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いまだに衝撃が収まらぬ三浦春馬さんの死を私たちはどう受け止めるべきなのだろうか

篠田博之月刊『創』編集長
いまだに衝撃が収まらない三浦春馬さんの死と週刊誌報道(筆者撮影)

いまだに大きな関心が途絶えない三浦さんの死

 7月18日に自殺した俳優の三浦春馬さん(享年30)をめぐっては、いまだに衝撃が収まっていないかに見える。

 8月15日にNHKスペシャルドラマ「太陽の子」、20日に紀行番組「世界はほしいモノにあふれてる」と出演番組が放送され、自殺前日まで三浦さんが撮影に臨んでいたTBS系ドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」は、一部台本を書き直して9月15日から予定通り放送される。こうした番組放送のたびにSNSなどで話題が飛び交っている。

 4月に発売された著書「日本製」は、8月31日付の「オリコン週間BOOKランキング」で週間売り上げ1位を記録した。音楽作品では昨年8月に発売した三浦さんのデビューシングル「Fight for your heart」が「オリコン週間シングルランキング」で、8月31日付まで3週連続でトップ10入り。26日にはセカンドシングル「Night Diver」も発売されたが、こちらも8月31日付のオリコンの発表によると、約20万枚の売り上げで週刊シングルチャートで2位になったという。

 こうした状況が続いているのは、何と言っても、仕事が絶好調と言われた時期に突如自殺、というその衝撃ゆえだろう。「いったいなぜ?」という疑問はいまだに払拭できず、熱烈なファンならずとも強い印象が焼き付いたままだ。

 

 自殺というのは人間にとって最もプライベートな行為なだけに、不確かな情報であれこれ詮索するのは慎まなければならない。今回の突然の死は想像や類推の及ぶ範囲を超えており、これからも多くのファンが哀しみを引きずったままになる可能性もある。

 新聞・テレビはもちろん人権的配慮から自殺の原因に踏み込むといった報道はできず、週刊誌でも、この間、踏み込んだ報道を行ってきたのは『週刊新潮』と『週刊文春』だ。他のメディアは、情報が得られないという理由が大きいが、それ以上にどこまで踏み込むべきか悩みもあるのだろう。

所属事務所の再三の警告

 所属事務所のアミューズは、その点について、二度にわたる「お知らせ」をホームページに掲載した。その中でこう書いている。

「マスコミの皆さまにおかれましては、ご親族への取材や、憶測での記事掲載などはご遠慮くださいますよう、切にお願い申し上げます。」(7月20日)

「改めまして皆さまへのお願いがございます。自宅住所およびご実家、弊社への訪問や献花はお控えいただき、追悼の想いはサイトへお送りいただきますよう、改めましてお願い申し上げます。

 また、一部マスコミによる行き過ぎた報道、ご親族への執拗な取材行為、憶測による記事掲載が見受けられますが、故人とご親族のお気持ちにご配慮いただき、くれぐれもお控えいただきますよう改めてお願い申し上げます。」(7月31日)

「ご親族への執拗な取材行為、憶測による記事掲載が見受けられます」というのは、明らかに一部の週刊誌報道を想定したものだろう。例えば『週刊新潮』8月6日号は「『三浦春馬』動機は『家族問題』」と題する記事を掲載。「『もう親の顔は見たくない』と一人息子は言った」「ステージママと『断絶の愛憎劇』」といったリードからわかるように、自殺の背景に親との確執があったのではないかという内容だ。

家族関係を背景として報じた週刊誌報道

 三浦さんの家族関係がやや複雑だったことは確からしい。記事によると、小学生の時に両親が離婚、三浦さんは母親と二人暮らしになるが、中学生の時に母親が再婚。継父と一緒に生活していたが高校進学を機に上京。5歳の頃から地元の養成所に通って子役としてスタートした芸能活動が順調でスターへの道を駆け上っていく。その過程で親との関係にも距離が出来、疎遠になっていったという。

 親との確執については、『週刊文春』8月13・20日号も「三浦春馬の絶望『結局はお金。両親には二度と会いたくない」と題して報じている。三浦さんの親友という匿名の人物の情報をもとにした内容だ。その中で三浦さんは2018年、イギリスに短期留学中、実父が緊急手術を受けたと友人から連絡があり、実父に会ってみることを決意。再会して母親との離婚理由などを聞いたという。

 複雑な家族関係が三浦さんの内面に影を落としていたことは確かなのだろう。ただいささか疑問を感じるのは、三浦さんが生前、家族についてあれこれ口にしていたといっても、それをあたかも自殺の理由であるかのように報道するのはどうなのか、ということだ。

 家族ということでは、三浦さんの死に遺族がショックを受けている可能性はおおいにあるわけで、事務所が「一部マスコミによる行き過ぎた報道、ご親族への執拗な取材行為、憶測による記事掲載が見受けられますが、故人とご親族のお気持ちにご配慮いただき、くれぐれもお控えいただきますよう」と言っているのはそのことだろう。

 三浦さんが2年ほど前からいろいろなことに悩んでいたのは確かなようだが、それをもっぱら親との確執に結び付けていくのは、記事を読んでいても、どうなのかという思いは拭えない。

残された遺書ないし日記をめぐる報道

 当初から、三浦さんの死をめぐっては、遺書が残されていたという報道がなされていた。ただその後の『週刊文春』などの報道を見ていくと、遺書とされたものは、三浦さんの日記らしい。そこに三浦さんは、自分の苦悩を赤裸々につづり、3年ほど前からこう書いていたという。「鬱状態から抜けられなかった。どう死のうかと考えていた」

 いささか驚くのは、『週刊文春』の報道が、回を追うごとに、その遺書の内容を詳細に書いていっていることだ。8月8日号「三浦春馬『遺書』の核心 『僕の人間性を全否定する出来事が」では、引用符のカギかっこ付きで遺書とされる日記の内容が紹介されていく。

 その内容は、翌週号ではさらに詳細になっていく。

 記事の特徴は、そのカギかっこ付きの日記の内容が、直接的な引用でなく、「親しい関係にあった知人」の言葉を通して語られることだ。単純に考えれば、同誌が日記そのものは入手していないと類推できる。でも、その友人のコメントの中でカギかっこ付きで紹介される日記の内容が、覚えている内容を語っているというより、現物を見ながら語っているかのように具体的なのだ。

 例えば、三浦さんは、死後放送されたNHKのドラマ「太陽の子」の役柄について、自分の置かれた状況になぞらえながら書いていたというのだが、その知人はその内容をこう説明する。

「太陽の子」の役柄と自分を重ねて

「作中の石村は、神風特攻隊として敵方の空母艦に突っ込む命令が下るのを待っていました。仲間が先立っていく光景を目の当たりにする中、作戦が変更になり、戦地から一時帰郷。結果的に自分の命の時間が引き延ばされたわけですが、それに対して春馬は遺書で『散る運命を背負いながら、家族の前では気丈に振る舞おうとする気持ちを考え、胸が痛んだ』と切実な想いを書き綴っていた」

 「太陽の子」での役柄になぞらえて自分自身について綴っていたといのだが、別の箇所にはこういうコメントもある。

 「春馬は遺書で『毎日ウソをつき続けることの苦痛。これこそ自分の演じた石村の葛藤に近いのではないか』と結論づけていました」

 この遺書については『週刊新潮』も言及しており、7月30日号「『三浦春馬』酒とバラの『遺書』」は、こう書いている。「自宅にあった手帳には、普段の仕事への思いや役者論などが綴られており、その中に『死にたい』という主旨の記述があったそうです」 

 その情報をもたらしている知人は、たぶん両誌とも同じ人物なのだろうが、『週刊文春』はその人物に食い込んで行ったのだろう。同誌の報じる遺書の内容は、かなり具体的で踏み込んだものだ。

 その知人というのが春馬さんとどういう関係にあって、それほど日記の内容を知っているのか、またストレートに日記を公表するのでなく、その知人のコメントの中で紹介するという手続きを踏み続けているのはなぜなのか。そのへんは記事を読む限りではわからない。

何か打てる手立てはなかったのか

 自殺の背景について、多くのメディアがあまり踏み込まないでいるのは、事務所の要請もあって、憶測報道を避けようという意識が働いているのだろう。その人権的配慮は当然だと思う。

 ただ気になるのは、冒頭に書いたように多くの人の心に「いったいなぜ?」という疑問が突き刺さったままであることだ。家族との確執という話は、遺族をさらに傷つける恐れが強いので配慮するのは当然と思うが、もうひとつ気になるのは、三浦さんが日記に「死にたい」といった記述をし、親しい知人にも話していたならば、それを2~3年間、放置していたのはなぜなのか、何か対応を講じて、死に至る前に何とかならなかったのかということだ。

 そういう議論であれば、誰をも傷つけることにはならないだろうし、むしろ三浦さんの死を受け止めて、社会的に考えるというのは、彼の死を受け止めることになるような気もする。

 三浦さんがずっと陥っていたという鬱の状態を考え、何とかできなかったものかと考えるのは決して彼の死を貶めることにはならない気がする。

 恐らく事務所からの警告もあって、報道機関は逡巡し、その結果、三浦さんの死をどう受け止めてどう考えるべきかと思考することも止まったままになっているのではないだろうか。もちろん人間の死に踏み込むことの重さは理解すべきだし、事務所の言うように、関係者への執拗な取材や、安易な憶測報道を慎むのは当然だろう。

 ただそのうえでなお、あまりに突然で多くの人に衝撃を残したままの三浦さんの死については、もう少し社会全体が受け止めるべき事柄があるような気がする。恐らく週刊誌の取材に応じている「親しい知人」の方は、自分の知っていることをどう伝えるべきか悩み、どうすることが三浦さんの遺志に沿うことになるのか苦悩しているのだと思う。

 人権的配慮は当然のこととして、三浦さんの死を悼むとはどういうことなのかを、もう少し考えても良いのではないかという気がする。

考えてみれば「鬱」についても、昔はそれで悩んでいても周囲に話すのをはばかる空気が一般的だったが、今は自分が鬱であると口にするのがそう大変なことではなくなった気がする。私の周辺でも鬱状態であることを隠さない人が少なくない。

 ただ今回の三浦春馬さんのケースを見ると、以前から「死にたい」と口にしていたようなのだが、なぜ実際に行動に移す前に何とかならなかったと思わざるをえない。仕事に支障をきたすとかいろいろな判断はあったのだろうが、残念というほかない。亡くなった人や周囲の人たちへの配慮は当然のことなのだが、三浦さんが置かれていた状況がどんなだったのか、もう少し社会が考え議論する必要があるし、それは報道の役割でもあるような気がするのである。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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