関西の街クラブが上位に

主役は関西の街クラブ!それが第2回Jr.ウインターカップ全国U15バスケットボール選手権大会を見終えた感想だった。男子の優勝チームは兵庫のゴッドドア。準優勝はKAGO CLUB(大阪)で、LAKE FORCE(レイクフォース/滋賀)もベスト4に残った。

ジュニアウインターは中体連(部活)、Bリーグのユースチーム、街クラブが一同に会して中学生年代日本一を競う大会だ。BリーグのU15チームも横浜ビー・コルセアーズ、福島ファイヤーボンズ、千葉ジェッツがベスト8に残った。八村塁や馬場雄大を輩出した富山市立奥田中(大会には奥田クラブの名義で出場)も2年連続の4強入りを果たしている。

ゴッドドアの瀬川琉久、高田将吾(奥田)、渡邉伶音(千葉)、平良宗龍(琉球ゴールデンキングス)、内藤英俊(ライジングゼファー福岡)らは、この大会で際立った能力を見せていた人材だ。チームとしてはKAGOやLAKE FORCEの充実が目についた。

日本バスケの育成を見れば、当然ながら中学生年代も部活への依存度が高い。一方でBリーグが発足する以前から部活を補う“塾”的な存在として、クラブチームの活動が愛知や近畿地方などで広がっていた。

愛知のジュニアバスケットボール連盟が主催し、2013年に「第1回全国ジュニアバスケットボール選手権大会」が開催された。今も「全クラ」の通称はそのままに、クラブバスケットボールゲームスと名を変えて1月上旬に大会を行っている。男女ともジュニアウインターの都道府県予選であと一歩届かなかった強豪チームが出場している。

クラブを表舞台に押し出した改革

1990年代後半から中学生年代の街クラブはあったようだが、野球やサッカーなど他競技に比べると立ち上がりが遅かった。KAGOやLAKE FORCEは早い時期から活動をスタートさせたチームだ。KAGOはスクール活動の開始が2009年で、LAKE FORCEは2011年12月の発足だ。

日陰の存在だったクラブチームに光を当てたのが、日本バスケットボール協会(JBA)の改革だ。日本は2014年秋に国際バスケットボール連盟(FIBA)の制裁処分を受けた。FIBAは日本協会の運営に介入し、川淵三郎が議長を務める「JAPAN 2024 タスクフォース」のもとでガバナンスや代表強化、リーグ分裂といった課題の解消への取り組みが行われた。

強化の中で、特にFIBAが問題視していたのが育成年代。改革の一貫としてリーグ戦も含めた公式戦の整備、登録制度の変更が行われた。U-15年代についてはゾーンディフェンス禁止といった規制も設けられた。そんな流れの中で今、街クラブが脇役から主役に躍り出ている。

LAKE FORCEの井門靖昇HC 写真提供:日本バスケットボール協会
LAKE FORCEの井門靖昇HC 写真提供:日本バスケットボール協会

「越境する文化」がなかった

LAKE FORCEの井門靖昇ヘッドコーチ(HC)は会社に勤めながら、滋賀大学教育学部附属中、南郷中、守山南中のバスケ部に外部指導者として関わったキャリアを持つ。彼はクラブを立ち上げたきっかけをこのように振り返る。

「滋賀は(U-12年代の)ミニバスが盛んだけど、中学校で越境する文化がないんです。私学が少ないし、越境文化もないから、ミニのいい選手がバラけてしまう。ある人から君がいる学校や、他の熱心な先生のいる中学校は強いけれど、それ以外の子が日の目を見ていない。何とかしてくれないかといわれて、それがきっかけです」

例えばジュニアウインターの女子は2大会連続で決勝が私立中対決になっている。また公立中でも、いわゆる越境入学で人材が集まっているチームは全国的に多い。少子化の中でも親の“スポーツ教育熱”は高く、バスケに限らず「いいチームに入るための転居」もよく聞く。

一方で公立中は教員の働き方改革、部活動改革が進行中で活動日時の制限も強まっている。バスケを本気でやりたい、上を目指す子どもたちが少なからずいる中で、街クラブが受け皿になる流れは自然でもある。

「15年、20年と一気に進んだ」

LAKE FORCEのOBには岡田侑大(信州ブレイブウォリアーズ)がいる。来るもの拒まずのポリシーで、3学年の選手数は男女合計で100名超。米原、野洲、甲南、大津と滋賀県の各地でスクールを行い、「どの会場に誰が来ても構わない。月5回だけ行く、20回すべて行くのはフリー」という方法を採っている。

ジュニアウインターに出場したトップチームはスクール生から選ばれたメンバーで、スクールと別に週1回の活動を行っている。月謝は6000円だからすべての活動に参加する生徒にとっては破格の安さだろう。

クラブチームの活動が周囲からの理解、評価をすんなり得られていたわけではない。井門はこう振り返る。

「愛知のクラブチームを束ねていた佐々木(貴之)さんが『僕らが日の目を見るのは井門さんが死んでからや』と話をされていましたね(苦笑)それがタスクフォースの動きでもう15年、20年と一気に進んだ感じがしました」

強豪校のスキルコーチも兼任

KAGOは1回戦でBOMBERS(新潟)、3回戦はNLG INFINITY(群馬)と大会の序盤から強敵と当たる厳しいブロックだったが、最終的に準優勝を果たした。

丸田健司HCはチームの創設者で、38歳とまだ若い指導者だ。OBには飯尾文哉(日本大3年/大阪エヴェッサ特別指定)がいる。小西聖也(関西学院大4年/京都ハンナリーズ特別指定)も丸田が中3時からワークアウトをしている選手だ。

丸田は高卒後にアメリカの短大(ジュニアカレッジ)でプレーし、bjリーグの設立に伴って帰国するとプロを目指した。スクールの活動に加えて3x3やストリートバスケで活動していたキャリアも持っている。2年前から福岡大学附属大濠高のスキルコーチとなり、週1回は福岡に通う生活をしている。説明不要かもしれないが、福岡大大濠は2021年度のウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会)を制した名門校だ。

KAGO CLUBの指揮を執る丸田健司HC 写真提供:日本バスケットボール協会
KAGO CLUBの指揮を執る丸田健司HC 写真提供:日本バスケットボール協会

プロ選手を目指して帰国

アメリカ留学中の彼に声をかけたのは「大阪ディノニクス」だった。ディノニクスは2005年に開幕するbjリーグに参加する予定だった。経営体制が不安視されて加盟を認められず、代わりにヒューマンホールディングスを母体とする大阪エヴェッサが急遽bjリーグへ参入した経緯がある。

丸田は振り返る。

「向こうで『bjリーグができるよ』と関係者が選手を獲りに来たりしていたんです。ディノニクスのオーナーと知り合って、ディノでやる?という話になった。大阪は地元に近いので帰ります……と帰ったんです。でも(参戦が取りやめになって)ディノニクスの選手の半分がエヴェッサに上がって、半分がディノニクスとして実業団に残った。僕は(プロになれず)実業団のメンバーに入ってしまった」

丸田は実業団リーグでプレーしながら、ディノニクスのスクールにアルバイトとして関わった。

「1年ぐらいクリニックを重ねた上で、『俺、こういうのが向いているのかな』というのがありました。でも、スクールを始めるとやっぱりプロは目指せない」

スキルとバスケIQで上回る

彼は指導者として独り立ちし、KAGOを立ち上げた。“マル”の愛称で親しまれる彼は大阪を拠点に福岡、東京と飛び回り、専業コーチとして生計を立てている。教員指導者、街クラブのコーチとは少し違う空気感を持つやり手だ。留学、ストリートといったバックグラウンドを含めてある種の異端でもある。

個人能力やサイズでKAGOを上回るチームはいくつもあったはずだ。しかし彼らはスキルやバスケIQが高く、オフェンスリバウンドやルーズボールの争奪といった泥臭いプレーも光った。オールコートプレスからミスを誘う迫力など、良い意味での部活っぽさも持っていた。さらにシューターの杉本陽飛ら小学生低学年から在籍する選手が主力の多くを占める、自家製のチームだった。

丸田はチームの健闘についてこう述べていた。

「あの子たちは小さいからこそ評価されてこなかったけれど、壁がある中で技術をずっと伝え続けてきた。皆なにかしら挫折というか、悔しい思いをしてきた子たちなので、そういう子が集まって結果を出すのは、あの子たちにとってもいいことでした」

ベンチの盛り上がりもKAGOの特徴 写真提供:日本バスケットボール協会
ベンチの盛り上がりもKAGOの特徴 写真提供:日本バスケットボール協会

男女合同、大人数の練習も

KAGOはLAKE FORCE、ゴッドドアと同様に部活との掛け持ちを前提とするチーム。堺、茨木、寝屋川と大阪府の各地でスクールを行い、来たい選手が来れる日に顔を出す方式だ。選抜されたメンバーによるチーム練習は堺で週1日行っており、あとはスクールの活動だ。

バスケは男女の競技人口がほぼイコールで、中学生年代より下は男女が一緒に活動する文化がある。今大会のベスト4に残ったチームは、同じ指導者が男女両方を見ているチームだった。奥田は男女ともに大会の富山県代表となり、坂本穣治HCがどちらも指揮を執っていた。KAGOの女子チームは今年の全クラを制している。

KAGOは大阪のスクール生が男女合わせて400名。人数が多いクラスになると2面のコートで百名を超す選手の指導することがあるという。コーチが複数つくとはいえ、それぞれのモチベーションや負荷のコントロールはどうなるのだろう?

「上の子が下の子を教える」スタイル

丸田はこう説明する。

「ウチのスクールは上の子が下の子を教えます。僕らはなるべく上の子たちを引っ張り上げて、上の子たちが下の子の面倒を見てあげるんです。中3と小2・小3も全員が同じメニューをやっていて、同じメニューだけどテーマが違うという形ですね。だから選手はスゴく面倒見が良かったり、教えたりできる。それがいい形でピラミッドになっています」

バスケは「短い時間でどう仲間に情報を伝えるか」というコミュニケーションスキルが特に問われる競技。6歳下、7歳下の子供に教える経験はプレイヤーとしての能力向上につながる。そのような経験は、社会に出ても当然ながら生きるだろう。

例えばJリーグの育成組織は「少数精鋭」「世代別」で活動をしている。少なくともサッカーや野球では練習の参加者が増え、レベルがばらつくと強度や効率が落ちるという常識がある。BリーグのU15チームも少数精鋭、年代別の活動でスタートを切っている。アメリカならば学校のチームでも参加者を絞るセレクション文化がある。

しかしKAGOやLAKE FORCE、そして昨年のNLG INFINITYの戦いを見れば、性別や年齡、レベルを問わず一堂に会する“寺子屋方式”でも選手のレベルアップは図れることが分かる。また優勝したゴッドドアも含めて、選手たちは夏の引退までクラブと部活の二重活動をしていた。そこも他競技にはほとんど無い文化だ。

「部活でなくクラブだなと考えた」

もっとも、それが唯一の答えではない。CONFIANZA(コンフィアンサ)東京 U15は今大会のベスト16に入ったチーム。インターナショナルスクールの選抜チームTokyo Samurai、多くのBリーガーを輩出している世田谷区立梅丘中学校、実践学園中、サンロッカーズ渋谷U15と強豪が多い激戦区を制した。

福島孝太HCは土浦日大高、早稲田大を経てデイトリックつくば(茨城ロボッツの前身に当たるJBL2のチーム)の主将も務めた元プロ選手。東京中学生選抜、土浦日大高では岡田優介(アルティーリ千葉)と同期だった。引退後は都立高校の教員となり、そこから練馬区内にクラブチームを立ち上げた。KAGOの丸田と同様に指導で生計を立てている。

福島HCは立ち上げの理由をこう説明する。

「一応プロでやって、教員をやって、でもやっぱりクラブのほうが環境はいいと。働き方改革の問題もあり、教員が大変な中で、(選手を)上に伸ばしていける環境は部活でなくクラブだなと考えました」

コンフィアンサ東京U15の選手たち 写真提供:日本バスケットボール協会
コンフィアンサ東京U15の選手たち 写真提供:日本バスケットボール協会

一本化のメリットは?

コンフィアンサは9年目を迎えるチームだが、3年前から“クラブ一本”の方針を採用している。

「僕らは育成の選択肢を僕らが開拓していこうと掲げてやってきたチームです。部活も他のスクールも併用しないで、うちで週4回、5回練習してやってきました。部活と併用していない(街クラブの)チームは、東京だったらうちだけだと思います」

彼は理由をこう述べる。

「メリットのほうがやっぱり多いと思います。まずプランを立てて3年間教えることができます。それなりに練習をするので、部活をやっているとやはり怪我のリスクがある。大会がもし重なってしまったときに、どちらに出るの?という板挟みに近いところも出る。やはりそこは一本化したほうがいい」

月々の月謝は15,000円。週4~5日の練習、遠征といったそれなりの量の活動を行い、8人のスタッフに支払う人件費もある。

「そこまでしないと、指導者が仕事で来られないとか、部活とあまり変わらなくなってしまう」とは福島の弁。メンバーは各学年20人ずつで、男子はU12、U13、U14、U15と会場を分けてトレーニングを行っている。施設を確保できる行政との関係、負担に耐えられる親の存在といった前提もあるが、このような活動形態は当然アリだろう。

豊かな“生態系”を強みに

部活、Bユース、街クラブが入り乱れた日本バスケの中学生年代はなかなかカラフルだ。街クラブを一つとっても活動形態は千差万別で、話を聞くたびに新しい発見があった。

未来ある子供を預かる以上、チームの継続性は決定的に大切だ。街クラブは会場も含めたリソースの確保が難しく「3年続くチームはなかなかない」という残念な実情を耳にしたこともある。一方で自然環境と同じく育成の“生態系”は豊かな方がいい。家庭、地域とそれぞれの事情に応じた複数の選択肢がある方がいい。

Bユースやコンフィアンサのような少数精鋭型チームはおそらく増えていくだろう。ただしKAGOに代表される“寺子屋型”のトレーニングにも良さがある。またミニバスも含めて兼業指導者の役割は引き続いて大きいはずだ。

変わる街クラブの評価

KAGOの丸田はこう述べていた。

「中体連さんがやってきたことに、僕らは踏み込んでしまっている。何もつながっていない状態で今まで入っていた」

街クラブの躍進は「対協会」「対学校」を考える上で大きな契機になる。掛け持ちを禁じる県協会や教育委員会、好ましく思わない指導者が残る中で、今大会の結果は周囲の見る目が変わる契機となるだろう。

お互いの多様性を認めつつ、協力できるところは協力し、選手を次のステージに向けて皆で後押しする――。ジュニアウインターがきっかけとなって、そんな文化が日本バスケに浸透することを願いたい。