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時代劇『不滅の恋人』、王の危篤で急転…実際の王の日常はどんなものだった?

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
『不滅の恋人』公式サイトより

毎週日曜夜、NHKでは韓国時代劇『不滅の恋人』が放送されている。

今夜放送される第9話では、国王が倒れて危篤となるが、ドラマに登場する国王イ・ヒャンのモデルは朝鮮王朝第5代王・文宗(ムンジョン)だ。

史実においても文宗は、王になって2年余り、38歳でこの世を去ってしまう。それが『不滅の恋人』でも描かれる“悲劇”の始まりとなってしまうわけだが、日本で韓流時代劇人気の先駆けとなった『宮廷女官チャングムの誓い』や『イ・サン』など韓国時代劇では朝鮮王朝時代の王がよく描かれる。

そもそも朝鮮王朝時代の王はどんな日常を過ごしていたのだろうか。

ユネスコ世界記録遺産にも登録されている歴史書『朝鮮王朝実録』に記されている記録をもとに、韓国では当時の王の日常が紹介された書物が多数存在するが、それを集約すると朝鮮王朝の王の一日の始まりは早い。

朝5時頃に起床して、母や祖母に挨拶し、軽い朝食をとることから始まったという。

豪華な食事が一日5度?

ちなみに、この「軽い朝食」とは別に、あとで「きちんとした朝食」を食べる。王は一日5食の生活をしていて、食膳には豪華な料理がズラリと並ぶことが通例だったそうだ。

(参考記事:なぜ朝鮮王朝の王の食膳は食べきれないほど豪華だったのか?

軽い朝食の後に、「経筵(キョンヨン)」と呼ばれる講義を受けた。朝に行われる経筵は、「朝講(チョガン)」と呼ばれ、日が昇る時間に行われたという。

朝講が終わると、国政業務が始まる。おおよそ7時過ぎから官吏と接見した。その場に参加する40人ほどの実務官吏から国政の現況を聞き、あらゆる決定を王が下した。

その後の10時前後にきちんとした朝食をとると、今度は秘書の役割を担う「承政院(スンジョンウォン)」から業務報告を受ける。王命はここを通じて下されるため、王は毎日のように承政院の官吏らと会う必要があった。

正午になると昼食をとり、再び講義を受ける。その後も地方官吏からの報告書を見たりした。

王が日中に行う業務を「萬機(マンギ)」と呼ぶのだが、その由来は「重要な案件が1万件」にも及んだからだという。王がいかに多忙だったかを表わす言葉だ。

そして18時頃になると、再び講義(「夕講(ソッカン)」)受けて、一日の公式業務が終わる。ただ夕飯後に雑務に追われることも多く、夜食後の就寝時間は23時頃だったという。

一言で、朝から晩まで働き詰めの日常を過ごしていたわけだ。

激務、運動不足、そして心労…

さらに王は、慢性的な運動不足だったといわれている。

そもそもあまり歩かなかったという記録が残っているほどだ。それは王が移動するたびに何人もの臣下がついてまわらなければならない手間があり、また駕籠(かご)で移動することも多かったからだろう。

日々の激務、運動不足、一日5度の食事…と、身体への負担は相当なものだったに違いない。

そんな王の健康管理を担当したのが、『宮廷女官チャングムの誓い』などで描かれる「内医院(ネウィウォン)」だ。常に16人の医療関係者が従事していたとされているが、そのなかで王の医療行為を担当する医者は「御医(オウィ)」と呼ばれた。

『不滅の恋人』に登場するイ・ガン(チニャン大君)のモデルとなった首陽大君(スヤンテグン、後の世祖)は、自らが記した『医薬論』で“最高の医者”について書いている。

世祖が考える最高の医者とは、“心医”。つまり心を治療してくれる医者、今でいう心理カウンセラーのような医者が、王にとって最も必要な医者だったのだ。

逆説的にいえば、王は心労も多かったということだろう。朝鮮王朝時代の王の平均寿命が46歳と決して長くないのも、そんなところに理由があるかもしれない。

いずれにしても王の日常は、想像以上に大変だったことがわかる。そんな国王が倒れて危篤となった『不滅の恋人』が、今後どんな展開を迎えるのか注目したい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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