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母親へのDVが、結愛ちゃんを殺したーー目黒虐待死事件(2)

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
写真はイメージです(写真:アフロ)

雄大の説教が終わり、時間がたってから雄大ににこにこすると怒られ、真顔だと『ふてくされている』と言われ、涙を流すと怒られるし。どんな表情をしても雄大のほしがっている表情をつくるのが難しかったというか

これは、公判での船戸優里さんの言葉です。目黒区の結愛ちゃんの虐待死事件、母親の優里容疑者には、保護責任者遺棄致死罪で11年の懲役が求刑されました。しかし、結愛ちゃんに「体を張れ」なかったことは罪なのか? 母親は、DV被害者?虐待加害者?でも述べたように、優里さんもまたDVの被害者だったのです。そのDVは、「典型的」なものでした。

まず、優里さんは元夫の雄大容疑者ですら「洗脳されるようにな」ったと認める、「ことばの暴力」によって支配されていました。近年はDVに対しての認識が高まってきたため、殴る・蹴るといった身体的暴力を行使することは、躊躇われる傾向がでてきました。その代わりに、精神的な暴力が顕著になってきています。

精神的な暴力は、DV防止法の対象として含まれているものの、保護命令は「生命又は身体に重大な危害を受けるおそれが大きい」と認識されないと出ないため、ほぼ考慮されていません。ですから精神的な暴力の場合は、保護へのハードルが高くなるという意味でも、避難が難しくなります。DVの本質が、支配、コントロールであることを考えれば、精神的暴力は最も効果的ということすらできます。

優里さんが受けた精神的暴力は、本当に典型的です。暴力は、相手が逃げられなくなった時から始まります。優里さんの場合は、入籍した直後からでした。

ほぼ毎日、「私の性格が悪い、私の行動や発言、すべてが怒られる」ような状態だったのです。先の引用でいえば、結局、何をしても難癖をつけて怒られることになるのです。結愛ちゃんへの不満も「挨拶ができない」のは優里さんの責任だなどと責める材料となっていました。

説教は、短くても1時間、酷いときになると昼から夜までに及びます。正座や立った姿勢などの「正しい姿勢」で聞くことが求められるなどの優里さんと同じエピソードは、どれだけのDV被害者から聞いたかわかりません。そして「あなたの貴重な時間を使って怒ってくれてありがとうございました」と反省文を書かされる。そのうちに、「反省をもっと違う態度で示せ」といわれ、「自分の髪の毛を引っ張ったり、太ももを次の日に真っ黒になるまで叩いたり、自分の顔を叩いたり」と、自分で自発的に自傷することが求められました。

こうした行動は、自尊心を低め、「自分が悪いんだ」と被害者の考える力や気力を失わせます。事実、公判でも優里さんは、「私もばかだから」というような言葉を繰り返して使っています。と同時に、反省文や貼り紙といったエピソードも、結愛ちゃんと優里さんに共通のものです

私も香川に住んでいたとき、雄大から結愛と同じような扱いを受けていました。雄大に言われたことをすぐに忘れてしまうんです。だから『壁に張っておけ』と言われていました。そういう癖がついていましたし、東京でも結愛が怒られないようにと思って

さらにいえば、結愛ちゃんが受けていた「体重コントロール」も、優里さんと同じです。雄大容疑者は、「食事は多い方がいいか、少ない方がいいかどちらかを選べ」と迫り、「多い」を選択するとブタみたいに醜い太った人生、ばあばのようになってじいじにしか会えない、でも「少ない」を選択すればスリムでモデルになり、イケメンと結婚する幸せになる最高の人生が待っていると説明し、自己啓発セミナーのチャートのような手口で、結愛ちゃんをも支配していました。「太った女は醜い」といい、女の幸せは、美しく痩せて、男性に愛されることだと、優里さんにも信じ込ませていました。

 「私がコンビニ弁当1つ食べきったときに『女なのにあり得ない』と言われ、すごく恥ずかしい気持ちになりました」

 

 「雄大の前ではキャベツしか食べられていなかったです。ほとんど食べません」

「もし(雄大容疑者と一緒に)食べるときがあったら、ごはんを半分だけ食べて、あとは雄大にあげます。雄大は私に『お願いですから食べてくださいって言えよ』と言っていて、そういうと喜んで食べてくれます

このようなことは、息子の妊娠中から行われていました。東京に引っ越してからは、「雄大の前では私も食事をすることはできないので、自転車で近くの店に行き、パンなどを買って公園で食べていました」というような状況でした。

また優里さんは、毎日下剤も服用していました。結愛ちゃんが児相に繋がったときに、一瞬だけ医療センターで精神科に繋がりました。しかし下剤の量を「1日2錠ずつです」と言ったら、その先生が「たいしたことないね」といった一言で、優里さんはまた事情を説明するチャンスを失ってしまいます。

私は雄大から『人間としても女としても母親としても努力が足りない』と毎日言われて、でも私は頑張っていると思っていました。先生の一言で、雄大の言うことは本当なんだって思いました

下剤の量が「たいしたことない」と言及した先生の何気ない一言で、自尊心を低められ、いっぱいいっぱいだった優里さんは、自分の努力が「たいしたことない」と責められたように感じてしまいます。そしてやっぱり、夫の言うことは正しいんだという間違った確信を深めてしまいました。

実は児相に繋がったときに、優里さん、そして結果として結愛ちゃんが救われた可能性がありました。「大きな」暴力はなかったかもしれませんが、優里さんは日ごろから、頭を叩かれたり、耳や鼻を引っ張られたり、顎をつかまれて揺さぶられたりといった暴力を受けていました。優里さん自身が、それを暴力だと認識していなかっただけなのです。

ところが結愛ちゃんは、「ママも叩かれている」と説明してくれていました

車の中で女性警察官が横に座り、『これから施設に移ることになります』と言いました。『私もついていきたい』と言うと、『あなたにはあざがありますか? 暴行されていますか、夫に?』と聞かれ、私は体にあざがなかったので、暴行も殴られることと思っていたから『暴行はされてません』って。『私も結愛の施設についていきたい』と2回言いましたが、警察官に『携帯電話も使えないところよ』と言われ、結愛についていったら不都合なことがあるのかと思って。取り乱しても結愛を帰してもらえなくなると思い、(それ以上)『私も結愛についていきたい』と言えなくて黙っていました

DVは「あざ」ができるほど「暴行」されること――ここできちんと、結愛ちゃんと優里さんが保護されていたならばと、思わずにいられません。のちに女性相談員から電話がかかってきたそうですが、優里さんにとっては児相と婦人相談員も「役所」である以上の区別はつかず、支援にはつながりませんでした。妻に対するDVと子どもへの虐待との対応を一本化することが、重要だと思います

また両親の悪口をいい、被害者を孤立させる手口も典型的です。

「雄大が私の父と母のことをすごくばかにしていて『私の父と母が育てたから、私みたいなばかな娘ができたんだ』『いつまで親のすねをかじっているんだ』とか言われていたので、親には相談できなくなりました」

東京に転居するまえ、雄大容疑者は先に東京に行き、優里さんと結愛ちゃんは、優里さんの実家で過ごしている。そこでは、気の置けないのんびりとした時間が流れていて、体重を増やした結愛ちゃんをみて、雄大容疑者は怒りました。「俺がいない間に結愛が少し太っちゃっている」。「だれている」。「間が抜けている」。「俺の努力が水の泡になった。もう一度締め直す」。結愛ちゃんの体重が急激に減るのはそこからです。

東京に来て離婚の話を具体的に出してから、結愛ちゃんは、優里さんから「とりあげ」られるようになりました。食事は雄大容疑者がが結愛ちゃんに与えるからと優里さんは手出しできず、外出を強要されて結愛ちゃんが暴行され続けていることをわかっていませんでした(あざが新しくつけられたものだと理解していませんでした)。

そもそも、優里さんの連れ子である結愛ちゃんを虐待することは、優里さんに対しての暴力そのものです。再婚して初めて雄大容疑者が結愛ちゃんを蹴ったとき、

優里被告「体と口が動かなかったです」

 弁護人「涙は出ましたか」

 優里被告「自分では分からないけど、雄大にそのときに『お前が泣いている意味が分からない』と言われたので涙が出ていたんだと思います」

 弁護人「やめて、と言えたんですか」

 優里被告「雄大の暴行が止まって、少しして言いました」

 弁護人「それに対し雄大さんは何と言いましたか」

 優里被告「『お前が結愛をかばっている意味が分からない』って」

 弁護人「お説教が始まったのですか」

 優里被告「そのときの前後の記憶がないのでお説教までは分からないです」

 弁護人「そのときの気持ちは、どういう風なこととして残っていますか」

 優里被告「怖い、悲しい、痛い、つらいです

優里さんは自分が泣いていることに気が付かないほどに、「怖い、悲しい、痛い、つらい」思いをさせれたのです。もちろん、一番つらいのは、結愛ちゃんに違いありません。結愛ちゃんへの暴力は、優里さんを支配するための手段でもありました。

やり直そうと東京に来て、結愛ちゃんに本格的な暴力が始まってしまったとき、優里さんは次のように気持ちを語っています。

自分の気持ちが…自分の感情があると知らなくて…。うれしいとか悲しいとか、自分にあると知らなかったので、そのときの気持ちとしては何も思わなかったけど…私の心のど真ん中にある…心を覆っているものが、バリバリバリとひびが入って、おなかにドスンと落ちて…。音も聞こえなくて、目の前の動いている人がスローモーションになって…。感情はないけれど、そういう現象が私の中に起こりました

何度も離婚したいといったけれども聞き届けられなかった優里さんは、「2人で(離婚の)合意がないと逃げられない」と思い込んでいました。加害者と被害者の間に、合意を成立させることは、とても困難です。

「雄大に入籍直後からずっと離婚をお願いしていましたが、何度も説教されました。2人で(離婚の)合意がないと逃げられない状況と私の中で思ってしまい、離婚はどうしても無理で、雄大と結愛を引き離さないといけない。結愛を施設に入れたいと雄大に頼みました」

もしも、いくら雄大容疑者が合意しなくても、子どもを連れて逃げてもいいんだと優里さんが思えたら、それを社会がサポートで来ていたら、結愛ちゃんは死ななくても済んだでしょう。優里さんが、逃げることも、結愛ちゃんを病院に連れていくこともできなかったことで、結愛ちゃんは亡くなってしまいますが、それは優里さんだけの罪なのでしょうか?

(結愛ちゃんは)、1人で座って、スポーツドリンクを飲み、アメを舐めた。

だんだんとまぶたが重そうになり、まばたきがゆっくりしていった。

もうろうとしてきた結愛ちゃんに、優里被告は「眠いの」と聞く。結愛ちゃんは「寝ない」と返す。

午後4時ごろ、結愛ちゃんはとうとう1人でトイレに行けなくなった。

優里被告は手を引いて、トイレに連れて行った。

午後5時ごろ、手を握る力が弱くなり、結愛ちゃんは手を開いたり閉じたりする「グーパー」ができなくなった。体が冷え始め、温めるために優里被告は結愛ちゃんの足にタオルを巻く。

午後5時半になり、衰弱していく結愛ちゃんを励まそうと、優里被告は嘘を吐いた。結愛ちゃんが懐いていた祖父母の話をする。

「ばあば、じいじが来てるよ」「ディズニーランドに行こう」と話しかける。結愛ちゃんが「うん」とかすかに笑う

「小学校に行ったら、楽しいことしよう」と言うと、また「うん」と笑顔を返した。

10分ほどして、結愛ちゃんは苦しそうな様子になり「お腹が痛い、お腹が痛い」と繰り返した。

飲んでいたスポーツドリンクを吐き出し、そのまままぶたを閉じて、開かなくなった。

出典:結愛ちゃんの最期 「じいじ、ばあばが来てるよ」という母の嘘に「うん」と笑顔を返す【目黒区5歳児虐待死裁判・詳報6】

その後、優里容疑者は、結愛ちゃんの死亡を知って、卒倒したという。

公判の様子は、目黒5歳児虐待死事件、母親の公判始まる。嗚咽しながら「間違いありません」からの一連の記事、【目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報】(1)「結愛が一番楽しく過ごせる家庭を作りたかった」涙声で供述の一連の記事で読むことができます。これらに取材を付け加えて本記事を書いています。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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