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「保育園落ちた日本死ね」から一年、テレビとネットは保育園問題をどう語ってきたか

境治コピーライター/メディアコンサルタント
データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社

「保育園落ちた日本死ね」から一年経った

昨年、2016年の2月15日、一つの匿名ブログが投稿された。「保育園落ちた日本死ね」のタイトルで書かれたそのブログは、保育園に落ちたので働けない、「一億総活躍」と政府は言うが活躍できない、という切羽詰まった状況をシニカルに表現していた。

書いた人物の名前もわからないこのブログが、その後大きな話題を呼び国会でも取り上げられ、「日本にいかに保育園が足りていないか」を人々に知らしめた。その広がり方は、ネットでの話題をテレビが増幅し、国会にまで届いてまたネットでも話題がブーストするという、いまのメディア状況の最先端の事例となった。私はそれについて昨年3月に3つの記事で紹介した。

・「保育園落ちた日本死ね」ネットとテレビで響きあい国会に届いた"絶望"

・「日本死ね→書いたの誰だ?→ #保育園落ちたの私だ → 国会前スタンディング」絶望の不思議な連鎖

・「 #保育園落ちたの私だ」無名の母親たちが起こした、空気に対する革命

そう、まさに「空気に対する革命」だった。それまで保育園の問題は、当事者の間だけで語られる話題であり、関わりのない人びとにとってはさほど興味を持たれない話題だった。私はそれまで、新しい保育の取り組みや保育園新設への反対運動などを取材して記事にしてきたが、当事者以外への興味喚起はできないままだった。それが、名も知れない人による、たった一つのブログ記事が日本の空気をすっかり変えてしまったのだ。いまだに思い返すと驚愕する。

ではその後はどうだっただろう。世の中は保育園の問題にどれくらい興味を持ち続けたかを知ろうと、テレビとネットのデータを取り寄せてみた。いつものように、テレビについてはエム・データ社、ツイッターについてはデータセクション社に依頼し、「保育園」「待機児童」「保育士」を含む番組とツイートの数を出してもらった。(ツイート数は10%抽出したもの)ブログ投稿1ヶ月前の2016年1月15日から、ちょうど一年後になる2017年2月15日までの数を2軸グラフにしてみたのが冒頭の画像だ。青いのがツイート数、赤いのがテレビ番組数。

一年分を小さなスペースで見ても分かりにくいので、3ヶ月ごとでピックアップしてグラフを見てみよう。

【1〜3月】ブログ投稿から2段階で話題が拡大していった

まず2月のブログ投稿を挟んで1月から3月のデータを見てもらおう。

データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社
データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社

2月15日にブログが投稿された後、2段階を経て世の中に広まっていったのがグラフからわかる。最初はネット上で話題が盛り上がった。ネット内での拡散には、Yahoo!ニュースも大きく作用している。そして2月18日から20日にかけてまずTBSがいくつかの番組で「ネットで論争」としてブログを取り上げた。これに続いて他の局も取り上げ始める。

この時点で十分大きな話題になったのは間違いないが、もしこれで終わっていたら一時の話題としてすぐに忘れられた可能性もある。ところが3月にさらに大きな山がテレビでもネットでも起きている。

2月29日の国会答弁の場で、民主党(当時)の山尾志桜里氏がこの記事を取り上げたのだ。安倍首相は、「匿名なので本当かどうか確かめられない」と答えている。この時点ではさしたる話にはならなかった。ところが、その時出た野次がひどいことが後から話題になり、保活で悩む母親たちの怒りの声がネットからリアルの場に飛び火した。国会前で「保育園落ちたの私だ」アピールが行われたり、署名を集めて国会に届ける行動が行われ、山尾志桜里氏経由で塩崎厚労大臣に渡されたりした。

こうした一連の動きがかなりの数のテレビ番組で取り上げられた。テレビ朝日の「モーニングショー」では野次を飛ばした議員が釈明のために出演したら、火に油を注ぐ発言をしてしまった。報道番組やワイドショーだけでなく、フジテレビ「バイキング」で議論のネタになった。

ネット上での話題も、もはや当事者の壁を超えて多くの人が議論する題材になった。政治の世界でも看過できないテーマとして急浮上し、3月25日には与党として緊急提言が提出された。

2月15日からの40日間で、ネット上に書き込んだ愚痴のような言葉が、政府与党を動かした。そこでは、テレビとネットが互いに話題を増幅し合う、相乗効果が大きく作用したのだ。しかも誰かがコントロールしたのではなく、各々が自分の意志で行動した結果だ。ネット発の言葉が日本という国をここまで動かしたことはなかったのではないだろうか。

【4〜6月】話題の定着とさらなるテーマの拡大

さらに4月からの3ヶ月間を見てみよう。

データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社
データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社

4月12日に、千葉県市川市で新設予定だった保育園が地元の反対の声で断念したことが報じられた。これは3月の盛り上がりの”次のネタ”として格好となり、多くの番組で扱われた。

ネット上では賛否両論の議論が巻き起こった。中には地元の様子を調べて反対論の妥当性を訴える声もあったが、大勢としては「保育園に反対するのはよくない」という意見が主流だった。反対運動を取材してきた私としては、この問題にこんなに大勢が意見を言うようになるとはと感無量だった。実はこの少し前に、市川市の保活中の女性から相談を受けて何もできなかったので、開園できなかったのは残念だが世間が注目したのはホッとした。

3月に保育園が足りないことが話題になった後のこの流れは「保育園新設は無条件で許容すべき」という”新しい空気”を作った。そのせいか、5月18日には首相の「骨太の方針」に待機児童対策が盛り込まれた。ある種の、”だめ押し”だ。保育園問題は圧倒的な”正義”となった。

5月30日には杉並区で「公園を保育園に転用する」案の説明会が行われ紛糾したことが報道された。住民たちの激しい反応が映像で放送されたせいもあり、「住民エゴ」と捉える人が多かった。この問題は私も現地で取材し、その町の人びとにとっていかにその公園が大事かを理解した。もともと、子育ての中で公園の役割は大きいと考えていたので、その趣旨で何度か記事を書いた。

・杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。

杉並区の問題は置いといても、この時の様々な反応を見て感じたのは、保育園問題がいかに浸透したかだ。人びとはまず「保育園不足は解消すべき!」の強い思いでものごとに反応するようになった。たった3ヶ月で、だ。

いかに「世論」が変化したかを痛感した。

【7月以降】政治上の”当たり前の課題”となった保育園不足

それ以降は、2つのグラフをまとめて見てもらおう。

まずは7〜9月のグラフ。

データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社
データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社

そして10月から今年2月15日までを強引にまとめたもの。

データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社
データ提供:TV番組情報=エム・データ社・ツイート数=データセクション社

まず7〜9月は「都知事選」がポイントで、番組露出では7月後半にちょっとした山ができている。そして小池知事誕生後も都政の重要課題として頻繁に扱われている。9月初旬には東京都としての緊急対策が発表された。

10月以降では12月初めに「流行語大賞」に「保育園落ちた日本死ね」が選ばれたことがネットで大きな議論になった。テレビではさほど報じられていないのに、というのが面白い。そして直近では1月に「男性保育士の女児着替え」がネットで議論になり、テレビ番組でも取り上げられている。ある意味、保育園というテーマがここまで進化した、ということかもしれない。

7月以降は、流行語大賞と男性保育士の一件以外でツイートの山はできていない。だが、ずーっと一定レベルを保っている。最初の山があまりにも大きかったので小さく見えるが、件数は一日1万件を切ることはない。(グラフは10%抽出)普通の話題と比べるとずっと高い山が一年中続いているようなものだ。

【今後の課題】大きなビジョンと多様な解決策を

年中話題にされているのは解決したからではなく、むしろ解決してないからだろう。社会問題として定着したと言っていい状態だと思う。テレビ番組でも、今年2月になってからは「日本死ねから一年経っても解消しない保育園不足」という趣旨のものが並んでいる。結局この一年で人びとの意識に上ることになったものの、問題としては解決にちっとも至っていないのだ。

ほんの数年間だけだがこの問題を見てきて、私は2つ思うところがある。ひとつは、子育てに関する大きなビジョンが議論されていない点だ。保育園が足りない、という点だけを考えていても事態は進まない。私たちがいかに子育てをないがしろにしてきたかを省み、社会全体で子育てを支援して行くとはどういうことかを考えるべきだと思う。

いま議論になっている働き方の問題も密接に関係する。会社社会を子育てより優先してきた結果が現状を生んでいる。そしてその会社社会はほんの十数年前まで、ほぼ男性のみが働く場所だった。だから”保育園”があまり必要がなかったのだ。反対運動が起こるのも、そうした固定観念があるように思う。これから私たちは子育て中心の社会に転換するのだ、というコンセンサスが必要だ。そういうアナウンスを、政府や自治体がすべきではないかと私は思う。

そして2つ目は、ひとつ目の前提があってのことだが、もっと多様な子育てに社会全体で取り組むべきではないかということだ。いま「認可保育園至上主義」に陥っている。認可ができると保育園をたたまざるをえない無認可も出てきているのはおかしなこと。制度が認可保育園に偏りすぎているせいだ。

私が取材した中には、多様な保育の方法があった。ベビーシッターを安価で頼めるようにする活動。みんなで保育園を運営する自主保育や共同保育。こうした認可保育園以外の様々な保育についても、支援策を自治体が行うよう促すことが必要だと思う。認可には落ちたけど、あの制度を利用してこういう保育に預けて働いている。そんな状況は作れるのではないだろうか。おそらく、認可保育園はもちろん増やすべきだが一方でイタチごっこで、増やしても増やしても足りない状況に陥ろうとしているのだと思う。

「保育園落ちた日本死ね」からの一年間は、私たちが「子育て」がいま問題だと認識するための貴重な期間だった。いろいろ意見はあると思うが、結果的に非常に大きく世の中を動かした投げかけだった。そしてその一年間の次に、私たちはもっと具体的な議論を進めなければならないのではないだろうか。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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