Yahoo!ニュース

ロシア「ウクライナの非ナチ化を」ホロコースト生存者の孫のゼレンスキー大統領「私がどうしてナチスに?」

佐藤仁学術研究員・著述家
(写真:ロイター/アフロ)

「ナチスと戦ってきた祖父の前でも言えますか?」

2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。ロシアのプーチン大統領は国民向けテレビ演説で「ウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指す」と語っていた。プーチン大統領は現在のウクライナのゼレンスキー大統領の政策を第二次世界大戦時のナチスドイツに例えてロシア軍の武力侵攻を正当化しようとしていた。

それに対してウクライナのゼレンスキー大統領は「ロシアはウクライナをナチスと言いますが、私たちはナチスとの戦いで多くの命が失われました。そのような私たちがナチスでしょうか?そして(ユダヤ人である)私がナチスになれますか?私たちがナチスだと、赤軍でナチスと戦ってきた私の祖父の前でも言えますか?」と怒りを込めて反論していた。

ゼレンスキー大統領はユダヤ人で祖父は第二次大戦時には赤軍に徴兵されてナチスと戦ってきた。そして祖父の3人の兄弟、父らはホロコーストの時代にナチスに殺害されてしまった。祖母はホロコーストを逃れてカザフスタンに避難し戦後にウクライナに戻ってきた。ウクライナでのホロコーストは凄惨だった。ナチスドイツがウクライナに侵攻する前からウクライナ人はユダヤ人が嫌いという人が多く、1918年~1919年の1年間に1200件のユダヤ人襲撃事件(ポグロム)が行われ、その3分の1以上がウクライナ国民軍によるものだった。当時多くのユダヤ人がポグロムを逃れてアメリカに移民して、アメリカのユダヤ人社会の基盤を作った。そしてナチスドイツがウクライナに侵攻した際には多くのウクライナ人がユダヤ人殺害に加担していた。ウクライナの地元警察がユダヤ人を熱心に逮捕し、ゲットーに送り込んでいた。ナチスの親衛隊は誰がウクライナ人で、誰がユダヤ人か区別がつかなかったので、地元警察がユダヤ人の捜索と検挙を徹底的に行った。ナチスと一緒に検挙するだけでなく、地元警察はユダヤ人を射殺して穴に落としていた。1941年9月にキエフ郊外の谷間バービ・ヤールでは約34,000人のユダヤ人が射殺され、渓谷の穴に埋められたバービ・ヤール事件はホロコースト史上最悪の壮絶な事件と言われている。

ホロコーストの歴史を伝えてきたゼレンスキー大統領

ウクライナでのユダヤ人はポグロム、ホロコーストと苛酷な歴史だった。戦後75年以上が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。

そしてユダヤ人のゼレンスキー大統領もホロコーストの歴史やナチスと戦っていた祖父、殺害された祖父の3人の兄弟のことなどを伝えていた。大統領就任直後には祖父の墓前でナチスと戦ってきた人たちを称えて平和を願うコメントを自身のFacebookに投稿していた。俳優やコメディアンだったゼレンスキー大統領はメディアの使い方とそれぞれのメディアの特性も熟知しており、あらゆるメディアを活用してホロコーストの歴史を伝えていた。また言葉の選び方と伝え方が上手く、聞き手の心に響きやすい。

ウクライナ国民向けにウクライナ語での投稿やコメントが多いが、国外でもウクライナで発生したホロコーストのことを伝えていた。2020年1月にイスラエルに訪問した際にもウクライナでのホロコーストの歴史や自身の家族の話をしていた。ゼレンスキー大統領は「両親と4人兄弟のあるユダヤ人家族がいました。3人の兄弟と両親はナチスに銃殺されました。生き残った1人はナチスと戦って、ホロコーストを生き延びることができました。戦争終結2年後に彼の息子が生まれ、その31年後に孫が生まれました。それから40年以上経って、家族の中で1人だけ生き延びることができたユダヤ人の孫はウクライナの大統領になりました。そして今、あなた(ネタニヤフ首相)の目の前に立っています」と語ると、目の前にいたネタニヤフ元イスラエル首相も「感動した」とコメントしていた。また2021年9月にアメリカのワシントンDCを訪問した際にもホロコースト博物館に足を運んでバービ・ヤール事件を語っていた。今回のロシアのウクライナ侵攻でもアウシュビッツ博物館や米国のホロコースト博物館は非難声明を出していた。

ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化しようとしている。特に歴史的にも反ユダヤ主義が根強いウクライナでは、今でもユダヤ人が嫌いという人もいる。前述のようにアメリカに移民することができたウクライナ系ユダヤ人らも当時の記憶や経験を語ってデジタル化して後世に伝えている。約34,000人のユダヤ人が殺害されたバービ・ヤール事件も当時の写真や遺品、ユダヤ人生存者、傍観や加担していたウクライナ人らの証言がデジタル化されたコンテンツとして教育や研究用にも活用されている。

また既に他界してしまったり、高齢化が進んで体力や記憶力がなくなり、当時の経験や記憶を伝えられない生存者も多い。そのような世代に代わって、ゼレンスキー大統領のような第3世代がホロコースト生存者の経験と記憶を伝えるようになってきている。このように子供や孫、曾孫といった次世代、第3世代、第4世代が両親や祖父母、曾祖父母、親せきから聞いたホロコーストの経験をデジタル化して伝えているケースが増えている。ホロコースト生存者は高齢者が多く、デジタル化のためにスタジオや自宅で長時間にわたって収録カメラの前でかつての記憶を語るのが大変だが、生存者の子供や孫はそのようなことに心身ともに抵抗が少なく、ホロコースト生存者よりも積極的で、彼らが両親から聞いたホロコーストの経験や記憶のデジタル化に協力的である。

また生存者はナチスドイツだけでなく現在のドイツ人や、当時自分達を差別迫害した地元の人々への強い恨みがあったり、家族や友人が目の前で殺害されるような当時の辛い経験や思い出を公の場や録画されて語りたくないという人も多く、自分の子供にしか話していないという人も多かった。そして、そのような両親、祖父母や親せきから聞いたホロコースト時代の経験や記憶を子供や孫、曾孫たちがデジタル化して、さらに次世代に継承しようとしている。

但し、子供や孫、曾孫世代は実際にホロコーストを経験しているわけではない。高齢の生存者よりも記憶のデジタル化は容易に進めやすいが、記憶と経験は伝達されたものだ。そして記憶は美化されて伝達されることも多く、物語になりやすいため、記憶のデジタル化と同時に伝達された記憶を元にした歴史の検証も重要になってくる。

▼バービ・ヤールでのホロコースト犠牲者追悼式でのゼレンスキー大統領のスピーチ

▼イスラエルの大統領がウクライナを訪問した時のゼレンスキー大統領のスピーチ

▼イスラエルを訪問した時にホロコーストで失った家族のことを伝えるゼレンスキー大統領

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

佐藤仁の最近の記事