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中絶、流産、親権争いを乗り越えた、“母”シャロン・ストーンの今の心境

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
カンヌ映画祭のチャリティイベントに出席したシャロン・ストーンと長男ローアン(写真:REX/アフロ)

 シャロン・ストーンが、久々にスポットライトを浴びている。

 長年AIDS撲滅のためのチャリティ運動にかかわってきたストーンは、先月、ウエスト・ハリウッドで行われた、AIDSで亡くなられた方々を弔う記念碑のお披露目式に出席。「私たちがこうやって一緒に闘っている間にも、4,400万人の方々が、私たちの見つめる中で亡くなりました」と涙ながらの演説をし、人々の心を動かした。そして先週はカンヌ映画祭で毎年恒例のチャリティイベントにまたもやホストとして登場。AIDSリサーチのためのこのパーティを通して、ストーンはこれまでに多額の寄付金を集めてきている。

 カンヌで彼女の隣に並んで微笑んでいたのは、長男ローアン君だ。ローアン君は、2番目の夫で「San Francisco Examiner」紙のエグゼクティブ・エディターだったフィル・ブロンスタインとの間に引き取った養子。離婚後、ストーンはさらにシングルマザーとして次男レイアード君、三男クィン君を引き取った。

 2001年に生存の可能性が5%もない大病にかかり、その後長い期間を回復のために費やしてきたストーンは、この20年、女優としての仕事もこなしつつ、チャリティ活動や、何より母親業に情熱を注いできている。だが、その道のりは決してスムーズではなかった。その過程で、彼女は、喜びの涙と同じくらい、悔しさと悲しみの涙も流してきている。

10代の恋と妊娠、中絶

 ストーンに、出産経験はない。だが、妊娠経験はある。

 初めての妊娠は、大学生だった18歳の時だ。相手の男性は23歳のエンジニア。今年3月に出版された回顧録「The Beauty of Living Twice」の中で、ストーンは彼のことを「D」とイニシャルで呼んでいる。彼女にとって、Dは初めての真剣な恋人だった。

 妊娠の可能性に気づいたのは、ストーン本人ではなくD。ここしばらく生理だと言わないし太ってきたと、ストーンは彼に指摘されたのである。この時になって初めてDは、彼女がこれまで何も避妊をしていなかったと知り、驚いた。ふたりはそれまで避妊についてお互いに確認していなかったどころか、ストーンは性教育をほとんど受けておらず、知識がなかったのだ(ストーンの母も同様で、16歳でストーンの兄を妊娠し、結婚している)。

 その街で中絶手術を受けるのは難しかったため、Dは別の州のクリニックまでストーンを連れて行った。終わって大学の寮に戻るとストーンはそのまま気を失い、血だらけのまま目が覚めた。出血はその後何日も続いたが、誰にも、何も言えない。辛い気持ちのまま、Dとの恋は終わりを告げた。

 そんなストーンが自分の子供を生もうと思ったのは、それから20年以上が経ち、ブロンスタインと再婚をしてからである。結婚当時、ストーンは39歳、ブロンスタインは47歳。彼女は3度妊娠するも、悲しいことに、3度とも5ヶ月半で流産となった(彼女はその理由を血液型のRh因子のせいだとコメントしている)。そして夫妻は、血が繋がった子供を諦め、養子をもらうことを決意する。それがローアン君だ。

ローアン君を養子に迎え入れた時の報道
ローアン君を養子に迎え入れた時の報道写真: ロイター/アフロ

 その翌年、ブロンスタインは、ロサンゼルス動物園でコモドオオトカゲに足を噛まれ、大怪我をした。ストーンが取り計らったプライベートツアーで、ブロンストンは檻の中まで入れてもらった結果、起きてしまった悲劇だ。そのすぐ後にはストーンが椎骨動脈解離で生死の境をさまようことになった。そんなことが続くうち、ストーンはサンフランシスコの夫妻の家ではなく、ロサンゼルスに以前から所有していた家で時間を過ごすようになり、ふたりの間には溝ができていく。そうして結婚5年後の2003年、ブロンスタインは離婚を申請。ローアン君の親権は共同となり、ローアン君は、3週間ごとにサンフランシスコにいるパパと、ロサンゼルスにいるママの間を行ったり来たりすることになった。

親権争いとさらなる養子縁組

 そんな生活は幼いローアン君にとって大きな負担となり、勉強にも影響が出始める。そんなわが子の様子を見て、元夫妻は、学校がある時期はローアン君がサンフランシスコにとどまることで合意した。だが、やがて不満を感じるようになったストーンが、ローアン君がロサンゼルスに住むように取り決めを変えたいと裁判所に申し出て、醜い争いが始まる。ストーンがローアン君の面倒を主に見ているのは自分だったと述べたことに対して、ブロンスタイン側は前から「実際に面倒を見ているのは24時間雇われているベビーシッターだ」と異議を唱えていた上、今回の裁判でブロンスタイン側はストーンがローアン君の「足が臭い」とローアン君の足にボトックス注射をさせようとしたと言って、ストーンにおかしいところがあると主張したのだ(ストーン側はこのことを否定している)。

 結果的に、判事は「そのほうがローアン君にとって守られた環境」であることを理由に、ブロンスタインに親権を与える。ストーンに面会権は与えられたものの、この時のショックについて、ストーンは回顧録に「ローアンの主な親権を失った後、私はまるで機能しなくなりました。ひたすらカウチで寝ていました。とても疲れていて、午後はずっと寝ていて、起きられませんでした」と書いている。

ストーンとレイアード君、クィン君(2011年)
ストーンとレイアード君、クィン君(2011年)写真:Splash/アフロ

 そんな中でもストーンは、シングルマザーとして、レイアード君とクィン君を1年違いで養子に引き取っている。レイアード君の名前は、サーファーのレイアード・ハミルトンに由来するものだ。レイアード君が家にやってきてまもなく、ストーンは早くももうひとり欲しいと思い、電話をかけた。レイアード君が、まだ生後3ヶ月の頃である。すると、数日後に、「あなたにぴったりの赤ちゃんがいますよ」と折り返しがあった。なんと、その子の親は、レイアード君を生んだのと同じ人たちだというのである。そう聞いて、ストーンは、感動のあまり、膝をついて泣き始めた。そうして、クィン君は、生まれるとすぐ、ストーンの家に迎えられる。レイアード君とクィン君に、ふたりは血が繋がっているのだと教えたのは、物心がついてからだ。そう聞いて、ふたりは「初めて会った人を見るかのようにお互いをじっくり見ては、自分に似たところを探していました」と、ストーンは回顧録で述べている。

世の中はまだ昔の常識にとらわれている

 元夫ブロンスタインが再婚して新たに子供も生まれ、ローアン君も20代になった今、ストーンは、ウエスト・ハリウッドの家に、3人の息子たちと一緒に住んでいる。それは彼女にとって最高の幸せだ。

「子供たちが育ち、家のスペースが埋められていくにつれ、自分はどうしてあんなに長く待ったのだろうと、いつも考えてしまいます」と、ストーンは回顧録に書く。「毎日彼らを見るたびに、彼らは新しく見えます。私自身も。そして、どうして私には迷いがあったのだろうと思ってしまうのです」とストーン。その一方で、セレブリティでお金がある彼女にとっても、シングルマザーであることに人は優しくないとも訴える。「お父さんがいないとなると、人は見下すのです。職場で私は(他の人と)同じような敬意を受けません。私はキャリアですばらしいチャンスをもらい、成功してきました。そのことを誇りに思っています。その成功を家族とも分かち合うこともできてきました。それでも、私が子供たちを蔑ろにしているかのように見る人たちがいるのです。そういうダブルスタンダートは、まだ存在します。驚くことに、そういうことをする人の多くは女性です」と、ストーンは鋭いところを突く。

 だが、そんなことでストーンはくじけたりしない。「優しくて忠実な(人生の)パートナーがいたらいいだろうなと思います。でも、もう一度やり直せるなら、それを優先順位にしないでしょう。自分がやったように、40代になるまで子供を持つのを待つことはしません。私の世代では、社会の常識というのが強く、私もそれに巻かれていました。私はやや反逆的であったにもかかわらず、まだ頭の中にある正しい図に従おうとしていたのです。何世紀も前に描かれたその図に見合うことをしようと」。

 この言葉に元気を得る女性は、きっとたくさんいるはずだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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