浦和レッズ・平川忠亮ー16年目の旅路【浦研プラスインタビュー&ストーリー】

プレハブのクラブハウスで

初めて彼と出会った時のことをよく覚えている。まだクラブハウスがプレハブだった頃の大原グラウンドで、全体練習後に新卒同期の坪井慶介とボールを片付けていた。坊主頭の坪井はひと目で新人だと分かる態度だったが、彼は10年くらいチームに在籍しているかの落ち着きようで、『ツボ、早くボールよこせよ』と仲間を顎で使っていた。

当時の彼はどこか斜に構えていて、いわゆる不良のような佇まいを醸していた。しかし、そんな表向きの印象は誤解だったと知る。初めて言葉を交わし、その心根に触れた時、彼がどれだけ思慮深く、仲間思いで、情熱的な人物だったかが分かった。

筆者は当時、サッカー専門誌の浦和レッズ番記者を務めていた。そこで、すぐにでも彼のインタビューを掲載したいと思った。1979年生まれの、いわゆる『黄金世代』。清水商業高校では小野伸二(札幌)と同期で、自らはすぐにプロ入りできなかったが、筑波大への進学を経て、満を持して浦和へ加入した彼に興味を抱いた。しかしサッカー専門誌の企画会議では彼のインタビュー企画を真っ先に却下された。『バリューがない』、『新人の中でも地味過ぎる』、『そもそもレッズじゃあ、注目されない』……。

隔世の感だが、2002年当時の浦和は2000年のJ2から一年でJ1へ復帰したものの、その後は常に中位を彷徨う凡庸なクラブだった。そんなチームの大卒新人にインタビューをしても売上部数は伸びない。それが編集部内の一致した答えだった。それでも食い下がってプレゼンした結果、彼のインタビューのためにモノクロの1ページを与えられた。たったの1ページである。

大原グラウンドに建つプレハブ小屋に隣接したベンチで彼と話し、それを原稿にまとめた雑誌は、すぐに彼に見せられなかった。目立たない白黒の1ページに追いやられた誌面が申し訳なかったからだ。そんな彼が、雑誌発売の翌日に筆者を呼び止めて、こう言った。

「友だちから、『お前のことが載ってるぞ!』って雑誌を見せてくれたんです。俺のインタビュー、載せてくれたんですね。ありがとうございます! 友だちからこう言われたんです。『お前のことをよく分かってる人が話を聞いてくれたみたいだな』って。だから、友だちに言っておきました。『そうなんだよ。プロになって初めて声を掛けてもらった人なんだよ。誰よりも俺を知ってくれている人なんだよ』って」

サッカー記者になってわずか半年だったから、この選手の言葉が心から嬉しかった。有難かった。僅か1ページのインタビューは、かけがえのない財産になった。宝になった。誇りになった。

新たなるシーズンへの決意

2017年シーズンの幕開け。沖縄での2度のキャンプで、平川忠亮は淡々と、黙々と鍛錬に励んでいた。

「プロ生活も16年目で、このサイクルには慣れているからね。今は、このキャンプが楽しみでもある。身体がきついけど、長い時間を掛けてシーズンを戦える力を身につける工程は嫌いじゃないかな」

2017シーズンを戦い抜くためにフィジカルを強化するキャンプで、彼は一度も別メニュー調整をせず、常にチームの全体練習に参加した。20歳代の頃は負傷しがちで度々チームから離脱することが多かった。それだけに、今年の5月1日で38歳になる選手のキャンプでの逞しい振る舞いに、とても驚いた。

「まあ、足が張ったりはしたけども、その都度メディカルスタッフに治療してもらいながら、今のところは順調に過ごせているかな。そもそも今季はチームの選手数が限られているから、紅白戦やミニゲームなどもギリギリの中で練習している。選手がひとり、ふたり余っていれば『今日はゲームに参加しなくていい』という指示もあるかもしれないけど、今はゲームができる最低限の人数しかいないからね。その点では『休めないな』とは思うし、それが充実感と共に緊張感にも結びついているかな。天野さん(賢一コーチ)も練習に参加できるんだけど、やはり練習の質を求めるならば、すべての選手がプレーした方がいいからね」

力をセーブしているようには見えなかった。シャトルランなどの心肺機能強化のメニューでは平均ペースで駆け抜けたし、持久走も仲間に決して遅れを取らなかった。

平川は昨年、久しぶりに大きな負傷を負った。練習中のミニゲームで相手と交錯して右足首の重い捻挫と診断された。リハビリ期間は約2か月にも渡り、チームから離れることを余儀なくされた彼はしかし、この時に意識改革したという。

「去年は久しぶりに大きなケガをしたんだけど、それが良いポイントになった。30歳過ぎからはケガをしないようにという意識が出てきて、無理をしなくなっていた。20代の頃は力をセーブすることなんてしなかった。でも、何度もケガが続くと選手生命に関わるし、プレーの質も落ちていくだろうと思ったから、最近はケガをしないことに集中してきたけど、今は『ケガをするときはする。その中で、危険な状況でも飛び込んでいく。ギリギリのところでやっていかないと、選手の価値は低くなっていくのかな』と感じている」

2002年に筑波大学から浦和レッズに新卒で加入した。1979年生まれの代は『黄金世代』と称され、平川は静岡県の清水商業高校で小野伸二(札幌)、池端陽介(沖縄SV)らの同期とプレーしたが、仲間が高校卒業後にJリーグクラブからスカウトされてプロ入りしたのに対し、当時の彼は声が掛からずに大学へ進学。小野、高原直泰(清水東高→磐田)、稲本潤一(G大阪ユース→G大阪)、小笠原満男(大船渡高→鹿島)、遠藤保仁(鹿児島実業高→G大阪)らの同い年が華やかな舞台で活躍する中で、特に注目を浴びなかった彼は大学卒業後に浦和に拾われ、静かにプロの世界へ飛び込んだのだった。

「2002年に大学を卒業して浦和に加入した当初は、プロで3年やれればいいかなと思っていた。それくらいプロは厳しい世界だと思っていたから。俺の浦和での同期は10人いて、彼らは俺のライバルでもあった。その中で年々、同期の数が少なくなっていくであろうとも思っていた」

平川の大卒同期は三上卓哉(←駒澤大)、堀之内聖(←東京学芸大)、坪井慶介(←福岡大)、山根伸泉(←国士舘大)。他に高卒では長谷部誠(←藤枝東高/フランクフルト/ドイツ)、南祐三(←西武台高)、徳重健太(←国見高)、東海林彬(←庄和高)、小林陽介(←浦和ユース)がチームへ加わった。同期の中にはわずか1年でクラブとの契約が満了になる者もいて、彼は厳しい洗礼を目の当たりにしてきた。

「当時は(ハンス・)オフトがレッズの監督をしていて、新人でキャンプに参加できたのは俺とツボ(坪井慶介)のふたりだけだった。でも、それも紙一重だった。本当にワンチャンスで変わるんだよ。キャンプ前に練習試合が一回あって、新人は3本目と4本目、それとも4本目の1本だけだったかな? 駒場(浦和駒場スタジアム)でどこかのチームと試合をしたんです。俺はそこでオフトに評価されたんだと思う。でもツボはスタメン組で1、2本目に出ていたから、レッズに入る前から注目されていたんじゃないかな。その練習試合は、自分の中では良い感触があった。その試合で調子が悪かったらキャンプにも行けていなかっただろうから、本当に俺は運が良かった」

プロは何処で、どんなチャンスが訪れるか分からない。たった一回の機会をモノにできるかどうかで、人生の分かれ目を迎えることもある。

「当時の俺はどんな意識をしていたかな? とにかくチャレンジするしか無かったし、全力を出そうと思ったけど、それは皆も同じ気持ちだったと思う。頑張ろうと思っても、上手くいく保証なんてない。レッズに加入するくらいだから他の選手も当然実力はあっただろうし、タイミングさえ合えば評価を受けていたかもしれないね。それを運と呼ぶのは憚られるけど、プロサッカーの世界というのは、それだけシビアな場所なんだと思う」

現在は2017年。平川の同期の中には、すでに引退した選手もいる。

「俺の代は引退した選手のほうが多いんじゃないかな。三上、ホリ(堀之内)も現役を辞めた。他のクラブを見渡しても、Jリーグでプレーしている選手は少ない。ツボ(坪井/湘南)、羽生(直剛/千葉。筑波大で同期)、(小野)伸二、遠藤、小笠原、稲本、増川(隆洋/札幌)、曽ヶ端(準/鹿島)……。本当に数えるほどで、今もJリーグでプレーしているのは10数人くらいじゃないかな。でも、38歳という年齢を考えたら多い年代なのかもしれない」

38歳を迎える今、平川自身はどれだけ現役に固執しているのだろう。

「プロでやり続けたい……、うーん、どうなんだろう? 正直、そんなにしがみつく感じではない。毎年悔いのないように全力でプレーしていて、クラブから『これでおしまいですよ』と言われたら気持ち良く終われると思うけど……。他のクラブに行ってサッカーをやりたいと思うかな? 実際は言われてみないと分からない。『今年でアウトです』と言われて、『悔しいな、もうちょっとやりたいな』と思うのか、それともスッキリした気持ちになれるのか。想像の中では、わりとさっぱり次のことにチャレンジしたいかなと思っているけどね。これは奥さんにも言っていることだけど、自分がどんな反応を起こすかによって、また他のチームでチャレンジしたいとなれば、家族にも付いてきてもらうしかない。でも、その時の俺は必ず家族に相談する。その上で、奥さんは俺が決めたことがすべてだからと理解してくれると信じてる。だから、相談じゃなくて報告になるのかな。奥さんは俺の決断に対して、『やりたいなら、やりな。行きたいなら、行こうよ』と言ってくれる人だと思うから」

プロサッカー人生の終焉が近づいていることを理解している。年齢と共に衰えていく身体、チーム内での立場の変化によるモチベーションの維持。様々な要因が折り重なりながら、彼はあくまでも自分らしく、それでも前を向いて進もうとしている。

「去年…、いや、一昨年くらいからかな。だいぶ試合出場が減って、たぶん一昨年は10 試合くらいしか出ていない。去年に至ってはベンチ入りのメンバーからも外れることが多くなって、ホーム戦は埼スタのスタンドで観て、アウェーゲームは自宅のテレビで家族と一緒に仲間のプレーを観ていた」

プロサッカー選手になってから、自宅で浦和の試合を観戦したのは、ケガで戦線を離脱している時以外では初めての経験だった。ピッチに立つ権利すら与えられずに仲間の勇姿を見守る。チームが遠征中の際はベンチ外メンバーだけで大原グラウンドに集まりトレーニングをし、自主メニューにも励まねばならない。

「俺は今まで恵まれていたから、チームから外れる環境に置かれることが無かった。でも残っている選手として、トレーニングには前向きに取り組もうと思った。ここでどれだけ情熱を絶やさずにプレーし続けられるか。それだけを考えていたんだよね。その上で、厳しい境遇に立たされた選手が出場機会を得て、アウェーの試合で活躍しているのをテレビで観ると刺激をもらえたし、そこにやり甲斐も感じていた。だから、トシ(高木俊幸)の活躍は本当に嬉しかったよ。昨シーズンの最初の頃、アイツはメンバーに入れなくて、もがいていた。それがシーズン途中に抜擢されて良いプレーをして、チームに貢献できたわけでしょ。もう、自分のことのように嬉しかったよ。『トシ、やったな!』って。その後も自分自身はメンバーに入れない試合が続いたけど、どこかでもう一回チャンスが来ると思いながら練習に取り組んでいた。実際に、それはあったしね。その時はサッカーをプレーし続けていて良かったなって。試合で勝つことでタイトルにも絡めたし、うん。だからこそ、引退するまで気力を保ち続ける姿勢は変わらないかな」

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終焉への覚悟

危機感を備えながら、平川は2016年末に契約更改の場を迎えた。クラブからは契約更新を打診され、彼はそれを受け入れて浦和レッズの一員で居続けることを決断した。

「クラブから契約更新のオファーを受けた時は嬉しさと、正直戸惑いもあった。自分の中では去年で終わってもおかしくないと思っていたから。もちろん現役を続ける準備はしていたけど、それでも来年またプレーするとなるとね。一歳ずつ年は取っていくわけで、体力、フィジカルが落ちていく中で去年あれだけしかできなかったことを、今年どれだけ選手としてチームに貢献できるのかなとは思った。その意味で葛藤はあったね。選手としてやるからには、ここに居るだけじゃ意味がない。試合に出て、勝利に貢献するのが選手である俺の一番の仕事だから」

選手の挟持を備え続ける。一方で彼は、若き頃とは異なる感情も携えている。今の自分にしかできないこと。レッズを高みに導くためにすべきこと。選手たちの取りまとめ役としての役割を与えられた時、彼の熱意はポジティブに昇華されていく。

「正直、仲間の取りまとめ役としての役割をチームから与えられることに関しては、もう悔しくない(笑)。俺もう、38歳だから。これが30歳前後で、まだ全然プレーできるのに、『まとめ役として、選手兼コーチみたいな感じで』と言われたら悔しいと思うし、『まだできるよ!』って思うかもね。でも2,3年前から意識が変わってきて、ピッチ以外でもやらなきゃいけないこと、それをやるのも俺の仕事だなと思っている」

20代の平川は自らの立場が確立されないと悔しがるタイプだった。溢れる熱情を抑え切れずに本音を吐露し、自らの意思を押し通そうとする野心があった。しかし、今の彼は異なる感情を備え持つ。

「今は皆が良いプレーをして勝利する姿を観ると純粋に嬉しい。昔は自分が試合に出て勝ちたい欲求が強かった。でも年々、それは変わりつつある。去年は外から観ている方が圧倒的に多かったけど、それでも『皆、良いサッカーをしているな』なんて思っていた」

浦和レッズで16年もの間プレーし続け、様々な監督、選手と共に戦い、辛い別れを経験してきた。、その中で、彼は今のペトロヴィッチ監督体制のチームをどう評価しているのだろう。

「これまでの体制の中では最も長く継続している組織だよね。その間に俺の周りの選手は皆歳下になってしまったけど、彼らはとても生き生きしているように見える。これは監督の色なのかなと思うけど、ミシャ自身の人の良さが出ている、本当に温かいチームだと思う。こういう歳になってもミシャが俺を必要としてくれる中で、俺もミシャのためだったら何でもやりたいという思いはある。でも、それでもこのチームは未だにリーグタイトルを獲れていない。結局プレーするのは選手たちで、周囲からは監督が勝負弱いとか、タイトルを獲れる指揮官じゃないとか言われているけど、結局獲れていないのは選手だから。そこは選手がどれだけ責任を携えているか。自分たちの足りない部分を認めて、そこを突き詰めてやっていけるか。それが今のチームの唯一の課題だと思う。去年のチャンピオシップでもそうだけど、ああいう戦いになったら戦術だけじゃないから。普通のシーズンの戦い方とは違ってくるから。鹿島の上手さもあったけど、ウチに足りないものは絶対にあったと思う。悔しいよね……。でも、答えなんて出ないんだよ。全てはピッチに立つ選手にしか変えられない。例えば、ベンチに入れなかったら俺も変えられない。それは試合に出た選手が責任を持って戦わなきゃならない。そこで何かを感じ取って、年々悔しい思いをしながら、過去の自分達を超えて勝ち点を積み上げている今だからこそ、今年が大事だよね。今年、もしリーグタイトルを獲れないと、もうないかなとも思う。今年が現体制でリーグを獲得できる最後のチャンスだと思ってやったほうがいい。毎年悔しい思いをしているのを、またコロッと忘れる選手がいれば、絶対にリーグ優勝なんてできない。如何に今までの悔しさを携えて1年間を戦えるか。今のチームは、自らの責任を果たす力を問われている」

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責任を負う

去年のチームにも崩壊の危機はあった。正念場に立ち、気力が尽きそうな中で、それでもファイティングポーズを取り続けて死地を乗り越えた経験がある。

「去年の1stステージで鹿島、ガンバ、広島に3連敗して、続くホームのFC東京戦でも前半に0-2で負けていた。俺はベンチに入れずに埼スタのスタンドで観ていたけど、『これで4連敗したらヤバいな』と思った。監督の去就を含めていろいろな問題が出てくるのは間違いなかったと思う。そこで普段はずっと上から観ているだけなんだけど、ハーフタイムに初めてロッカールームへ行ったんです。そこで俺からガツンと皆に言ってやろうかなと思った。でも、仲間は『大丈夫だ。俺ら、絶対にひっくり返せるから』と言い合っていてポジティブな感情を持ち続けていた。そんな前向きな皆の言葉が頼もしかったし、アイツらの眼も死んでなかった。良い戦いをして1-2や2-3で負けたというならば未来もあるけど、これが0-3,0-4で負けたとなるとチームが崩壊しかねないと思ったんだよね。そこで何か自分にできることはあるかなと思ってスタンドからロッカールームへ降りていったけど、結局皆の成長した姿を見れただけだった(笑)。その後、チームは後半に3得点して逆転勝ちしたからね」

冷静沈着、温厚な平川は、普段は人前で感情を露わにせず、先輩風を吹かせて後輩を叱責したり罵倒したりもしない。

「怒ったことは……、チームの中では特にないかな。若い頃は感情的だったかもしれないけど、今はひとつ置いて考える。俺が言うべきなのかをね。もちろん監督の面子があるし、キャプテンの阿部(勇樹)ちゃんもいる。それに副キャプテンもいるわけだしね。最年長者として発言しても良いときはあるだろうけど、今は見守っていることの方が多いかな」

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2017シーズン、平川は『3年目の』ラストイヤーを迎える。

「最近は毎年『今年がラストだ』と思ってプレーしている。だから一日一日を大事にしている。毎年、一緒に戦ってきた仲間がチームを去っている。埼スタで挨拶をさせられている選手もいる(笑)。今の自分はどうなんだろうね? 現役を引退してサッカーを辞めて違う仕事をしている人たちは、どんな思いで人生を生きているんだろう? 俺の場合は、サッカーの指導者を目指して勉強している同年代の人を見ると、『俺も早くそっちの勉強をすることも必要なのかな』と思う。今の俺はサッカーの指導者に興味があるから。若い頃はプロサッカー選手を辞めたら、まったく違う職業に就きたかった。サッカーから離れたいと思っていた。でも、今はここから離れたくない。俺、サッカーを好きになり過ぎたかなぁ(笑)。元々好きだったけど、今はもっとサッカーが好きになった。ここに長く居過ぎたんだよ。30歳前にパッと現役を終えていたら色々なチャレンジをできたかもしれないけど、その第二の人生が成功していたとも限らない。レッズで長くサッカーをプレーさせてもらえた経験は俺にとってかけがえのないものだから、この経験を今後もサッカー界の中で生かせたらいいなと思う」

平川には自らの人生を歩んできた中で得た、大切な仲間たちがいる。

「例えば、静岡の清水市(現・静岡市清水区)という小さな町で出会った(小野)伸二などは切っても切れない関係だし、彼とは何かしらの形で今後も関わっていくと思う。伸二だけじゃなく、タカ(高原直泰)とも常に連絡を取っている。サッカーのおかげで周りとの繋がりも増えて、それが年々広がっていく。今年もレッズに7人の選手が入ったからファミリーが増えたわけでしょ。俺はいつでもそう思っている。共に人生を歩んでいる仲間は、どんな時だってかけがえのないものだって。今の俺は有り難いことに、辞める時はプロサッカー選手としての限界を迎えている時。だって、すでにやり切ってるんだもん。今の俺の年齢はヤマ(山田暢久)さんが辞めた時と同じだよ。来年もプレーしたら、現役時代のヤマさんを追い抜いてしまう(笑)」

柔和な表情は、彼が厳しい世界を生き抜いた上で確固たる財産を得た証だ。それは金銭の有無ではなく、感情を揺さぶる絆によって生まれた彼自身の、唯一無二の宝だ。

「子どもができてから、俺も変わったかな。今の俺は子どもが何か成功した時に嬉しそうな顔をするのを見るのが好き。自分のためじゃなく、子どもや奥さんのために生きるのが好きになった。ミシャも言っているでしょ。『選手は子どものようなもの』だって。今の俺も同じ感情を携えているんだと思う。もし20代で現役を終えていたら、俺はろくでもない人間になっていたかもしれない。金もなく、街中を彷徨って、堕落していたかもしれない。でも今の俺には浦和レッズというチームがあって、家族が居て、それが俺の人生を変えたと思っている。俺の人間性、人生観は、この浦和レッズというクラブによって築き上げられてきたんだよ。そんなクラブのチームに心血を注ぐのは当然のことでしょ」

自らの命を賭してでも戦い抜く。それが浦和レッズの選手の使命。チームが苦しい時、仲間はその背中を見ればいい。きっと果たすべき道筋が拓けて、一歩踏み出す勇気を持てるはずだから。

2002年初頭に出会った不遜な新人選手は今、成熟した逞しい、浦和レッズの選手として我々の前に立っている。

(了)

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転載元

『浦研プラス』

http://www.targma.jp/urakenplus/about/