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部活動・働き方改革 学校はなぜ動かないのか 市民の力による外部からの改革を

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授
(写真:アフロ)

■世論に背く学校

 とある高校教員のつぶやきが、1万数千回もリツイートされた。

 「部活のあり方はおかしい」と職員会議で繰り返す僕に「君の言葉は校内では支持を受けない。人権問題とか憲法違反とか違法だとか…外国語をしゃべっているようで、我々には伝わらない」と言われた。校内で正論を唱えるのは限界だ。心ある市民の方々と結びつかないと、ブラック部活の現状は変わらない。

出典:斉藤ひでみ先生(@kimamanigo0815)の2017年9月13日のツイートより。

 こうした教育問題の真面目なツイートが、1万件のリツイート数を超えるところに驚かされる[注1]。

 いま、部活動改革を含めた教員の働き方改革への関心が急速に高まっている。つい先日刊行された大手ビジネス誌でも、「ブラック職場」たる学校の働き方改革が、大々的に特集されたばかりである。

 ところが、そうした世論の高まりとは裏腹に、上記のツイートにあるとおり、驚くほど学校は動いていない。いやそれどころか、世論に反発しているようにさえ見える。

 学校の働き方を改善しようとする世論に対して、なぜ、学校自身の動きが鈍いのか。教員文化特有の事情から、その理由に迫っていきたい。

■部活動は楽しい

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 まず、長時間労働の元凶とされる「部活動」指導の過熱について考えたい。

 ちょうど昨日も私の手元には、「私的な研究会の場でブラック部活動の話題提供をしたところ、現場の教員からは堰を切ったように、反対意見や不満が噴出した」といった旨の情報が入ってきたところだ。なぜ学校は、部活動改革に後ろ向きなのか。

 その理由は、端的に、教員にとって「部活動は楽しい」からである。平日の夕刻を残業代なしの無償労働で、かつ土日を割増賃金どころか最低賃金以下の労働で費やそうとも、多くの教員にとって、部活動にはその労力に見合うだけの魅力がある。

 意外に思われるかもしれないが、現在、部活動顧問の過重負担について声をあげている先生方のなかにも、「部活動が大好きな(大好きだった)」人がけっこういる。それほどに、部活動は先生たちにとって魅力的な指導の一環なのである。

 なお、次にその声を一つ紹介する前に、これまでの部活動に関する行政の調査が「生徒にとっての意義(教育効果)」ばかりを問うてきたことを付言しておきたい。部活動が教員にとってどのような効用があるのか。この点は、じつはまったくと言っていいほど調査されていない。

■生徒との深い絆

 ネット上で、ブラック部活動の問題を訴えているとある教員は、部活動に徐々にハマっていった過去を、私にこう話してくれた。

 私なりに指導方法を勉強して頑張って教えれば、やっぱり勝つんですよ。そうすると、もっと勝ちたいみたいになる。だって、あれだけ生徒がついてくることって、中学校の学級経営でそれをやろうとしても難しいんですよ。でも、部活動だと、ちょっとした王様のような気持ちです。生徒は「はいっ!」って言って、自分に付いてくるし。そして、指導すればそれなりに勝ちますから、そうするとさらに力を入れたくなる。それで勝ち出すと、今度は保護者が私のことを崇拝してくるんですよ。こうなると、土日つぶしてもいいかな、みたいな。

 部活動指導とはひとたびそれに従事すると、いつの間にか、多くの労力と時間を費やしていく。その進行を強化するのは、普段のクラス運営や教科指導では得られにくい、生徒との深い関係性である。

 平日は数時間、土日はさらに多くの時間を、生徒と共に過ごす。しかもクラスや教科とは異なり、部活動は3年間持ち上がる。

 なるほど、部活動改革の話題になると、「部活動の生徒とは、卒業してもいまだに付き合いがあるんですよ」という語りは定番だ。何にも代えがたい生徒との深い絆。これを味わってしまうと、もうそこから抜け出ることは難しい。

■子どもが楽しくなるために

公立校における一週間の勤務時間数。(1)よりも下方が、月80時間以上の残業。
公立校における一週間の勤務時間数。(1)よりも下方が、月80時間以上の残業。

 次に、部活動に限定するのではなく、長時間にわたって働くことそのものに対する学校側のリアクションに言及したい。

 2016年度に10年ぶりに実施された文部科学省の教員勤務実態調査の結果(速報値)によると、「過労死ライン」に相当する勤務時間が週60時間(月の残業が80時間)以上の教員は小学校で33.5%にのぼる(中学校では57.7%)。教員の長時間労働は、部活動に関係なく生じうる[注2]。

 あるウェブサイトの記事に、小学校における「教員の一日」の具体例が詳細に紹介されている[注3]。その一例では、先生は朝の7時40分に学校に到着し、休憩時間もないままに夜をむかえ、学校を出るのは19時すぎ。さらには、1時間の持ち帰り仕事がある。

 だがその先生は多忙であるにもかかわらず、「子どもと過ごすのは楽しいし、教材研究や校務も苦痛だと思ったことはなく、むしろどうしたら授業が楽しくなるか、クラスが盛り上がるかといつも考えています」と語っている。そして、記事はこう締めくくられている――「これぞ教師の鑑ですね」。

■「子どものため」に真剣に頑張っている

 また、とある先生は、「近年の長時間労働批判は、子どものために夜遅くまで頑張っている先生たちに失礼だと思う」と、率直な気持ちを私に語ってくれた。

 この発言内容にも驚かされたが、それ以上にその先生からは、問題意識がほとんど感じ取れなかったことが驚きだった。夜遅くまで頑張ったことが、子どもの笑顔につながっていく。純粋な気持ちで「子どものため」と信じて仕事を頑張ってきたことが、働き方改革にとっての障壁になっているように見えた。

 言うまでもないことだが、全教員が上記のような考え方をもっているわけではない。

 ただ、夜遅くまで「子どものため」に職務に没頭する様子は、教師のあるべき姿と美化されてきたことはたしかであり(拙稿「『子どものため』の呪縛:休まないことが美化される教育現場」)、それに多くの教員が巻き込まれていることは否定できない。こうなると、どれほど教員の仕事が増えていっても、それをこなしていくことが正当化し讃えられ、長時間労働の問題は見えないままとなる。

■「やりがいがあるからいい」はまちがっている

中教審は議論の成果として8/29には、緊急提言を発表した。
中教審は議論の成果として8/29には、緊急提言を発表した。

 8月29日に、文部科学省の中央教育審議会に設置された「学校における働き方改革特別部会」において、ある委員(現職の校長)が、長時間労働の容認ともとられかねない内容を発言した。

 それに対して、委員の一人である妹尾昌俊氏(学校マネジメントコンサルタント)の応答は、じつに明快で的を射たものであった。

 「やりがいがあるからいいじゃないか」「多忙感がなければ長時間労働でもいいじゃないか」というロジックは間違っているということを申し上げたいです。

 そういう風に言っていくと、熱血教師しか仕事が続けられないという職場作りをしているということになります。例えば育児・介護をしながら仕事をしていく人が働けなくなる職場を作ってはいけない。

出典:ウェブサイト「教働コラムズ」に掲載されている「中教審 傍聴の記録 2017.8.29」より。

 妹尾氏の主張はすなわち、部活動を含め長時間労働にどれほどやりがいがあろうとも、それが前提の労働環境は改められるべきということである。

 この見解は、部活動改革や働き方改革においてきわめて重要な意味をもつ。部活動にしろ、長時間労働にしろ、それがどれほど有意義であったとしても、まずは所定の勤務時間内に仕事が終わるような環境を整備すべきということだ。

■教師冥利に尽きる

 さて、冒頭の斉藤先生のツイートに戻ろう。

 斉藤先生は、「校内で正論を唱えるのは限界だ。心ある市民の方々と結びつかないと、ブラック部活の現状は変わらない」と訴える。

「部活問題対策プロジェクト」の一員である神原楓先生も同じように、自身の経験から、「現場の教員の意識改革は不可能」であり、「一部の教員は変わる。だが、大多数が変わらない。行政と世論を動かす他に手はない」(2017年9月17日ツイート)と呼びかけている。

 先生たちは真剣に「子どものため」に尽くしている。それは子どもの笑顔や楽しさにつながっていく。ときには子どもとの間に、深い情緒的な絆も醸成されていく。いわば「教師冥利」とも言える営みのなかに、先生たちはいる。

 この「教師冥利」が、先生たちを図らずも長時間労働に追いやっている。したがって、その営みを「教員がみずから抑制すべき」というのは、あまりに酷な要求となる。

■市民の力で行政に働きかける

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 だからこそ、私たち市民の出番である。

 私たちは、けっして「教師冥利」に浸ることはない。後ろ髪引かれることなく、部活動改革・働き方改革に、声をあげていけばよい。

 ただしその声を届ける先は、学校現場ではなく、中央教育審議会や教育委員会、文部科学省、さらには財務省を想定しておくべきだ。学校現場の「教師冥利」からは一歩離れていて、かつ学校現場を直接に変えることができるのが行政である。

 そこで、市民の声を「世論」というかたちで行政に届けてくれるのが、マスコミだ。

 正直に言えば、これだけマスコミが部活動改革・働き方改革を盛り上げてくれながらも、学校現場がそれに反応しないとなると、もうマスコミはあきてしまうのではないかと、私は不安でいっぱいである。

 でも、どうか勘違いしないでほしい。先生たちは一生懸命に頑張っているのだ。その頑張りが、かえって改革を難しくしている。そして、その善意に寄りかかって、先生たちのただ働きについ甘えてしまっているのが、国や自治体である。働きかけるべき対象は、教育現場ではなく、教育行政なのである。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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