エリ・ヴィーゼルの出身地・ルーマニアで初のホロコースト博物館建設へ:進められる記憶のデジタル化
ルーマニア大統領のクラウス・ヨハニス氏は2019年10月にルーマニアでは初となるホロコースト博物館を首都ブカレストに建設することを明らかにした。ナチス・ドイツによって約600万人のユダヤ人・ロマ・政治犯らが殺害された、いわゆるホロコースト。ルーマニアでも28万人から38万人のユダヤ人が殺害されたと推測されている。ルーマニア初となるホロコースト博物館は、ホロコーストの記憶を伝えていくこととホロコースト教育を目的として建設される。戦後70年以上が経ち、ホロコーストを経験して生き残った人たちも高齢化が進み、年々減少していることから、ホロコーストの記憶のデジタル化が進められている。当時の写真、映像のデジタル化のほか、ホロコースト経験者の記憶があり、語れるうちにインタビューを行って、デジタルでの保存が進められている。
「ルーマニアにおいてユダヤ人は戦前から国家の建設にも貢献していたが、戦後何十年にもわたって戦時中のホロコースト体験は表に出てこなかった。この博物館では、ホロコーストの答えがすぐに見つかるわけではないが、訪問者に問題提起をしていくことができる。ルーマニアにおいてホロコーストの記憶を回復させ、保管、維持していくことが、この博物館の目的だ。また台頭する反ユダヤ主義に立ち向かうためにもホロコースト教育を強化していく」と大統領は語った。
ルーマニアは、ロシア、ポーランドに次いでヨーロッパでユダヤ人が多かったが、何世紀にもわたって差別、虐待されてきた。1930年代後半ルーマニアではファシズムが台頭し、ナチスのニュルンベルグ法に相当する反ユダヤ主義的な諸法規の成立でユダヤ人から国籍、職業、資産、市民権が奪われた。反ユダヤ主義が根強く、ユダヤ人の3分の2はナチスではなく、ルーマニア人やハンガリー人によって殺された。30万人以上のユダヤ人が身代金と引き換えに解放されるのを待っていた。そして、ルーマニアでは、戦後になっても、ユダヤ人を身代金と引き換えることが続き、ルーマニアの独裁者チャウシェスクが1989年に失脚するまで、ユダヤ人を身代金と引き換えでイスラエル政府と交換して総額で10億ドル以上を受け取っていたことはルーマニアでは周知の事実だ。
ホロコースト経験者で1986年にノーベル平和賞を受賞した作家のエリ・ヴィーゼル氏もルーマニア出身。エリ・ヴィーゼル氏は1928年に当時のトランシルバニアの小都市シゲットに生まれたユダヤ人で、1944年にアウシュビッツに入れられ、翌年ブーヘンヴァルト収容所で解放を迎えた。戦後フランスのソルボンヌ大学に学んだジャーナリストで、1956年に渡米し、2016年にニューヨークで死去。今回のルーマニア初のホロコースト博物館も、ルーマニアにあるエリ・ヴィーゼル・ホロコースト研究機構(Elie Wiesel Institute for the Study of the Holocaust)が協力している。エリ・ヴィーゼル・ホロコースト研究機構でもルーマニアにおけるホロコースト時代の記憶のデジタル化を進めており、積極的にオンラインでも発信している。
米国におけるホロコースト博物館建設でもエリ・ヴィーゼル氏は貢献。当時のカーター大統領が1978年に「ホロコースト諮問委員会」を設置し、エリ・ヴィーゼル氏をホロコースト諮問委員会議長に任命、のちにホロコースト記念博物館運営委員会議長となった。エリ・ヴィーゼル氏は当時、追悼記念碑のようなものは作らないで、人々にホロコーストの教訓を学んでもらえる「体験する博物館」をビジョンとして強く主張した。現在でもそのビジョンは米国だけでなく欧州やイスラエルのホロコースト博物館に受け継がれており、最近では技術の発展によってホログラムでホロコースト経験者が人々の前に登場して、AI(人工知能)でリアルタイムに目の前にいるホログラムのホロコースト経験者と対話できる展示もある。
なおルーマニアではロマ(ジプシー)も約11,000人がナチス・ドイツに殺害されたと言われているが、ユダヤ人ほどの補償、記憶のデジタル化も進んでいない。