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相模原事件の植松聖被告に接見するたび、社会が全く対応できていない現実に慄然とする

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告の事件直後のツイッターは実は…

 2017年12月7日に相模原障害者殺傷事件の植松聖被告に接見した。彼には8月以降、月に複数回のペースで接見しているのだが、2016年7月26日未明に津久井やまゆり園に侵入して19人もの障害者を殺害したその経緯を詳しく知るにつけ、ますます深刻な気持ちにならざるをえない。それは、彼が2月に衆院議長公邸に犯行を予告する手紙を届けてから犯行に至る数カ月間、精神医療や警察、行政の対応がちぐはぐで、犯行に突っ走る彼にブレーキをかけるようなことが全くできていなかったこと、さらに事件から1年半が過ぎてもなお、この社会があの事件を教訓にして何か対策を講じたということが全くない。厚労省の検証チームの報告を受けて法的整備をしようという改正案が国会に提出はされたのだが、審議未了のまま衆院解散で廃案になってしまった。そもそもこの法改正論議についても報道はあまりなされなかったから、知らない人が多いだろう。植松被告を裁くための裁判はいずれ始まると思うし、それはそれで重要だが、そのことと別にこの事件が提起した問題について議論し対応すべきことはあるのではないかという気がするのだ。

 犯罪はある意味で、社会への警告だ。そこから社会が何を学び、次なる犯行をどう防いでいくかが大切だと思うのだが、この1年余、それが全くといってよいほどできていないのが現実だ。それどころか、事件そのものが急速に風化しつつある。大丈夫なのかこの社会は、という気持ちにならざるをえないのだ。

 植松被告が、2016年2月頃から、意思疎通のとれない障害者を安楽死させるべきだという考えを、施設の同僚らに話し、2月半ばには衆院議長公邸に自分の考えを表明した手紙を届けたことは既に知られている。この間、私は、犯行に至る彼の行動について、ひとつひとつ詳しく本人に訊いているのだが、それによってこれまで報道されていなかったことも少しずつわかってきた。

 例えば衆院議長公邸に手紙を届けた行動についても、報道されている事柄はわかりにくいのだが、彼は手紙を届けに2月13日、14日、15日と3日間、通っていた。最初、植松被告は自分の主張を総理大臣に訴えるつもりで総理大臣宛の手紙を持っていったのだが、警戒が厳重でとても近寄ることができなかった。そこで14日に衆院議長公邸にたどりつき、その日は日曜日だからと追い返され、15日にようやく手紙を受け取ってもらったという。この手紙の内容は報道もされているのだが、もともとは総理大臣宛だったのを、衆院議長公邸に届けることになって、宛名を書き直したのだという。だからもともとあの内容は、総理大臣宛の手紙という想定で書かれたものだった。それを衆院議長に宛名を書き直したというのだが、そういう経緯が、あの内容のわかりにくさの一因にもなっていたのだった。

 それから犯行直後に植松被告はツイッターに投稿を行うのだが、それは正装して自撮りした写真だった。犯行後、彼はそのまま警察に出頭したのだが、いったいあの正装は、いつどうやって着替えたものかわからなかった。今回、それについて尋ねてみたら、答えはこうだった。

「あの写真は事件を起こす直前に撮ったものです。車の中で着替えて撮影したのですが、本当は決行前に上げるつもりだったのです。でも慌てていたらしく、決行してからどうなったか見たら送れていないことに気が付いた。それで終わってから送ることになってしまったのです」

 そしてもうひとつ、これは訂正でもあるのだが、植松被告が措置入院から犯行準備に至る経緯を書いた獄中手記を発売中の月刊『創』1月号に掲載しているのだが、その手記の見出しを私はこう付けた。「獄中手記 措置入院して退院後、事件のために体を鍛えた 植松聖」。手記には、事件決行に備えて、ランニングやスクワットなどで体を鍛えた経緯が書かれており、私は当然、退院後にそうしたものと思ったのだが、今回話してみてわかったのは、彼がそんなふうに準備を始めたのは入院中だというのだった。手記には「ランニング上り坂20分」などと書かれているから、主に退院後の話なのだろうが、犯行のために体を鍛え始めたのは入院中からだったという。これは、実は割と重要な問題だ。

 事件直後の大報道の中で、措置入院から退院させたのが早かったといった非難の声が起こっていたのを覚えている人もいるだろう。その後、厚労省の検証チームでも措置入院のあり方については詳しい検討がなされ、退院の判断に問題はなかったことが明らかにされた。精神科医としての判断としては間違っていなかったということで、それはよいのだが、この間、植松被告と話していて気になったのは、彼が具体的に犯行を決意したのがその入院中だったという事実だ。つまり措置入院が結果的に、植松被告の背中を押してしまっていた可能性があるのだ。

 実は『創』2016年10月号で相模原事件について総特集を組んだ時に、精神科医の斎藤環さんがそのことを指摘していた。だから本当に検証し議論すべきは、退院させるのが早かったかどうかではなく、そもそもの措置入院というもののあり方なのではないかという気がするのだ。植松被告は措置入院させられた当初、暴れたために隔離処遇となるのだが、そのきっかけが歯ブラシを頼んだのに認められなかったことだったと前回の接見の時に語っていたことは『創』1月号に書いた。彼は当初そんなふうに病院側と対立するのだが、日を追うにつれて粗暴な態度は見られなくなっていく。病院側の判断と逆に、実は彼は犯行を決意して、そのためにどう行動すればよいか考えるようになっていったのだった。

植松被告が獄中でつづったノート
植松被告が獄中でつづったノート

 相模原事件で突きつけられたいろいろな問題に、この社会は何も対応できていない、と先に書いたが、それはひとつには、植松被告が、措置入院や障害者差別など、これまでタブーとされてきた領域に踏み込んでしまったためでもある。津久井やまゆり園、警察、そして精神科医と三者がそれぞれの判断のもとに対応して措置入院がなされたのだが、そもそもそれは犯罪予防なのか、精神的な治療なのか位置づけも曖昧なまま、阿吽(あうん)の呼吸で事が運ばれていった感が強い。十分とは言い難い現実のまま、植松被告に対する措置がとられ、結果的にその過程で彼は、治療によって自分の考えを撤回するどころか、具体的に犯行への決意を固めていった。

 退院後も植松被告は生活保護申請のために行政に接触したりするし、友人に自分の考えを披歴するなどしていくのだが、彼が犯行に突っ走るのをためらわせるようなきっかけは全く与えられなかった。

 12月7日の接見の時に、植松被告が突然居住まいを正すように改まって、私の考えを述べても良いでしょうか、と言ってから話し始めた内容についても書いておこう。私がネットに彼とのやりとりを書いていることは植松被告も知っていて気にするので、私はプリントしたものを彼に送っているのだが、座間事件に絡めて私がこう書いたことを彼は意識し、改めてきちんと説明しようと考えたらしい。私が書いたのはこうだった。

《世間からは誤解されている面もあるのだが、彼は安楽死すべき命とそうでない命を区別しているのだが、死や命について考えていないわけではない。ただ、尊重すべき命とそうでないと彼が考える、ふたつの命をどんなふうにして線引きできるのか。そこをめぐって私とはもう3カ月間、議論し対立したままだ。

 一応は健常者とされる我々だって、いつ交通事故で障害者になるかわからないし、年齢を経て認知症になるかわからない。そもそも障害者を否定している植松被告自身、精神障害者ではないかと世間からは思われている。彼は精神鑑定で「障害」という言葉を自分につけられたことを気にして、そうでないと言っているのだが、障害者と自分とが画然と異なるわけでなくいつでも変わり得る地続きの存在であることを理解しようとしない。ただ、命の重さという点に関しては、少なくとも自分が重大な行為を行い、死刑になるかもしれないことくらいは理解している。》

 その問題はもう植松被告とは何度も議論してきたことなのだが、彼は12月7日の接見の時、こんなふうに説明した。

「自分は心失者とそうでない障害者との線引きはできると思っています。判断の基準は意思疎通できるかどうかです。例えば自分の名前と住所を言えるかどうか、です」

 それに私が反論して、交通事故で意思疎通できなくなった人だって治療によって戻るケースもあるじゃないかと述べ、それにさらに植松被告が反論するといったやりとりが続いた。この問題については今後も議論を続けようと思う。

 公判前整理手続きは少しずつ進んでいるようだが、裁判がいつ開かれるか全く予定は見えないようだ。予想以上に裁判が遅くなる可能性を指摘する声も大きくなりつつある。私が何度も書いているように、相模原事件は、障害者とこの社会の関係をめぐって、これまでタブーとされてきちんとした議論がなされなかった領域に踏み込んでいる。それゆえに議論は簡単に進まず風化の一途をたどっているのだが、私はむしろそのことこそ深刻ではないかと、植松被告と接触するつど感じている。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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