Yahoo!ニュース

「壺を作るかのように」 あん馬のスペシャリストから学ぶ中堅ビジネスマンに必要な資質とは?

瀬川泰祐株式会社カタル代表取締役/スポーツライター/エディター
2020 東京五輪 体操 男子 種目別 決勝で演技する亀山耕平選手(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

2013年の世界選手権で優勝するなど、体操・あん馬のスペシャリストとして、日本の体操界を長年にわたり牽引しながらも、これまでオリンピックには縁のなかった男、亀山耕平(32)。彼はなぜ苦しみながらも夢の舞台を掴むことができたのか。そこには、中堅ビジネスマンが大いに参考にすべき亀山流の生存戦略があった。

※このインタビューは、オンラインイベント「Criacao Athlete College(クリアソン・アスリート・カレッジ)」の中で公開収録されたものです。(聞き手:瀬川泰祐)

山あり谷ありの体操人生が完結した東京オリンピック

――東京オリンピックを振り返ってみて、いま、どんな心境ですか?

亀山:東京に至るまでの道のりは、本当に辛かったです。でも、ストレスをかけ続けて、やっとオリンピックに行けることが決まったので、会場に入ったときには、苦労が全部吹き飛びました。同時に「楽しもう」という気持ちになれたため、ピュアな状態で競技に向き合うことができた気がします。

――東京に至るまでは本当に険しい道のりだったと思います。そのプロセスについて、お話を聞かせてください。

亀山:2013年に世界選手権で金メダルとることができましたが、その後、リオオリンピック(2016年)には行くことができず、さらにようやく目の前に迫った東京オリンピックは延期されてしまいました。東京に至るまで紆余曲折があったので、もしも、金メダルが取れていたら、すごくきれいなストーリーだったんですけどね。

――演技を終えた後の気持ちはいかがでしたか?

亀山:予選の演技を終えた時は、「よっしゃー!」という充実感がありました。でも、決勝のときは二回くらいバランスを崩してしまったので、「やっちゃったなぁ」という悔しさが残りました。

――山あり、谷ありの体操人生ですが、途中でやめようと思ったことはありましたか?

亀山:2013年に世界選手権で金メダル取った後に、やり切った感覚になってしまい、「もう体操はいいかな」という気持ちになりました。でも、周りの方たちが期待をしてくれていたので、「行ったこともないし、目指してみようか」という、中途半端なモチベーションで、リオに向かい、その結果、落選してしまいました。

リオがダメだったこともあり、競技を続けるかどうかで迷っていた2017年に、所属している徳洲会体操クラブの監督に今後のことを相談したら「やめちゃうの? もったいないじゃん」って言われたんですよ。

その時に「え、俺、もったいないの?」と驚きました。当時28歳で、すでにベテランといわれる域に入っていて、「早く社会に出ないと手遅れになってしまうんじゃないか」と焦っていました。でも最後はやると決めて、なんとかこれまで走ってきました。フラフラしたけど、意思を固めてからの5年間というのは、本当に妥協なく走り続けてこられて、自分にしては、よくやったなと思っています。

スペシャリストとして生きるという選択

――周りの人の意見を大切にし、自分を客観視しながら競技を続けてきたところが興味深いですね。あん馬のスペシャリストとして一つの種目に特化する選択をしたのはなぜなのでしょうか?

亀山:僕はあん馬を選んだのではなくて、選ばされた、もしくは選ばざるをえなかったと考えています。あん馬では、周りに認めてもらっていると感じることができたからこそ、そこに力を注ごうと決めました。

――そのあん馬で、世界で活躍することができたのは、どんな理由があるとお考えですか?

亀山:時代と自分の競技力が一致したということだと思います。長い間「日本人はあん馬が弱い」と言われてきましたが、実は弱いんじゃなくて、できるということを知らなかっただけなんですよ。あん馬は手が滑ったり、持ち損ねただけで落下して、競技の点数が一気に下がってしまうので、安全にやっていたんですよ。僕は「ここが勝負所だ」と思って、あん馬に全振りしたんです。誰もやっていない、気づいてない道を開拓してみたら、「今の時代なら勝てるぞ」と。いわゆるブルーオーシャン戦略ですよね。そこに導いてくれたコーチ陣がいてくれたこともあり、運よく世界選手権で金メダルが獲れたんです。ただし、これは長くは続かないと思っていました。だって、みんながあん馬にもチャンスがあるってわかってしまったから。だから、自分の中では2〜3年が限界かなと思っていました。だから、あれから9年間も世界のトップで戦えたというのは、誇ってもいいことなのかなと思っています。

――近年の体操界は若手の台頭が著しいですね。

亀山:はい、実際のところ、あん馬の競技力はここ最近、一気に高まったと思います。この10年で、世界で戦える選手が出てきました。今回も萱和磨選手が銅メダルを取りましたが、僕としても、時代に一役買うことができたのかなという嬉しさというか、矜持みたいなものは感じています。

――東京オリンピックは、若手の台頭が顕著に見えた大会でしたが、亀山さんはご自身の現在地をどのように捉えていますか?

亀山:諸行無常というか、僕の成長スピードよりも、時代の成長スピードの方が圧倒的に速いんですよね。しかも、年齢を重ねると、成長は曲線を描きながら徐々に下降していきます。成長して時代と合致した人が歴史を作っていくと同時に、時代に乗り遅れていく選手もいますよね。いまはまさにその分岐点かなと思っています。

――ベテランとしての存在感を出しながら生き残っていくのは本当に難しいことですね。

亀山:世界大会で金メダルを獲った時は、才能をフルに活かせる体もあって、技術もメンタルも整っていたんです。自分の能力の70〜80%くらいで勝てたというイメージです。でも、時代が進んでベテランになると、そうはいかないんです。時代を駆けていく人というのは、僕の120%に対して、70〜80%で差し迫ってくるので、えげつないんですよ。だから、ベテランになると、若い頃とはやり方が全部変わって、工夫が必要になります。

――東京オリンピックに向けてはどんな工夫をしたのでしょうか?

亀山:そもそも、オリンピック競技種目の場合、周期が4年と決まっていて、目標が定めやすいという特徴があります。4年後に勝てそうな演技構成を頭に思い浮かべ、「これができればいける!」という自信のもと、一年ごとに大枠を決めて、かつ試合ごとに組み立てていく感じです。でも、組み立てた通りにはいかない苦しさや、葛藤があるんですけどね。「この技、合ってないのかもしれないな」と感じることもありますし。でも、全部それで片付けてしまってはダメで、どこかで壁を突破する体験が必要になります。

――では、常に最大の力を発揮するのではなく、4年後にそこに行くために段階を踏んで力を発揮していくという戦略をとったのでしょうか?

亀山:必ずしもそうではないんですけどね。常にその時点でのベストを出し切らないと生き残ることができない状況になることもあります。それこそ、時代の波に乗ってくる若者は70%でも勝てるわけですので、1年目から120%で戦わないといけない場合もあります。20歳の選手と、32歳の選手の戦略は大きく変わってくるんです。

――ベテランになると、伸びしろは減っていくわけですが、その中でどう時代に抗うのでしょうか。

亀山:まずは得意なところで勝負して、それでもダメで、結局最後は、苦手なところに伸びしろを見つけ出すという感じですね。

――だとすると相当に苦しかったでしょうね。

亀山:周りからしたら、「その変なトレーニングは何?」みたいな感じだったと思いますよ。本当に模索しながらやってきたんで。

ビジネスにも必要な「教わる」極意

インタビューに答える亀山耕平選手(筆者撮影)
インタビューに答える亀山耕平選手(筆者撮影)

――オリンピックに行くためには、コーチとの関係づくりも重要だと思います。亀山さんは、コーチに教わることに対して、どのように工夫したのでしょうか?

亀山:フィードバックをしっかり行なうことですね。教えてもらったあとに、「やってみたら、こうなりました」というフィードバックをすると、「じゃあ次はこうしてみよう」というように、次が生まれてくるんです。次を生み出せるかどうかは、アスリートにとって大きな分岐点ですが、これはビジネスの世界でも同じことが言えるんじゃないかと思うんです。

――まさにその通りですね。亀山さんの場合、ベテラン選手として若手に教える機会もあると思います。教えることに関しても、聞かせてもらえますか?

亀山:知らないことは教えることはできないですよね。僕は自分の中に確固たるものがないと教えてはいけないと思うんです。ものごとの本質や構造を理解していれば、相手が何に迷っているかが、手に取るようにわかるものです。相手の悩みに確実にヒットする答えを持っているからこそ、教えられるのではないでしょうか。ただこれは、僕が体操で感じている話ですので、ビジネスに共通するかはわからないですけど。

――商談を成功させるためには、相手の悩みにいかに解決策を提示できるかは、大きなポイントですので、ビジネスでも一緒だと思います。ご自身が行なっていることを抽象化して応用できる方は、ビジネスの世界でも活躍しそうですね。

亀山:活躍したいですね(笑)。

ピュアさが生み出した世間からの共感

――例えば、マラソンの場合、誰よりも早く走ればいいので、基準が明確です。でもあん馬のように採点競技の場合、他人に評価される難しさがあると思います。評価されるということに対して、亀山さんはどのように向き合ってきましたか?

亀山:壺を作る職人と一緒なんだろうなと思うようになりました。いい壺を作っていたら、商人が現れてこの壺、すごくいいねって言ってその壺が売れる、みたいな感じかなと。負けず嫌いの人は、人にどう見られているのかを考えるのかもしれませんが、僕のような、それほど負けず嫌いじゃない人間は、壺を作っている感覚なんだと思います。

――東京五輪を見ていて思ったのが、競技に対してのピュアさが改めて評価されたなと思います。これだけたくさんの選択肢がある中で、一つのことをやり続けてきた亀山さんの人生を「かっこいいな」と思った人は多いのではないでしょうか?

亀山:若い世代は、本当に体操が大好きなんですよ。プライベートな時間でも、ずっと体操の話ばかりしているし、体操の動画ばかり見ている。ピュアさって、ある意味最強ですよね。彼らは遊ぶように体操するんだから、強くなりますよ。僕の場合は、苦しみ抜いて、最終的に楽しめたって感じですね。

――最後に今後の目標を教えていただけますか?

亀山:体操は、コツコツやるしかないんですよね。体操を通じて得ることができる能力って、自己を向上させる能力だと思うんです。人目を気にせずに、壺を作るように今後も地道にコツコツとやっていきたいなと思っています。

――亀山さんの壺が完成する日を楽しみにしています。

亀山:そうですね。もしかしたら、完成せずに終わるかもしれないですね(笑)。

株式会社カタル代表取締役/スポーツライター/エディター

スポーツライター・エディター。株式会社カタル代表取締役。ファルカオフットボールクラブアドバイザー。ライブエンターテイメント業界やWEB業界で数多くのシステムプロジェクトに参画し、サービスをローンチする傍ら、2016年よりスポーツ分野を中心に執筆活動を開始。リアルなビジネス経験と、執筆・編集経験をあわせ持つ強みを活かし、2020年4月にスポーツ・健康・医療に関するコンテンツ制作・コンテンツマーケティングを行う株式会社カタルを創業。取材テーマは「Beyond Sports」。社会との接点からスポーツの価値を探る。ライブエンターテイメントビジネス歴20年。趣味はサッカー、キャンプ。

瀬川泰祐の最近の記事