名古屋はなぜバカにされなくなったのか?
はじめまして。“名古屋ネタライター”を自称するフリーライターの大竹敏之と申します。名古屋メシから金のシャチホコまで、ここにしかない個性に事欠かない街、名古屋。名古屋を愛する一市民として、その魅力と面白さ、さらには最新の話題をせっせとお送りしていきたいと思います。当サイトをお読みくださった皆さまが少しでも名古屋に興味を持ってくだされば、これ幸いに存じます。
さて、第1回目となる今回は、名古屋に対する世の見方、日本におけるポジションについて考えてみたいと思います。
タモリのエビフリャーに名古屋とばし
名古屋人を悩ませた地元コンプレックス
筆者は昭和40年生まれなのですが、私くらいの世代の名古屋人の多くは、自分が生まれ育った街・名古屋に対して長らくコンプレックスを抱いてきました。
というのも、タモリさんのエビフリャー・ネタに象徴されるように、名古屋は長い間揶揄の対象とされてきたのです。名古屋弁は「“みゃーみゃー”言って田舎臭い」と笑われ、ご当地料理に関しても「トンカツに味噌かけるの?うげッ!」とゲテモノ扱い。「大いなる田舎」「文化不毛の地」などありがたくないレッテルは枚挙に暇がなく、あまつさえ「日本三大ブス産地」などといういわれのないそしりすら受けてきました(ちなみに他の2つは水戸と仙台。私が言ったんじゃないので水戸と仙台の人、怒らないでください)。
外タレのコンサートや開通当時の新幹線のぞみ、ついでにファッション誌の街角スナップ企画までもが素通りしてしまう“名古屋とばし”も、名古屋人のプライドを痛く傷つけました。さらには当選間違いなしといわれた1988年オリンピックのまさかの落選が「やっぱりオレたちは主役にはなれない」と名古屋人をうつむかせるダメ押しとなりました(当時のサマランチ会長の「ソウル!」のひと言は、いまだ中年以上の名古屋人にとってのトラウマです)。
こうした内外の事情の積み重ねによって、東京と大阪に張り合おうなんて意地を張ってみせることもなく、ヨソの町へ行けばできるだけ名古屋弁が出ないように気を使い、進学や就職では地元志向が極端に強く、地元は嫌いではないけれど大っぴらにアピールしようとはしない、何とももどかしい郷土意識が名古屋人の中に培われていったのです。
ダサい田舎から日本一元気な街に
万博を境にイメージが一変
ところが、今の20代半ば以下の世代と話していると、彼らはこうした名古屋コンプレックスをほとんど抱えていません。私ら世代には鉄板の自虐ネタである「タモリのエビフリャー」でさえ、聞いたこともないというのです。そして、劣等感どころか「名古屋は都会だし、何でもあって住みやすいし大好き!」と自信満々で胸を張る若者が少なくないのです。
このようなパラダイムチェンジは、2005年の愛知万博に前後して起こりました。トヨタにけん引されて名古屋経済は絶頂期にあり、万博や中部国際空港の開港、駅前の摩天楼化などビッグプロジェクトも相次ぎ、経済誌がこぞって名古屋特集を企画。全国区のテレビや一般誌も名古屋を取り上げる機会が急増し、万博との相乗効果もあって名古屋メシの有名店には軒並み行列ができるようになりました。
画期的だったのは、単に発信される情報量が増えただけなく、取り上げられ方のトーンが変わったことでした。経済誌の論調はすべて「名古屋が元気!」「名古屋はスゴい!」。それに乗っかるかのように、名古屋メシも魅力ある郷土料理として紹介されるようになりました。笑いのネタがお決まりだったそれまでのネガティブキャンペーン的扱いとは明らかに風向きが変化したのです。
地方の時代で輝く地方代表・名古屋
近年のこうしたローカルイメージの転換は、名古屋に限ったことではないように感じます。
東京一極集中への反動として地方の復権が叫ばれ、インターネットの普及によって価値観が多様化してマイノリティが市民権を得るようになり、若者の間では東京志向が薄らぎ、ご当地B級グルメがもてはやされるようになり、アイドルでさえご当地モノが人気を博すようになりました。それにともなって全国各地の固有の地域性が単に“変”ではなく、“個性的で面白い”と肯定的にとらえられるようになってきたのです。例えばバラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』にしても、ああいった地方ネタはひと昔前なら“上から目線で笑ってやろうという”という色メガネ的なトーンがもっと強かった気がします。
名古屋はいわば地方の代表のような街ですから、社会全体のローカル志向の中で必然的に積極性を持って取り上げられるようになったと言えます。言ってみれば、名古屋をバカにすることは日本中の地方をバカにすることと同様です。逆に、名古屋を魅力的だと感じることは、日本中の地方に魅力を見出そうとすることにもつながります。「名古屋は日本の縮図」とはよく言ったもので、名古屋の見方もまた日本全体の見方を象徴していると言えるのです。