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98歳の父と90歳の母の老老介護。離れて暮らす娘は実家に帰るべきか。話題の映画が示すこと 5/5

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
父母の生活が一転 (C)「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

 認知症の90歳の母とその介護をする98歳の父の暮らしを自ら撮影したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が大ヒットしている信友直子監督のロングインタビュー、最終回の第5回目。(第1回目第2回目3回目4回目

 認知症、老老介護。現代社会の問題を優しい語り口調で綴るドキュメンタリー映画が話題になっている。『ぼけますから、よろしくお願いします。』~広島県呉市。泣きながら撮った1200日の記録~。

 このインパクトのあるタイトルは、笑いながら実際に言った母の一言。

 つらいはずの現状を穏やかな映像として観た観客たちから、「両親を思い出しました」「介護は暗くなりがちだけれど、もっと楽観的にすればいいと思った」「いっぱいいっぱいだったけど気持ちが楽になった」「イライラしていた介護。もっと大らかにすればよかった」という声が多く、励まされ、力をもらえる映画と評判になっていると、映画館「福山駅前シネマモード」ディレクターの岩本一貴さんも語る。 

 2001年から映像を撮り始めて、徐々に移りゆく父母の暮らし。なお明るくほのぼのとした家族に、2018年9月30日、さらなるアクシデントが降りかかる。母の脳梗塞発症。

 新たな家族の状況に、どう向き合っていくのか。そして、信友監督自身の未来について。結婚は? これからの生活は? 

 信友ファミリーの物事のとらえかた、相手に対する接しかた、生活のしかたが示すもの。

 すべての人に通ずる、迫り来る老いへの現実に対して、一つの指針となる生き方とは。

地元、呉で生活をする父と母。東京で離れて暮らす一人娘の私。帰省した時の三人の日常を映像に残してきた 撮影/佐藤智子
地元、呉で生活をする父と母。東京で離れて暮らす一人娘の私。帰省した時の三人の日常を映像に残してきた 撮影/佐藤智子

―― タイトルになってる「ぼけますから、よろしくお願いします。」っていうのは、お母様がほんとにお話しされたことだからこそ。でも、字面だけだとあれだけど、映像で観ると、かわいいなと思いました。

信友 母らしいんですよね、言ってることがね。ちょっと自虐入ってて、ブラックユーモアで、母らしい言い方だなと思ったから、タイトルにしたんです。

―― ぴったり。それを言われたのが2017年のお正月のことですよね。2年前ですね。

信友 そうです、そうです。2年前ですね。2年前か。そうですね。

―― お母さんっ子だったとのことですが、ズバリお母さんのどういうところが好きなんですか。

信友 どういうところが好き。どういうところが好き。言葉にすると難しいけど、めっちゃ気が合ったんですよね、ほんとに。相性が良かった。話してて面白かったから。

―― お母さんの言ったことは、分かる分かるって感じなんですか。そうそうそうみたいな。

信友 ギャグが面白かったっていうか、センスが好きだった。

―― 笑いのセンス?

信友 笑いのセンスが好きだった。そうそうそう、それですね。

―― 同じものを見てくすっと笑える感じで。

信友 そうそう。物事の面白がり方が。

―― だから、信友監督の乳がんのときも髪が薄くなってしまった時も「かわいい?」「かわいいよ」みたいな。そういうかけ合いができる。同じようなトーンでできるってことですよね。

信友 しょっちゅう冗談言ってるんだけど、お互いの笑いのツボが似てたんですよね。

―― お母さん、真面目な方だし、頑張り屋さんで、今までいろいろ気を張ってやってきたのかなっていうのがあるじゃないですか。それが認知症になってから、世話をかけたくない、迷惑をかけたくないというのにつながるような。これが結構、認知症の一大テーマじゃないですか。迷惑をかけたくないと思っている人に対して、全部やってあげてしまったら、これまたプライドが傷つくというか。信友監督が「手伝おうか」っていうのをだいぶ待って手伝っているじゃないですか、映画でも。

信友 あれは撮ってるから、撮ってない時は「手伝おうか」って言う前に手伝ってますけどね(笑)。

豆から挽いて飲むお父さんこだわりのコーヒーは、長年、「海軍さんの珈琲」(昴珈琲店、戦艦大和のコーヒーとして有名)がお気に入り 撮影/佐藤智子
豆から挽いて飲むお父さんこだわりのコーヒーは、長年、「海軍さんの珈琲」(昴珈琲店、戦艦大和のコーヒーとして有名)がお気に入り 撮影/佐藤智子
昴珈琲店にも映画のポスター、チラシが。病院、商店、飲食店、呉の町の至るところに、映画のポスターが貼られている 撮影/佐藤智子
昴珈琲店にも映画のポスター、チラシが。病院、商店、飲食店、呉の町の至るところに、映画のポスターが貼られている 撮影/佐藤智子

―― 自分でやろうという気持ちを尊重してるのかなと。

信友 でも尊重はしてます、それはしてます。例えば、うちは布団の上げ下ろしって毎朝するんですよね。人もたいして来ないんだから、布団敷きっぱなしでもいいわけじゃないですか。なんだけど、絶対朝になったら布団たたんで上げて、いすと机を出して本読んで、夜になったら片付けてまた布団敷くんですよ。そういう生活リズムを丁寧に暮らしてるんですよね。

―― だって、コーヒーを飲むにしても。

信友 コーヒーメーカーで豆から挽いて。ちゃんとカップとソーサーも出して。そういう丁寧な暮らしをやってるのは、絶対尊重しようと思って。

―― 洗濯機も二槽式。全自動にしちゃえば簡単じゃんと思う人もいるかもしれないけど。

信友 私も100回ぐらい「全自動にしたらボタンぽんだから、そうしようよ」って言ったんだけど、絶対聞かない。ほんと父がすごいなって思うのは、母がやってたようなやり方でやってるんですよ。母には洗濯の手順があって、あらかじめ手で下洗いしてから洗濯機にかけて、それをまたタライでゆすいで…ってあるんですけど、父はいま、そっくりそれを真似して洗濯してる。

 父は母が元気な時に全然家事ってさせてもらえてなかったんですよね。ほんとは好奇心もある人だから、やりたかったのかもしれないけど、母のプライドが、私がやるんだからって。だけど、ちゃんと見てたんだと思うんです、やり方を。母のしまってた所にちゃんと同じようなたたみ方をして、洗濯物をしまって。

母が認知症になって、

95歳から家事を始めた父。

料理も掃除も洗濯も縫い物さえも

―― お父さんはお母さんが認知症になったから家事を始められたんですよね。

信友 95歳ぐらいから。

―― 誰かが教えたわけじゃないでしょ、ご自分で。人間ってすごいですね。

信友 すごいですよね。縫い物してる時はほんとにえっと思って。ちょっと目を疑ったの。

―― あれも急に自発的になんですか。

信友 ある日突然やってたからびっくりして。布団の襟にタオルを一回一回縫い付けるんですよ。それで、汚れたら一回一回ほどくんですよ。それでまた洗って縫うんですよ。他のやり方があるんじゃないかと思うんだけど、母がそうやってたから、父もそれやってるんですよ。

―― 手抜きがないんですね。もういいかってことがないんですね。

信友 歳取ってるからそれだけで1日が終わっちゃう。日々の細々したことをやってるだけで1日が終わるんだけど、それも人生だなと思って。

―― 人間らしいですよね。

信友 そう。っていうか、歳取って暮らしていくってことはそういうことなんだなと思って。

子育てのコツは? の問いに、「だまさない。正直に。大人として扱う。対等に」と答えてくれたお父さん。いつも、幸せだと感謝を忘れない 撮影/佐藤智子
子育てのコツは? の問いに、「だまさない。正直に。大人として扱う。対等に」と答えてくれたお父さん。いつも、幸せだと感謝を忘れない 撮影/佐藤智子

―― この時代に、全部自分の手でやろうと。でも、ちゃんと新聞読む時間は確保してるじゃないですか。

信友 毎日取ってますからね、新聞4紙を。すごいですよね。

―― お父さん、しっかりされていて、頭もいいですよね。

信友 いいと思います。私がへーって感動したのは、広島に住んでる私の友達の所に、父がお歳暮でコーヒーを送ってるんですよ。「お父さまからコーヒーがきた」っていう連絡が来て。すごいなと思って。98歳にして。

―― すごい。やっぱり品性があるんですよ。

信友 ですね。すごいなと思って。

―― でも、この親にしてこの子ありって感じで。全体の絵面がすごい上質な感じがするんですけど。お父さまが案外いい男だったと気付かれたとおっしゃってましたけど。

信友 そうですね。母にとってのいい夫だったってことですね。

―― それはどういう意味で? 頼りがいがある?

信友 母が認知症になったら、ここまで面倒を見るっていうふうに私、全然想像してなかったので。父が家事をしてるところを全く見たことがなかったから。代わりにあれだけのことができるって思ってなかったので。

―― それは、お母さんを支えたいのと、信友監督に心配かけないようにしてるんですかね。

信友 そこまで考えてないと思いますけどね。ほんとに自然だと思いますよ。父に「何でこんなことできんの」って聞いたら、戦争に行ってる時に兵隊っていろいろさせられるんだって。自分の繕い物とか料理当番だった時もあるしって。だから大体のことはできるんだって言ってましたよ。

―― その世代ならではの。何でもできるんですね。何もないところから何でも作り出せるってことですよね。

信友 そうだと思います。

―― これ普通の人なら、火事場の馬鹿力でできる人もいるかもしれないけど、なかなか難しいですよね。そういう、自分の力でやろうというのも一つの生命力につながっていますね。

信友 そうだと思いますよ。やろうって思うのがやっぱり生命力につながってると思う。

―― そうですよね。そういう意味では安心ですよね。家に帰ったら家がぐちゃぐちゃになっていたら、心配ですもんね。

地元、呉に度々帰ってこようとは思っているが、忙しい日々が続く 撮影/佐藤智子
地元、呉に度々帰ってこようとは思っているが、忙しい日々が続く 撮影/佐藤智子

東京に離れて暮らす一人娘として。

親の介護のために地元に帰るべきか

―― 今回、どうしても聞きたかったのはやっぱり、親が病気になった時、子供としては、どうすればいいのかということ。キャリアウーマン、東京に住んでる、40年近く一人暮らしをしてる。そこで実家に帰ろうかどうしようか。みんな、それを思うんじゃないですか。一人娘ですよ。自分しかいないとなったら。そういうのは前から葛藤はあったんですか。仕事してる時から。親の介護、面倒を見に帰らないといけないのかなと。

信友 母が認知症になる前からってことですか。

―― はい。

信友 でも、ゆくゆくはそうだろうなとは思ってました。

―― 迫り来る現実が今ある時に、今どう思われてますか。

信友 母が(2018年の)9月30日に脳梗塞になって、入院して、父が一人暮らしになってるから、いよいよ帰らなきゃいけないかなとは思ってます。

―― 脳梗塞は、ほんとに突然のことなんですか。

信友 突然、ほんとに突然。今まで父は「何かあったら電話するわ」って言ってたけど、今まで一回も電話があったことはなかったんですけど、初めてあったんですよ、夜の10時に。だから、これは本物だと思って。

―― どういう感じで。

信友 「お母さんがおかしいんじゃ」って言って電話かかってきて。だけどその時はまだ母はしゃべれて、電話の向こうで「もういいから、救急車呼ばんでもいい」って言ってるんだけど、救急車呼ぼうかどうしようかっていう電話だったの。「呼びなさい」って言って。「直子が呼んでくれ」って言うから、「お父さんが呼ばんとダメ」って言って。

―― でも、一命を取り留めて今は元気なんですか。

信友 今は脳梗塞のリハビリ中です。意識はある。

―― しゃべれる感じで。

信友 しゃべれる。だけど、左半身不随。だから左の半身を機能回復すべくリハビリをやってるんだけど、これが認知症だから進まない。「何で私は左が動かんのかね」っていうのがすぐ始まるから、そのたびに説明して「家に帰りたいでしょ、そのためにはね」っていうふうに言ったら「そうだね、頑張ります」って言うんだけど。

―― 脳梗塞になったってことも忘れちゃう。

信友 すぐ忘れちゃう。やっぱりリハビリっていうのは目的意識がないと続かないので。

―― そうか。そういう現実がある。

母が脳梗塞に。父と娘の結束はより固いものになっている 撮影/佐藤智子
母が脳梗塞に。父と娘の結束はより固いものになっている 撮影/佐藤智子

―― お父さんとお母さんは、認知症になってから、すごい絆が深まったと。でも定年された後、北海道や沖縄に2人で旅行に行ってたんですよね。

信友 すごい旅行してます。夫婦仲はいいですよ。

―― 昭和一桁よりもっと前の生まれだと、男尊女卑じゃないけど、お父さんは厳格で家のことは何もしないというイメージだけど、たまたまお母さんが家事が完璧で、お父さんが出る幕がなかっただけで。

信友 そうそうそう。父は母がやってくれるんならしめしめと思って、本読んでたって感じ。浮気したことも全くないし。会社の女の子にはモテてましたけどね。すごい話しやすいから。パワハラの上司とは真逆なタイプだから。

―― じゃ、夫婦そろって、人の話を聞いたり。

信友 そうだったんでしょうね。私、子供の頃は母とばかりつるんでいたから父にあんまり関心がなかったんです。寡黙だし、家では。本ばっかり読んでたから。だけどどうも会社の女の子にはめっちゃ人気あったみたい。慕って遊びに来る人とかもいましたよ。定年退職になった後。

―― それはすごい。じゃ夫婦2人の生活とはいえ、結構地域のみなさんといい感じで。

信友 ほんと1日に何人も遊びに来てたし。その度にコーヒー入れて。

―― もてなす気持ちがあるんですね。

信友 そうですね。よく出かけてたし。母も何だかんだいってすごい書道であっちこっち行ってたから。だから父も偉いですよね。全部交通費とか出してたわけだから。

やりたいことをとことんやらせる。

信友家の「コントロールをしない」生き方

―― 好きなことをやらせてあげて。行かせてあげて。そこで思ったのが、私なりの信友家ルールっていうか、信友家のすごいところは、やりたいことをやらせるっていう。

信友 そうね、ほんとそう。

―― コントロールが全然ないから、例えば寝たいだけ寝ていい。読みたいだけ本読んでいい。仕事はやりたいだけやっていい。一つも制限がないじゃないですか。例えば「もうこれくらいにしときなさいよ」とか、「もう歳なんだからそんな勉強したって」とか、「仕事もいい加減やめなさい」とか、そういう言葉が一切ない家庭だなって思って。

信友 そうかも。

―― それはほんとに見てて思ったんです。やりたいことをやらせられるっていうのが、一番私の中ではテーマになった。やりたいことをやらせられるのは信頼、圧倒的な絆がないと。だって親は大人だから「それやったら危ないよ」とか「それやめなさい」とか自分の経験値で枠にはめそうだけど、好きなだけ気の済むまでやったらいいよと言えるなんて。だから病気をしても、乳がんになった時も責めるようなことを言わなかったでしょ。「あなたは仕事をし過ぎよ」とは全然言わなかった。

信友 全然言わなかったですね。そうね、言わなかった。

―― やっぱり言う親も多いですよ。毒親という言葉も世間で言われていますが。

信友 そういう意味では言われたことないな。

―― ほんとにそこが素晴らしいからこそ、映画を観てて、全然つらくないんです。あれが相手に「あれだけ言ったじゃん」というふうに責めることがあったら観ててつらいです。

信友 そうね、それはほんとにないかも。私もそうやって好きにさせてくれるっていうことは、信頼されてるわけだから、その期待を裏切っちゃいけないっていうのはあったかも、ずっと。もし何か制限されることを言われてたら反発してたかもしれないけど、逆に。あまりにも言われないから、これは自主性に任されてるんだなと思って、私がちゃんとしなきゃって、この期待を裏切ることはできないって思ったかな。

―― 例えば、親に反対されて、それを押し切って東京出てきて、仕事をやってるっていうんだったら、ちょっとそれが仕事に出ちゃう、意地が出ちゃうというか。信友監督のピュアさっていうのは本当に大切に見守る形で育てられた人だし、家族がそうなんだなあと。子どものために我慢してるわけじゃなくて、みんながみんな好きなことを追求している。

信友 好きなことやってましたね。

呉に帰ってきてもなかなか実家でゆっくりできない信友監督。この日も午後から広島市内での舞台挨拶と取材へ向かう娘を見送る父 撮影/佐藤智子
呉に帰ってきてもなかなか実家でゆっくりできない信友監督。この日も午後から広島市内での舞台挨拶と取材へ向かう娘を見送る父 撮影/佐藤智子

―― そこが素晴らしいなって、私は映画を観てすごく思ったんですよ。

信友 母も書道をやってるときに、全く父から「そんな遠いとこまで行くとお金もったいないから」って言われてないのね。中小企業だったからそんなに金持ちでもないし、たぶん大変だったと思うんですよ。神戸まで、たぶん2週間に1回ぐらいは行ってたからお金がかかってたと思うのね。なんだけど、全く何も言ってなかったから、2001年の一番最初に映像を撮った時に母が、「年金はちょっとしかないのに、好きな書道やらせてもらってほんとに感謝してる」って言うんですよね。

 この映画の最後のところで、父が母に怒るじゃないですか。「感謝しろ」と母に。「あの時、おまえは感謝の気持ちを持ってたのに、感謝の気持ちを忘れたんか」って言ってるなあ、というつもりで、私は映像をつないだの。

―― あんなに本気で怒鳴ったり。もう90代だったら弱々しく、もうええわってなるのを。

信友 あの怒るエネルギーもすごいよね。今見ると、あの時はほんとにけんかしてるとしか思わなかったけど、母をちゃんと叱ってるんですよ、父が。

―― 諦めてないでしょ。

信友 そうそう。父が怒りにまかせて何か言ったってわけじゃなくて、ちゃんとそういう母を、母のために叱ってるんですよ。あれがすごいなと思って。

―― あの映像を観て、ほんとに歳とか関係なく、夫婦というか、ちゃんと同志というか、すごいと思いました。あれはほんとに感動しました。お母さんも、やろうと思ってそうなってるわけじゃないから、それ十分分かってると思う。

信友 母には母の理屈があって、ほんとに迷惑かけてるからいなくなりたいんだけど、どこにも行きようがないから。

―― 自分の置かれた現状というよりも、人に迷惑かけるのがつらいということですよね。

信友 あんたたちに迷惑かけたくないってことだよね。

―― あれを観て、認知症の人がただ自分だけぼけてるんじゃなくて、すごくいろんな葛藤があって、つらさがあるんだろうなって思います。好きでそうなっているわけではないと。

信友 ほんとですよね。

―― この映画、すごくいい話でした。ほんとに。

信友 ありがとうございます。

「ありがとうございました」とパンフレットに直筆のサインを 撮影/佐藤智子
「ありがとうございました」とパンフレットに直筆のサインを 撮影/佐藤智子

映画のパンフレットも

認知症の経験を活かして自分で作って

―― そして、映画のパンフレットがこれまた素晴らしくって。

信友 ありがとうございます。

―― 私、雑誌を作っていたんですが、だから、すごいって感心したんです。

信友 ほんとに手作りですよ、これ。

―― 何が素晴らしいって、家族3人のこれまでの生きてきた年表が入り、ご自身と周辺のインタビューが入って、認知症の情報が入って。チェックリストも対策も注意すべきことも入っている。そして自分はこうしましたよっていう経験談も。要介護認定の説明。これ、普通に売ればいいのにっていうぐらいのクオリティだと思うんです。私こうやって映画作りましたじゃなくて、認知症の人の接し方はこうです的な。これは涙出る。めっちゃ素敵。これはすごいですよ。

信友 ありがとうございます。

―― これも今回、認知症のことを勉強されたんですか。

信友 してないです、特には。以前、若年性認知症の取材の時にけっこう勉強して身についていたので、新しくこのために勉強してないですね。

―― だからかな。すごく体験者が語るみたいな感じがしたので。なんか、映画にも、認知症のこと分かってよ、勉強してよっていう当事者からの訴え感がしなかったんですよ。

信友 そういう声高に訴えるのは、嫌いだからやってない。

―― やっぱり、だから全然ね。

信友 押しつけたくないから。うちはこうだったんだけど、見てみて何か感じることあったらありがたいです、ぐらいの感じかな。

―― そうですよね。パンフレットでも、認知症の方のプライドを尊重する、問い詰めない、昔話で盛り上がるとか。認知症を家族に持って経験したことを伝えられている。

信友 パンフレットは、私が好き勝手なことを書いて、監修の先生がいるんだけど、その先生に見てもらって、それでOKだったらいいやって感じ。

―― でも最新情報もちゃんと入ってたんで、素晴らしいって思うんですけど。

舞台挨拶後のサイン会で。観客ひとりひとりと丁寧に話をする信友監督 撮影/佐藤智子
舞台挨拶後のサイン会で。観客ひとりひとりと丁寧に話をする信友監督 撮影/佐藤智子

―― そして、また新たなドラマとして、お母さんが脳梗塞になって、状況が変わって、二人暮らしからお父さんが一人暮らしになったじゃないですか。現実の問題として、あの話は終わってない、今も続いてるでしょ。それにこの先の未来についても、ほんとに何が起こるか分からないでしょ。それは誰もが同じだと思うし。信友監督としては、この先どういうふうな親との関わり方をするのか、今後の人生についてどう思われてます? 現時点では。

信友 現時点ではね、母の脳梗塞の回復具合を見てたら、たぶんもう家には帰れないかなと思ってるので、最初は父も家に帰らせてっていうふうに、「おまえ家に帰ってこいよ」って言ってたけど、父ももう言わなくなったから、たぶん父も分かってると思うのね。だから施設を探すしかないかなと思ってる。現実的なことをいうとね。

―― じゃ、その場、その場の対応をしていくってことですね。

信友 そうね、だって母が脳梗塞になるなんて想像もしてなかったから。認知症がどんどん進んできて、私のことが分からなくなったらどうしようとかは考えていたけど。ここが家だって分からなくなったら、うちにいる必要はないわけだけど、逆にいうと、ここが家だって分かる限りは家にいさせてあげようと思ってたの。そのためには私が帰ってこなきゃいけないかもしれないと思ってたんだけど。それとか例えば、父がもう98歳だから、先に亡くなった時にどうしようかというシミュレーションはしてたけど、まさか脳梗塞という別の病気がくるとは想像してなかったから。

―― そうですよね。

信友 別に血圧が高いわけでもなかったんですよ、母。デイサービスで毎回測ってて、全然血圧が高くないから、そういうの気にしてなかったんだけど、たぶん今考えると、夏暑かったじゃないですか。夕方まで寝てる時もあったから夕方まで水を飲んでなくて、脱水症状だったのかなと思って。

―― 動脈硬化でね。

信友 そう。だからそれは今言ってもしょうがないんだから、何が起きるか分かんないから、起きたことで考えるしかないかなと思って。

これからの自分の人生。

結婚は今考えられないけれど、

何がどうなるかこの先は分からない

―― また撮り続けるんですか。

信友 今のとこは撮ってます。

―― さらなるドラマがまたあるかもしれないし。でもご自分の人生はどうですか。いずれ親もいつまでもずっといるかどうか分からないから。

信友 先に亡くなるでしょ。

―― これからもドキュメンタリーを撮っていくのか、それとも全く違う人生があるのか。お母さんみたいな、急に書家になるみたいな(笑)。

信友 私も母が認知症になってみて、それまでは認知症になったら怖いなってすごい思ってたんだけど。自分が認知症になったら、また自分を撮ればいいんだと気付いたの最近は(笑)。自分がどうなっちゃうのか、かなり興味あるなあと思って。そう考えたらちょっと楽しみになってきた。

―― 定点カメラとかで?

信友 そうそうそう。例えば、施設とかに入って、そこの人間模様とか。私もほんとに1人だから、一番最後、家で1人っていうのじゃなくて。

呉に初めて訪れた観光客に、軍港、呉の見どころを説明する。サービス精神旺盛な信友監督 撮影/佐藤智子
呉に初めて訪れた観光客に、軍港、呉の見どころを説明する。サービス精神旺盛な信友監督 撮影/佐藤智子
戦艦大和、潜水艦、ロケ地としても有名な呉の町 撮影/佐藤智子
戦艦大和、潜水艦、ロケ地としても有名な呉の町 撮影/佐藤智子

―― 分かんないですよ、2人になるかもしれないじゃないですか。それはどうなんですか。そのお話、誰も聞かないかもしれないけど。

信友 インタビューでは聞かれないけど、友達同士とかではそういう話になるから、「今あんまり必要を感じてないんだよね」って言うと、「ほんと寂しい女だね」とか言われるけど(笑)、あんまり感じないんですよ、ほんとに。今はね。

―― 今はそうやって家族がいたりするし。

信友 でもいなくなったら、あるかもしれない。

―― だって1ヶ月前までは1館だったのが、今は50館に迫ってるでしょ。(現在は60館以上)これから海外に出るかもしれないし、いろんな人と出会っていくでしょ。そしたらいい人だなって思うお父さん以上の男性が現れるかもしれない。信友監督は、どういう人がタイプなんですか。お父さんみたいな人がいいですか。知識があって頼りになる。

信友 それもないんだよな。好きになった人がタイプっていう感じだから。ビビッときた人が。今のとこビビっときてる人もないし。

―― 出会った人かわいそう(笑)。「僕ないんだ、なしなんだ」って(笑)。

信友 めっちゃいろんな人に取材されました。これ公開になってからたぶん、名刺入れ、3冊ぐらいになったから、たぶん何百人の人に会ってるけど、会い過ぎてよく分かんない。

―― 絶対私、あの映画観て、信友監督のこと、好きになる人がいると思う。

信友 私に会って好きになるかどうかは、また別じゃない(笑)? 考えてみたら、私ほど条件の悪い女もいないですよ。父も母もあんな状態で一人っ子なんだから、今、私と結婚したら介護がもれなく付いてくるみたいなのがあるから。

―― でもそれ、どんな人だってどうなるか分かんないし。僕も信友ファミリーに仲間入りしたいという人だっていると思う。

信友 僕も映りたいとかね(笑)。

―― 支えたいとか。

信友 でもほんとに今、婚活しようという気持ちも1ミリもないし、たぶん忙しいんだと思う。それどころじゃないんだと思う。

―― 私の知人でも、そうやって長年介護されて、終わったら抜け殻みたいになって、それから婚活始めてすぐに、ころっと結婚する人もいるんですよ。

信友 全て終わったら、私、変な話、父も母もいなくなったらほんとに1人でまたぶらっと海外旅行に行きたいと思ってて。それを実はちょっと楽しみにしてるとこもあって。

 父と母がこういう状態で、例えば、何かあった時に娘はどうしてるんだって言って、「ちょっとふらっと海外に旅に出てます」ってやっぱり言えないじゃないですか。だからこの何年か海外行くの我慢してんの。すごい行きたいの、ほんとは。

―― そうか、親がこんな時に何やってんだってなっちゃうからね。

信友 絶対なるから。だから絶対日本にいなきゃいけないと思うから、今行けないのはストレスにはなってるから。そういう旅先で何かあるといいなとか。その頃はほんとに何したって自由なわけだから、海外で結婚してもいいし。

映画にも出てくる近所の魚屋さんに、鯛を買いに。店主いわく、「信友家の人は真面目で気さくで謙虚で品がある」と 撮影/佐藤智子
映画にも出てくる近所の魚屋さんに、鯛を買いに。店主いわく、「信友家の人は真面目で気さくで謙虚で品がある」と 撮影/佐藤智子

―― ほんとですよ。お父さんもお母さんも自分たちの生活が娘のためになったじゃないですか。役に立ってるみたいなね。

信友:私もそう思うの。なんか母が「私はほんとに役に立たなくてごめんね」って言うから「いや、すっごい役に立ってくれてるから大丈夫」って言って。「ほんと?」とか言ってるんだけど(笑)。分かってんのかと(笑)。

―― この映画が認知症の暗い話だって、もし思ってる人がいるとしたら、これはすごくリアルに続いている素晴らしい物語で、しかもこれから先がありそうですね。

信友 そうですよね。そうだといいですよね。

―― 人生は続くから。でも、逆にいえばこの仕事されて良かったですね。こうやってご両親の密着もできて一緒にいられるし。

信友 そうそう、そうなんですよ。そう。それが仕事だし。

―― 記憶に残るし、記念になるし。

信友 そう。だから母はもう、ああやって立って歩いて、しゃべってということはないわけだけど、あの映像は残ってるから、あれを見てれば。

―― ネタバレだけど、最後ビシッとした服をご両親が着て、同じ場所で…。

信友 2人で歩いて。

―― でも、時が経って、同じ場所で腰が曲がっているのを見ると。あれは何年ぐらい経っているんですか。

信友 一番最初に2人を撮り始めたのは2001年なの。2001年にはさくさく歩いて。あれは東京に2人で出てくる時。

―― 2人でオシャレをしてね。でも人間ってほんとにだんだん変わってくけれども、認知症になっても続いていくわけだし。

信友 ほんとそうだと思う。別に認知症の映画を撮ったつもりでもないし、老老介護の映画でもないし、父だって介護してるつもりはないし、母も介護されてるつもりもさらさらないだろうし。ただただ2人で一生懸命長年生きてますよっていう、これだけ生きてたら絆もあるし、娘が見てて恥ずかしいぐらいの絆だよ、みたいなのが分かればいいかなと思って。

―― すごい分かりました。すっごい感動したので、私もすぐ連絡を取って、これは絶対年末年始、実家に帰る人たちも多いからぜひ知ってもらいたいと。ありがとうございます。

信友 何か言い残したことあるかな。

呉ポポロシアターの一角にできた信友監督コーナー 撮影/佐藤智子
呉ポポロシアターの一角にできた信友監督コーナー 撮影/佐藤智子
手書きのメッセージをつけて 撮影/佐藤智子
手書きのメッセージをつけて 撮影/佐藤智子

がんのサバイバーでもある信友監督。

乳がんを経験して、はたと気付いたこととは?

―― 何かあれば、また聞きますよ(笑)。と言ってるそばから、乳がんのその後の経過はもう大丈夫ですか。

信友 はい、大丈夫です。術後、3ヶ月ごとに再発してないか、転移してないかって、検査するんです。で、最初の3ヶ月って、やっぱりすごい怖いから、なんか転移しているんじゃないかと思うからずっと気になったんです。それで、全く楽しめなくて、毎日が。

 毎日、毎日触診してみて、どうだったろうとか思って気になっていたんだけど、3ヶ月経って病院に行ったら「何ともないです」と言われて、その時に良かったなとは思ったんだけど、その3ヶ月、本当に無駄だったなと思ったの。そればっかり気にして、全然楽しめてなかったなと思って。その時に、はたと気が付いたのは、3ヶ月悩んでも悩まなくても同じように過ぎていくんだったら、絶対楽しんだほうがいいなと思って。で、本当に楽しむだけ楽しんで、それで3ヶ月後、不幸にも転移しているということになったら、そこから考えればいいんだからって。

―― 結果が出る前は、どっちに転ぼうともね。

信友 そう。どうなるか分からないことで、ぐじゅぐじゅ考えているのって、本当に時間の無駄、というのにすごい気が付いた。本当に、はたと気が付いたという感じで。それからは、もう本当に気持ちの持っていき方が変わったというか、楽しまなきゃ損だなと思って、人生。

―― 考えたら、がんのサバイバーということですよね。

信友 そうです、そうです。

―― これでも、一つテーマになりますよね。こんなにも乳がんになる人が多い中で、こうして元気にされているし。

信友 なんか、そういうふうに考えたら、がんになった時は、これで一生、頭のどこかに、自分ががんだということがあるから、一生心の底から笑えることはないんだろうなとか思っていたんだけど、案外すぐ忘れていて(笑)。がんだっていうことを。忘れている瞬間が結構あるなって思うようになったら、人間って、結構タフなんだなと。

 そこから、なんかもう、とにかく何があっても、その状況を否定しても、例えば、認知症のことを否定しても変わらないんだからと。私が否定することで認知症が治るんだったら、それはいくらでも否定するけど。変わらないんだったら、そこで認めて、その中で、いかに楽しむか。「お母さん、こんなことをしたよ」みたいに父と笑うとか、いくらでも楽しみ方はあるから、そういうふうに考えたほうが、本当、人生楽しんだもの勝ちだなって。その思いは、がんの時の教訓から来ているのかなと思います。

舞台挨拶の後、写真撮影を求められる信友監督。いつも笑顔で気さくに 撮影/佐藤智子
舞台挨拶の後、写真撮影を求められる信友監督。いつも笑顔で気さくに 撮影/佐藤智子

―― そういう過程も楽しむというのは、まさにドキュメンタリーを作られている方の発想ですね。生きるか死ぬかっていうことも含めて、その悩んでいる過程、その時間を生きようと思えば生きられる、っていう話なので、だからすごい説得力がありますね。

信友 それも全部、初めての経験だったりすると、やっぱりワクワクすることだし、なんか新鮮だし、話のネタにもなるし。

―― 確かにね。

信友 なんでも自分の気持ち次第。幸せなんて本当、自分が幸せだと思えば幸せなわけだから。いかに恵まれているように見える人でも、ぐずぐず考えてたら、その人は幸せじゃないわけだし。結局、自分の自覚じゃないですかね、幸せかどうかなんて。

―― 下北沢の映画館の方が言われていたのが、この映画は、みんなさっと帰って行くって。いい意味悪い意味とかじゃなくて。というのは、映画は午後1時から。その前に用事があって、映画を見て、また次に行ける、というぐらいに1日の流れの中に組み込まれていると。だから、また進もうと外に出られる映画だと。どーんと来る感じじゃないから、なんか軽やかさがあるって。

信友 「めっちゃ泣いたけど、元気になったわ」と言って帰って行く人が多い。

―― そう、そう。そんな感じ。

信友 なんか舞台挨拶とか出て行くと、みんな、めっちゃ泣いているんだけど、でもなんか客席からは結構笑い声も出ていて、特に広島はね。なんか「めっちゃ感情が揺さぶられたけど、おかげですっきりしたわ。明日から頑張れる」とか言って帰る人は多い。

―― それ、いいですね。本当、そんな感じだった。なんか不思議な映画。切ないけど温かいし、何だろうなあ。一言で言えない感じです。ありがとうございました。

信友 いいえ。すみません。話が尽きない(笑)。

★信友直子監督ロングインタビュー(全5回)

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プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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