Yahoo!ニュース

京都で初開催された車いすフェンシングW杯、その魅力と可能性は?

佐々木延江国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表
車いすフェンシングW杯最終日、団体戦で戦うベテラン藤田道宣 写真・木田光重

 日本初開催となる車いすフェンシングのW杯が12月13~16日まで行われた。2020年東京パラリンピック開催国である日本の京都に、27カ国から178名の選手、100名の競技スタッフが集まった。会場となったのは、京都中心街から地下鉄で20分のグランドプリンスホテル京都、観光地の一流ホテルの大広間に16台のピスト(車いすを固定・調整する装置)が設置された。

日本初の車いすフェンシングW杯会場として世界からの選手を迎えた、京都のホテルの中庭。 写真・中村Manto真人
日本初の車いすフェンシングW杯会場として世界からの選手を迎えた、京都のホテルの中庭。 写真・中村Manto真人

 車いすフェンシングは一般のフェンシングと同じ、フルーレ、エペ、サーブルの3種目があり、それぞれ相手の体の有効面内を剣で突く(サーブルでは「突く」だけでなく「斬る」もポイントとなる)ことで、一定の圧力が測定され、有効(赤・緑)ポイントのランプが表示される。

 装具は一般のフェンシングと同じ。車いすを完全に固定した状態で、両選手の腕の長さに応じた距離を調節して競技を行う。下半身の動きは固定されているため、上半身と車いすフェンシング独自の剣さばきの技術を要し、健常者フェンシングよりも速いスピードでの駆け引きの展開が魅力である。

車いすを完全に固定した状態で、両選手の腕の長さに応じ距離を調節する。車いすフェンシング独自の速いスピードと技術を要する。 写真・中村Manto真人
車いすを完全に固定した状態で、両選手の腕の長さに応じ距離を調節する。車いすフェンシング独自の速いスピードと技術を要する。 写真・中村Manto真人

 パラリンピック(やW杯)では、障害の程度によりA・Bの2つのカテゴリーに別かれ、競技が行われる。Aは障害が軽く、例えば、足の切断などの障害で腹筋を使って体幹をコントロールすることはできる。BはAよりも重い障害になり、例えば、脊損による腹筋背筋が通常より機能しにくいなど。クラス分けは障害の状態に応じて競技がフェアとなるように国際資格を有するスタッフ(International Classifier)によるクラス分けが行われる。W杯に出場できるのは国際クラスを得た選手のみとなる。

 日本からは12名(男子8名、女子4名)の代表選手が出場。そのうち個人戦2日目の女子フルーレ・カテゴリーBで、地元・京都市出身の櫻井杏理(日阪製作所)が銅メダルを獲得。この銅メダルが今大会・日本唯一のメダルとなった。

武者修行中の櫻井杏理の成長と日本パラフェンシングの可能性~フルーレ銅メダル、エペ6位〜

大会2日目・女子フルーレ・カテゴリーBの試合を終える、リオ金メダリストのベアトリーチェ・ヴィオ(イタリア/左)と櫻井杏理(日阪製作所) 写真・中村Manto真人
大会2日目・女子フルーレ・カテゴリーBの試合を終える、リオ金メダリストのベアトリーチェ・ヴィオ(イタリア/左)と櫻井杏理(日阪製作所) 写真・中村Manto真人

 陸上出身の櫻井杏理は、椎間板ヘルニアの手術後、車いす生活となってからも様々なスポーツに挑戦した。現在30歳。東京がオリンピック準備へ向かい始めた今から4年前(2014年)に車いすフェンシングに出会い、この競技に取り組み始めた。

 「さまざまなスポーツが好きですし、チェアスキーの(世界トップ選手の)森井大輝選手とも交流がありますが、スキーは競技ではなく楽しみです」と言う櫻井。フェンシングに専念している今はスキーは封印しているようだ。

エペの試合を終えた櫻井杏理(日阪製作所) 写真・中村Manto真人
エペの試合を終えた櫻井杏理(日阪製作所) 写真・中村Manto真人

 櫻井は、大会2日目(14日)女子フルーレ・カテゴリーBで試合経験豊富なイタリア、アメリカの選手を相手に勝ち、練習の成果を見せた。

 決勝ラウンドでは、リオパラリンピック・チャンピオン、ベアトリーチェ・ヴィオ(イタリア)と対戦し15-11で負けたものの、女王から多くの得点を奪うことができ成果も大きかった。

 また、大会3日目(15日)女子エペ・カテゴリーBは6位。本人は「試合の内容はよくなかった」と話していたが、ベスト8入りを果たしたことは海外での練習が功を奏しスピーディーな成長を促しているといえそうだ。

女子フルーレB表彰式/1位イリーナ・ミシュロバ(RUS)、2位ベアトリーチェ・ヴィオ(ITA)、3位 櫻井杏理(JPN)、ラドミラ・ヴァシレバ(RUS) 写真・中村Manto真人
女子フルーレB表彰式/1位イリーナ・ミシュロバ(RUS)、2位ベアトリーチェ・ヴィオ(ITA)、3位 櫻井杏理(JPN)、ラドミラ・ヴァシレバ(RUS) 写真・中村Manto真人

 「とにかく経験不足を補う必要があります。国内では互角で戦える相手がいないため、イギリスで練習をしています。大会が終わったら、また行き2月まで戻らない予定です」と櫻井。10月のアジアパラでの怪我の治療も兼ねて渡英。世界中からフェンサーたちが集まるロンドンのフェンシングクラブ「レオンポール」で今大会の直前まで練習を行った。ロンドンには車いすの選手も大勢いるという。

太田雄貴と車いすフェンシング~オリ・パラともに2020東京へ強化を

最終日の団体戦で日本と香港が対戦。3人1チームで1名はカテゴリーBをいれるルールで5点先取ごとに交代45点先取で勝ちとなる。 写真・木田光重
最終日の団体戦で日本と香港が対戦。3人1チームで1名はカテゴリーBをいれるルールで5点先取ごとに交代45点先取で勝ちとなる。 写真・木田光重

 大会最終日(12月16日)、団体戦が行われ、男子フルーレは2敗後の最終の順位決定戦で香港と対戦し、32-45で勝ち最下位を逃れた(12カ国中11位)。女子エペは2戦2敗(10カ国の最下位)。開催国として「ベスト8の壁」に挑んだ結果は、世界の壁の厚みを目の当たりにすることとなった。

 経験を活用・重視するスポーツで、日本の状況を嘆くのは易しいが、選手、スタッフの誰一人としてネガティブではなかった。

 団体戦の後、ミックスゾーンに立ったカテゴリーAの加納慎太郎(ヤフー)は次のように語った。

団体戦後の選手たち。左から加納慎太郎、藤田道宣、笹島貴明 写真・木田光重
団体戦後の選手たち。左から加納慎太郎、藤田道宣、笹島貴明 写真・木田光重

 「私たちの実力の結果だと思います。ランキング順位が高いのはW杯に出場してポイントを稼いでいるから。団体戦で強くなるには、パートナーの藤田選手と普段の生活から共にする時間を持ち備えたい」

 自分たちの力量を見極め、前に素直に向かうことのできる日本チームの強さが感じられた。

 健常者のフェンシングの華やかさの一方で、車いすフェンシングの日本での認知度は、パラリンピック種目の中でも最低ではないだろうか。車いすフェンシングの競技人口はじつはたった20名足らずであり、スタッフもボランティアに頼っている。

 実際日本の車いすフェンシングは、アテネパラリンピック(2004年)後には選手がなく、途絶えようとしていた。

対戦の準備をする藤田道宣(トレンドマイクロ) 写真・中村Manto真人
対戦の準備をする藤田道宣(トレンドマイクロ) 写真・中村Manto真人

 北京五輪銀メダルの太田雄貴氏(現在日本フェンシング協会会長)が、高校時代フェンシングを共にした仲間であり、受傷し病床にあった藤田道宣(トレンドマイクロ)に「車いすフェンシングがある」と持ちかけてきた。その度々の声かけは、カテゴリーBより重度障害のクラスになる藤田を励ました。

 そして、たった一人でもフェンシングを続ける藤田がいたからこそ、機会を得た仲間が集まり、短い期間で素早く課題を把握し、取り組み、今大会12名もの代表で世界と闘うことができたのではないか。

男子フルーレ・カテゴリーBで戦う藤田道宣(トレンドマイクロ) 写真・中村Manto真人
男子フルーレ・カテゴリーBで戦う藤田道宣(トレンドマイクロ) 写真・中村Manto真人

 今大会で多くの日本メディアが見守るなか、選手はホスト国チームとしての実力発揮に挑み、披露し、受けとめ、2020に向けて世界の車いすフェンシングに立ち向かう決意を見せてくれた。

来年7月、オリパラ共用のナショナルトレーニングセンターが完成

 2020まで2年を切ったいま、日本代表はどうするべきかという問いに、車いすフェンシングのトップアスリート、メダリストの経験を持つ香港出身のフン・イン・キー ヘッドコーチは「システムと対戦パートナーの問題がある。2020が終わった後のことを考えると選手の地元のクラブでのトレーニングができると良い」と話していた。京都に住み、日本の車いすフェンシングの末長い発展をみつめ、2020に向けた指導に尽くす心強い練習パートナーの一人でもある。

 大会期間中、関係者から「来年(2019年)の7月には東京にオリンピック・パラリンピック共用のナショナルトレーニングセンターが完成する」と、何度も聞いた。「(海外と比べて)遅すぎる」と言えばそうだが、ここまで猛スピードで駆け抜けてきた車いすフェンシングの選手・スタッフにとってどんなに待ち遠しいことだろう。強化がさらに加速するかもしれない。

W杯の全ての試合が終わり、ホスト国チームの選手により謝辞がのべられた。 写真・木田光重
W杯の全ての試合が終わり、ホスト国チームの選手により謝辞がのべられた。 写真・木田光重

 今はキーヘッドコーチらスタッフの存在そのものが貴重であり、同じ想いを共にする選手たちがいることが、日本の車いすフェンシングの偽らざる競技環境である。2020後の車いすフェンシングを支える礎となるに違いない。

(取材協力:恒松健児氏/日本車いすフェンシング協会、写真提供:PARAPHOTO/中村Manto真人、PARAPHOTO/木田光重)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。

佐々木延江の最近の記事