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「体罰」問題は「PTAにおける強制」問題とこんなに似ている 現場が変わりづらい理由

大塚玲子ライター
両者とも価値観の過渡期にあります(ペイレスイメージズ/アフロ)

 先月、有名なジャズ奏者が中学生に体罰を加えたことの是非をめぐり、さまざまな意見が噴出しました。我々の子ども時代と異なり、もはや体罰が許されないことは社会の共通認識となってきましたが、それでもまだある程度は体罰支持層もいるようです。

 この件の報道を見ていて、「体罰の問題」には、PTAにおける「強制の問題」と非常によく似た点があることに気付きました。

 以下、両者に共通する問題点をみていきたいと思います。

*1 楽しくない・嫌いになる

 当たり前の話ですが、暴力を受けることも、意に反して何かを強制されることも、決して楽しいはずがありません。

 体罰や強制では「自ら主体的にやろう」という気持ちにはなりませんから、「やらされ感」でイヤイヤ取り組むことになり、大した成果も生まれません。

 代わりに育つのは、やらされることに対するネガティブな感情です。

*2 根本的な問題が解決されない

 体罰も強制も、頭を使わずに、「その場しのぎ」ができてしまいます。

 本当は「なぜそれをやるのか」「それは本当に必要なことかどうか」「もっといいやり方はないか」「どんなくふうをしたら自主的にやれるのか」といったことを考えなければいけないのに、そういった問いは、全てスルーされてしまうのです。

 そのため根本的な問題は先送りされ、子どもにとっても、PTAにとっても、同じ課題がいつまでもついてまわることになります。

*3 エスカレートし、度を超すことも

 体罰や強制は、ほかの問題解決方法をシャットアウトしてしまいます。そのため「やらせる側」はますます体罰や強制に頼らざるを得なくなり、暴力は激しさを増し、やらない人へのペナルティは強化され、負の方向へとエスカレートしていきます。

 それが度を越し、目をそらしたくなるような体罰事件や、耳をふさぎたくなるような保護者間トラブルが起きてしまうこともあるのです。

*最大の共通点は「価値観の過渡期」にあるところ

 以上3点が「体罰」と「強制」が共通して抱える主な問題点ですが、筆者が一番似ていると思ったのは、両者に対する社会的評価の部分です。

 どちらも「昔はアリだったけれど、今はダメ」になりつつあり、ちょうど価値観の過渡期にある、というところです。

 かつてのやり方に親しんだ人からすると、「今の時代、そのやり方じゃダメだっていうのは、頭ではわかっているんだけれど、でもさ……」とモヤモヤするところでしょう。

 とはいえやはり、時代は変わっています。体罰や強制よりも、本人の自主性を引き出すやり方のほうがみんなハッピーになれますし、トラブルも避けられます。

 なるべく早く、頭を切り替えたほうがいいのではないでしょうか。

ライター

主なテーマは「保護者と学校の関係(PTA等)」と「いろんな形の家族」。著書は『さよなら、理不尽PTA!』『ルポ 定形外家族』『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』など。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。ohj@ニフティドットコム

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