って本件映画の著作権を原告らに譲渡することに合意していた、最終的に和解成立に至らなかったものの、原告の表現活動を保障するという観点から、和解協議が再開されることが望まれる、との異例の一文があるのです」

 小口弁護士もこう話す。

「和解協議のなかでも裁判所から、こういうテーマの映画を荒木さんが今後再び撮りたいと考えた時に、その表現活動の自由に支障が出ることは避けなければならないといった発言がありました。『週刊新潮』はこういう表現はあってはならないと批判していたわけですが、そうではないというわけですね」

 長尾弁護士が、これは感想ですが、として、さらにこう続けた。

「篠田さんも取り上げていた『表現の不自由展』をめぐる問題とこの事件は通じるところがあるような気がします。『表現の不自由展』も右翼が押し掛けてくるから会場使用を中止するというのは認められないと裁判所が判断したわけですね。この事件でも、右翼が押し掛けてきて危ないから公開中止にしてしまうのは、監督の表現の自由を侵害しているのではないかと、裁判所が実質言っているのではないか。これはあくまでも私が受けた印象ですが、判決を読んでそんなことを感じましたね」

「ピンク映画」が終わらないように闘う

 控訴審がこれから始まるわけだが、最後に当事者である荒木監督の感想を紹介しておこう。

「判決では大蔵映画側の『荒木が会社の意向を無視して映画を暴走して作った』という証言や陳述が信用できないという事実認定を頂いたのはとても良かったです。但し名誉棄損は認められず敗訴で、この間の大蔵映画の対応について責任が問われることはありませんでした。肝心の映画『ハレンチ君主』の著作権についても和解は勧められたものの判決では戻ってきませんでした。

『週刊新潮』に関しては、脚本の無断引用に関しては大方認めて頂き良かったのですが、記事内容については名誉毀損を認められませんでした。

 このように一定の成果があるものの、残念ながら認めていただけなかった大事なことも多数ありました。

 特に我が子とも言える作品が、大蔵映画映像部長S氏は自分の知らないところで勝手に廃棄されたと尋問で証言していますが、こう言わせた今の大蔵映画首脳部には怒りと軽蔑を覚えます。映画を何だと思っているのでしょうか。二度の試写で好評だった(大蔵関係者も観た)作品の末路としては悲しすぎます。

 大蔵映画によって予想さえしなかった最悪の形で「ピンク映画」は終わりました。(元金沢駅前シネマ代表藤岡柴浪さん談、全く同意です)。しかし毎回裁判の傍聴に来て頂いている沢山の方々の心にはしっかりとその魂が宿っていると感じました。私のみならず多くの監督スタッフキャストが映画制作の原点であると本気で格闘していた「ピンク映画」が本当に終わらないよう闘います」

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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