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人道が要求する非人道(里帰り出産をめぐる医療の現場とインターネット商業主義)

佐藤哲也株)アンド・ディ
(写真:ロイター/アフロ)

最近ぼんやりと考えていることがある。

国家による医療システムの提供という装置化により、人道的要請に基づく非人道が平然と行われる恐怖について。

下記は感染症対策の現場の壮絶な声だ。こういう生の声が届けられるようになったのはインターネット社会の大きな特徴だろう。

医療の現場から|四谷三丁目 note

もちろん私は戦争を知らない世代だが、前線に送られた兵士というものは同じような気持ちになるのではないかと勝手に思った。

この武器と物資で戦わないといけない。負けたら自分の命が危ない。

そんな環境から逃げ出したくなるのは当たり前で、それが戦争というものであり、だからこそそんな戦争は決して選択してはいけない。というのがこの国の憲法のスタンスである。

しかし、今看護師が感じている恐怖は戦場ではなく、都会の大病院の中で起きていることである。もちろん戦時下ではない。しかし、その最前線では常にギリギリの選択が迫られている。

本当に辛い。

続いて最近地方に帰省していた妊婦が破水した際に受け入れる病院がなかったというニュースが流れた。

それに関して産婦人科医から下記のようなエントリがあった。すでに医療サービスが衰退している地方部において、医療リソースをどう配分するか?ということは深刻な課題であるが、自分としてはそれなりに納得することができた。

新型コロナに関する里帰り分娩拒否の報道ですが_tabitoraのブログ

しかし一方で受け入れ拒否をめぐる医療システム側の問題を指摘する投稿が称賛され、SNSでシェアされる現実もある。これもインターネット社会の一つの特徴である。

気の毒にも帰省中に破水した一人の妊婦と衰退しつつある地方の医療体制との狭間の中で、避けられない悲劇が起きている。

その際に妊婦を応援したくなるのは自然な感情だが、その感情が「世論」として、政治システムの中で処理された結果、医療システムの現場では看護師が恐怖にあえいでしまう事態につながる。

マーケットメカニズムが強く働く今日のインターネット商業メディアでは広告主の要求する閲覧数や滞在時間が需要な指標とならざるを得ない。かつての安定した収益基盤に守られた新聞・テレビのようなマスメディアがメディアの矜持が守れていた時代ならまた違っていただろうが。

つまり今日では無責任な140文字に過ぎない短文で政治を騙ったり、放送メディアではできない過激なイエロージャーナリズムが跋扈するネット放送メディアが支配的という事情になってきている。

もともと医療が福祉国家の一つの機能として制度化される以前の社会では、医療従事者の「困った人を助けたい」というモチベーションはとても単純に美しかった。その際にそのまま医療従事者自身の安全をコントロールする自由度を持って医療サービスが提供されていたと考えるのが自然だろう。その事自体は十分に「人道」に基づく行為であったといえる。

しかし医療が福祉国家の機能として制度化された時代になると少し話は変わる。つまり保険診療制度や医師法で正当な事由がなければ診察を拒否できない環境の中で、現場では雇用された労働者の勤務として患者と立ち向かわざるを得ない。結果戦場さながらの非人道的な悲劇が起きている。そのことに思いをいたすことなく商業メディアで医療サービス側の責任を強く求めるようであると、本当の医療崩壊はむしろ商業メディアのマーケットメカニズムにより発生する可能性もある。

社会全員が「外出しない」という協調行動を求められているときに、メディアの在り方をめぐる論点はたくさんある。医療崩壊を起こさないメディアのあり方。これもまたその一つだろう。今後も考えていきたい。

株)アンド・ディ

株)アンド・ディ(マーケティングリサーチ会社)代表。大学院卒業後シンクタンク勤務を経て大学教員に。主に政治・経済に関する意思決定支援システムなどを研究。日本初のVoting Assisted Applications(投票支援システム・いわゆるボートマッチ)を開発、他集合知による未来予測ツールなどを開発。現在はマーケティングリサーチにおけるAI応用システムの開発を行ってます。

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