『君たちはどう生きるか』100万部突破の持つ意味と時代背景

『創』2月号の表紙

 2018年1月5日、マガジンハウス刊『漫画 君たちはどう生きるか』に増刷がかかり100万部を突破した。2017年の年間ベストセラー1位は小学館の佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』で同書は12月時点で117万部だが、『君たちはどう生きるか』は猛スピードで版を重ねているから、それを追い越す可能性がある。

 この本は80年も前に吉野源三郎さんによって書かれたもの。それが漫画になって今こんなに売れているというのは驚くべきことだ。同書が書かれた当時は、日本は治安維持法下にあり、吉野さんは同法によって逮捕投獄され、執行猶予で釈放された時にこの本を書いた。監視下に置かれていたため、児童書の体裁を借りて世に訴えたのが同書だった。

 そして、その本が今こんなにも売れているのは、今の日本社会の重苦しい雰囲気という社会背景を抜きには語れない。つまり80年を経て、ふたつの時代がつながっているという、そういう状況を示している点で、『君たちはどう生きるか』のヒットは大変意味が大きいと言える。

 1月6日発売の月刊『創』2月号は出版特集だが、表紙は神田三省堂本店で撮影した『君たちはどう生きるか』の特設台だ。この本がなぜこんなにヒットしたかをいろいろな角度から分析している。もちろん企画を立てたマガジンハウスの鉄尾周一さんにも話を聞いた。『創』の一部を引用しよう。

4カ月であっという間にミリオンセラーに

《2017年、出版界の最大の話題と言えば、マガジンハウスの『君たちはどう生きるか』が発売から4カ月でミリオンセラーになったことだろう。正確に言えば、マンガと四六版と二つ同時に刊行し、12月13日の増刷でそれぞれ95万部と24万部。同社はあわせて100万部を超えたと発表した。》

《驚くのは同書がもともと1937年、岩波書店の雑誌『世界』の初代編集長である吉野源三郎によって書かれた80年前の本であることだ。最初は新潮社の「少国民文庫」から出され、戦後、1958年にポプラ社から、1981年に岩波書店から出されている。

 それを今回、マンガ化したのがマガジンハウスだが、その出版の経緯を同社の鉄尾周一役員に聞いた。

「もともと私がこの本を読んだのは学生時代、父に勧められてでした。素晴らしい心にしみる本だとは思いましたが、少し啓蒙的というか道徳的という印象でした。ただ『自分のことは自分で決める』とか、キラーフレーズは頭にしみこんでいました。その後、池上彰さんや宮崎駿さんが、この本を評価していたのは知っていました。

 そして4~5年前、編集部で30代の編集者が『この本の愛読者です』と言ったのを聞き、別の女性編集者も『この本が好きです』というのを聞きました。立て続けに若い編集者がそう言うのを聞いて、良い本は時代を超えて受け継がれていくんだなと思ったのです。

 ただ、そのまま出しても伝わりにくい。その頃、マンガで伝える日本史とかマンガで解説する本がいろいろ出ていて、この手法を使ったら違う『君たちはどう生きるか』ができるんじゃないかと思いました。時代によって伝え方は変わっていく。今の時代の『君たちはどう生きるか』を出そうと思いました。

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 実際、マンガにしようと思い立ったのは3年くらい前でした。でもマガジンハウスはマンガをやっていないので、マンガ家の伝手もない。友人の講談社の編集者に相談したら、同社のマンガ編集者を辞めてコルクという会社を立ち上げた佐渡島庸平社長を紹介され、同社に羽賀翔一という有望なマンガ家もいると教えられたのです。

 著作権については、吉野源三郎さんの息子さんが管理しており、お願いに伺ったのですが、最初は『マンガにしたって売れないよ』とおっしゃっていました。でも私はいけるんじゃないかと思っていました。マンガについては息子さんの了解を得て出せることになったのですが、新装版については岩波文庫が底本になるので岩波書店と契約を交わしました」

 マンガと新装版の『君たちはどう生きるか』が発売されるのは2017年8月。出版を決めてから2年以上たっていた。マンガの初版は1万5000部だった。》

《この本はもともと吉野源三郎さんが治安維持法で投獄された後、児童文学なら監視の目も厳しくないだろうとして書いたものなんです。当初は、私は勝手に“君たち世代”と呼んでいますが、この本を以前から知っていた50代60代が『マンガになったので読み直してみよう』と思ったようです。原作は児童文学ですから、子どもに買っていくという人も多かった。テレビで取り上げられてからは女性にも浸透していきました。》

『創』2月号の出版特集では、マガジンハウスだけでなくいろいろな出版社を取り上げているのだが、前述した小学館の『九十歳。何がめでたい』も特筆すべき本だ。というのもこの本が発売されたのは2016年8月。そこから1年以上も売れ続け、ついにトップに躍り出たのだが、その背景には小学館の戦略があった。いったい小学館はどんな売り方をしたのか。『創』の記事の一部を引用しよう。

『九十歳。何がめでたい』を押し上げた販売施策

《2017年12月に取次などが発表した年間ベストセラーが一斉に報道されて驚いた人もいるかもしれない。1位は佐藤愛子さんのエッセー集『九十歳。何がめでたい』だったのだが、この本、刊行されたのは2016年8月。刊行から1年以上経ってベストセラー1位というのは、これまであまりなかったのではないだろうか。16年末段階で46万部に達していて、17年12月時点で117万部。年をまたいでそれだけ売り伸ばしたのだ。実はそれは偶然ではなく、発売元である小学館の施策が功を奏したのだった。

「きっかけは正月明けにデータを見たら、年末年始に売れ行きがかなり伸びていて、いったい何があったのかと担当者が言い出したことでした」

 そう語るのは小学館マーケティング局の井手靖ゼネラルマネージャーだ。

「特に名古屋地区が売れていたので調べてみたら、1月6日の中日新聞に小学5年生の11歳の女の子の作文が掲載されていたんですね」

 中日新聞の「くらしの作文」欄に掲載されたのは「私たち。とてもめでたい」と題する作文で、こんなふうに書かれていた。

「夕ご飯の支度を手伝っている時に、おばあちゃんが2階から、本を手にワハハハハハって笑いながら下りて来たんです。それで『何、読んでるの? そんなに面白い本なら私も読みたい』って。私は普段は小説や漫画を読んでいて、それまでエッセイを読んだことはなかったのですが、読んでみるとやっぱり面白くて、ゲラゲラ笑い転げてしまいました」

 70歳になる祖母が笑い転げ、11歳の本人が読んでやはり笑い転げた、という作文が波紋を広げ、名古屋の書店では売れ行きが数倍になったという。それを聞きつけた小学館発行の『女性セブン』がさっそく現地に赴き、その話題を2月2日号で記事にした。

「そしたら今度は3月下旬にNHKが『ニュースウォッチ9』で8分くらいの尺で取り上げたのです。それから1週間くらいはPOSデータが跳ね上がり、1週間で6万冊くらいの売れ行きを示しました。発売当初は60代以上の女性が中心読者でしたが、そのあたりからもう少し下の年齢層にも広げることができるのではないかと考えました。そこで地方紙への広告出稿などいろいろな展開を試みたのです」(井手ゼネラルマネージャー)

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 小学館では、独自の「プロフェシア」という分析データシステムを活用している。広告を打ったり、出版物がメディアで取り上げられた時の売れ行きへの跳ね返りを日々のPOSデータをもとに表示していくのだが、そこに紙の本だけでなく電子版の販売データや、同社ホームページへのアクセス数などが総合的に表示される。それを活用して積極的なプロモーションを展開したというのだ。

「47都道府県の売上表を作って、今度はこのエリアでというふうに地方紙への出稿も展開しました。新聞広告は昔ほど効かないと言われているのですが、ターゲットを絞って展開すれば効果があることもわかりました。そんなふうにきめ細かいプロモーションを展開したおかげで、2017年11月20日現在で発行部数は105万部なのですが、POSデータを見ると実売94%に至っています。昔は一気に10万部増刷といったやり方をして返本も大量に抱えるといったこともあり、こういう実売率は考えられませんでした。大事なのは、誰に向けて売るのか、ターゲティングを明確にするということです。例えばおばあちゃんへのプレゼント用にお子さんに向けてプロモーションを行うとか、敬老の日に向けて何か施策を考えるとか、それもデータに基づいて、そのためには何冊増刷すればよいとか、細かく決めていくのです」(同)

 かつてベストセラーというのは作り手の思惑を超えて独り歩きし、出版社も書店の注文に応じて大量増刷してしまうので時には大量返本を被るといった話がよくあった。この場合はきめ細かい対応をすることで効率を高め、しかも売れ行きを持続させることに成功したというわけだ。もちろんインパクトある書名を始め、この本の売れる要素はあったわけだが、これほど長期にわたって売れた要因のひとつは、システムを駆使したプロモーション展開だったわけだ。小学館では、書籍販売について毎月「戦略会議」が開かれ、編集・販売・マーケティングの連携を図っているという。》

 本が売れなくなったと言われる出版界だが、時代をつかむような内容や、工夫した売り方によってはまだまだ本が読まれるということを示した点でも、『君たちはどう生きるか』と『九十歳。何がめでたい』は大きな意味を持つ事例だ。暗い話ばかり続く出版界に大きな可能性を示しているとも言える。

 そのほかこの特集では、『週刊文春』の新谷学編集長が週刊誌のデジタル戦略について語ったり、暮れに大きな話題になった、人気バンド「SEKAI NO OWARI」の女性ボーカル藤崎彩織さんが初めて書いた小説『ふたご』がいきなり直木賞候補になった経緯、マガジンハウス『アンアン』の昨年の話題特集連発の経緯など、出版をめぐる最近の話題が網羅されている。出版について改めて考えて見るためにもぜひ多くの人に読んでほしい。