「学校にはお金がないんです」をいつまで言うのか 昭和の「ベルマーク論争」から半世紀経つも変わらず

ベルマーク論争から半世紀近く経つが、PTAの「寄付」はいまだに続いている(写真:ミラタス/アフロイメージマート)

 「学校って、本当にお金がないんですよ……」という言葉を、どれほど聞いてきたでしょうか。先生が忙しすぎるのも、PTAのお金で学校に必要な備品を買うのも、PTAが学校のお手伝いをすることも、この「学校にはお金がない」のひと言で、「仕方がないこと」とあきらめられてきました。

 正直なところ、筆者もPTAの取材を始めたばかりの7、8年前は、このマジックワードを受け入れていました。インタビューをした校長先生に、「学校って本当にお金がないんですよ……」と温和な困り顔を見せられれば、「それは大変だ、子どもたちのために、PTAがある程度お金や労働力をカバーするのはやむを得ない」と思っていたのです。

 しかしこの「学校ってお金がないんですよ」を、我々は一体、いつまで言い続けるのでしょうか。戦後20、30年くらいならまだわかりますが、いまは2020年です。

 戦後75年も経って、なぜいまだに学校に十分な予算がついていないのでしょうか。なぜ予算の要求もせずに、PTAがお金や労働力を出すことを是としているのでしょうか。

 こういった問題は、半世紀近く前から既に指摘されていました。たとえば、いまから45年前、1975年の『暮しの手帖』(第2世紀34号)に、当時の編集長・花森安治氏が「ベルマークよ、さようなら」というコラムを執筆しています。

 ベルマークは、学校に直接お金を寄付するものではありませんが、その代替です。保護者(事実上、母親)がさまざまな商品のパッケージに印刷された点数を切り集めると、合計点数に応じて学校に備品が獲得されるもので、要は母親の無償労働を換金・寄付する仕組みです。

 花森氏はこのコラムで、遊園地で見かけた母子がゴミ箱からベルマーク付きの空き箱等を漁る姿を嘆き、背景にあるベルマークの仕組みや成り立ちを解説します。そして多くの読者からの投稿を紹介しつつ、ベルマークの問題点を掘り下げていくのですが、最終的に行き着くのが、国や自治体の「教育予算の貧困」という根本原因です。

 同コラムで紹介された読者投稿は、こんな感じです。

……学校の備品を、こういう方法で手に入れなければならないのは、おかしいですよね。ちゃんと教育の予算(国だか都だか区だかわかりませんが)を取って頂かないと困るわけです。(東京都・世田谷区)

……父兄総出でそこまでやらなければ、義務教育の子供の教具がそろわないものかと情ない様な気持になって来るのです。(中略)義務教育の子供は、国家の力でちゃんと守って教育する環境をととのえるのが、正しい姿のような気がします。国がやってくれないから親がするという考えでは、たいして向上がないのではないかと思います。もっと根本的に見直す必要があるのではないでしょうか。(大阪府・吹田市)

……しかし今度、ノルマを課せられて(一年間の目標3百点)こんな気持でするなら反対、予算がいるようなものなら、当然公費として要求すべきもので、どうしてこんなことになったのか、係のお母さんと先生に訊いてみたいぐらいです。(以下略)(東京都・中野区)

出典:『暮しの手帖』第2世紀34号「ベルマークよ、さようなら」より

 このように戦後30年という時代ですら、「学校に予算をつけるのが筋だろう」と指摘されていたのです。

 さらに、この翌号に掲載された、教育設備助成会(現・ベルマーク教育助成財団)専務理事・和田斉氏による反論原稿には、以下のように書かれています。

「義務教育費は、これを無償とする」と、憲法第二十六条はうたっております。これを実現するよう政府に迫ることは、意義があります。わたくしどもも、ベルマークを必要としない時期が早く来るよう願っていますが、今はまだその時期ではないと思います。

出典:『暮しの手帖』第2世紀35号「ベルマークよ、こんにちは」より

 1975年当時、「まだその時期ではな」かったとしても、いまはどうでしょうか。2020年のいまでもベルマーク活動を続けるPTAはありますが、まだやはり「その時期ではない」のでしょうか。一体「その時期」はいつ来るのでしょうか。

 学校がPTAの「寄付」(お金や労働力)を必要としない時期は、もうだいぶ前に来ていても、おかしくなかったのではないかと思います。

 いまも学校がPTAの「寄付」に頼る問題を筆者が指摘すると、「PTAが寄付しないと学校はまわらない、現実を知れ」というご意見が聞こえてきます(意外かもしれませんが保護者から)。筆者もそれは知っていて心苦しいですが、でもこのままでは何百年経っても同じです。

 戦後75年も経ち、いまさらながらですが、学校教育にしっかりと予算をつけるよう、改めて多くの人が声をあげていく必要があるのではないでしょうか。