夏の甲子園大会を開催するために 必ず満たされるべき三つの条件

(写真:アフロ)

現時点では開催が前提

夏の全国高等学校野球選手権大会を開けるのか?そもそも開く方法はあるのか?それぞれの期待と不安、世界の現実が交錯する難題で、この問いをすっきりと解き明かすことは難しい。

早期の結論が望ましいのは当然だ。ただし5月前半の日本で、夏の全国大会を開催できる確証はおそらく誰も持てていない。中止の決定は容易だが、それは球児やファンが望む結論でない。ギリギリまで状況を見極めつつ、可能性が1%でもあるなら準備を進める高校野球界の姿勢は妥当だ。

日本高等学校野球連盟(日本高野連)は当初、5月20日の選手権運営委員会で開催可否の最終判断を下す方向だった。しかしこれを6月第1週に繰り下げている。さらに47都道府県の中でもっとも開幕時期が早い沖縄県大会は、既に延期の方向で調整中だ。事態の改善を待ちつつ、夏の大会を決行する構えだ。

選抜、高校総体は中止に

まず「全体」に目を向けよう。7月24日の開幕予定だった東京オリンピックは既に2021年への延期が決まった。全国高校総合体育大会の中止も、4月末に発表されている。

47都道府県と9地区の春季大会も、選抜高等学校野球大会に続いてすべて取りやめとなった。いったん8月に延期された全日本大学選手権は、中止の公算が高まっている(※その後12日に中止が決定)。畑違いだが10月下旬に予定されていた全日本吹奏楽コンクール(高校の部)の中止も決まった。

安倍晋三首相は先日、新型コロナウィルス問題に伴う緊急事態宣言期間の延長を発表した。プロ野球、Jリーグの公式戦は今も中断している。

一方で全国の感染者数は減少傾向にあり、宣言解除や自粛要請の緩和に向けた動きもある。斉藤惇コミッショナーは日付の提示を避けているものの、プロ野球は6月中の再開に向けて動き出している。海外に目を向けると台湾や韓国、ドイツでプロスポーツのリーグ戦が再開された。

懸念される健康リスク

開催に向けて満たすべき条件をここで考えておきたい。まず大きいのが健康リスクのコントロールだ。

選手の健康・安全を重んじる主張は妥当だが、ゼロリスクを要求するべきではない。コンディション無視の連投など避けられる危険を冒すことは論外だが、無謀な行動を避けてもリスクは必ずどこかにある。野球はコンタクトが伴う種目に比べれば安全だが、硬球やバットが鉛筆より危険なのは当然だ。ただしスポーツには一定のリスクに見合った価値がある。

「最後の夏」には強烈な吸引力があり、中止は高校球児の心に強い痛みを与える。進路の選択などに及ぼす現実的なデメリットもある。

とはいえ「健康リスクを無視しろ」という主張も論外だ。現時点では無観客や大幅な観客制限を前提とするべきだが、少なくともメディアや大会関係者は甲子園球場に集まる。もちろん手洗いや換気、ソーシャルディスタンス確保などの手はもちろん打たれるだろう。開会式の行進、ベンチ前の円陣なども避けるべき行動だ。ただそれでも大会が人の接触を増やし、感染リスクを高める因子であることは間違いない。

属性を踏まえたリスク対策は?

関係者から重症者を出さず、病床や医療機器の逼迫につながるクラスターも生み出さない。それは選手権を開催する上での最低線だ。

新型コロナの感染者に関する統計を見ると、属性による明確な傾向がある。感染者は20代から80代まで広範に分布している。ただし50代、60代と重症者率、死亡率が一気に高まっていく。また喫煙、肥満、心血管疾患、糖尿病などの因子が重症者率の要素として浮かび上がっている。

人間を年齢で一律に排除するアクションは可能な限り避けるべきだが、健康や命に関わるとなれば軽視できない。日本高野連の八田英二会長は71歳で、他にも高齢の大会役員は多い。プレイヤーズファーストだからといって、選手以外の健康が軽んじられては困る。監督の年齢による排除は別のデメリットを生むので賛成しないが、運営や取材を60歳未満に限るような線引きは考えてもいい。

47都道府県からの選出は必須

二つ目の条件は「代表校が出揃う」ことだ。要は47都道府県の地方大会(いわゆる予選)が無事に終了するという意味だ。学校側の判断で出場を辞退する例は出るかもしれない。しかし一つの都道府県も欠けない、公平な競争を経た出場校の選出は、選手権の存在価値を維持する上で必須条件だ。

選抜に関する原稿でも触れたが、地方大会の日程消化は全国大会以上にハードルが高い。公共施設を使用し、運営が学生や教員のボランティアに依存するからだ。また開幕が大よそ1ヶ月早く、しかもそれぞれの個別事情がある。

岩手は感染者ゼロの状態が続いており、他にも新規感染者が5月に入って確認されていない県がある。緊急事態宣言の解除、学校と公共施設の再開は必要だが、そのような地域ならば大会の運営は相対的に容易だろう。

特定警戒都道府県の大会に壁

一方で東京、大阪など13都道府県は11日の段階で特定警戒都道府県となっている。特定警戒都道府県は総じて地方大会の出場校が多い、球場や日程の確保が厳しい地域と被る。つまり東京、大阪、愛知、神奈川、北海道などの大会は運営の難易度が高い。そこが選手権を開催する上で高い壁となる。

47都道府県が「できる地域」「できない地域」に分かれる可能性は当然ある。仮に選手権が取りやめになったとしても、一つでも多くの地方大会が行われ、一人でも多くの球児が完全燃焼を果たすことを願いたい。

全国大会の後ろ倒しも理論上は可能だが、軟式の全国大会や秋季大会、国体の日程を考慮する必要がある。甲子園大会と同等の施設、期間の確保は現実的でない。

社会の逆風は押し切れない

三つ目の条件は社会の受け止めだ。サッカーもバスケットボールもラグビーも、育成年代のスポーツは必ず教育的な意味合いを含む。ただし高校野球は多くの人とお金を巻き込み、単なる教育では片付けられない活動だ。甲子園大会は日本を代表するメディアが主催し、行政や国会議員がそのあり方について口を挟むイベントだ。そういった逆風を無視して、選手たちの意思を押し通すことはできない。

世論を決めるベースは感染者数の増減、教育機関や産業の動向だが、どうしても想定しきれない要素がある。社会の空気感はコントロールが難しく、先行きを読めない究極のリスク要因だ。

高野連の判断が他競技にも波及

高校野球文化を受け入れないスポーツファンがいる現実も理解できる。大会中止が決まったら喜ぶ「アンチ」もいるだろう。

しかし選手権の開催を巡る決定は、どうしてもスタンダードとなって他競技に波及する。夏の甲子園が取りやめとなれば、冬休みに予定される他競技の全国大会に向けた中止圧力も強まるはずだ。夏休みに「冬」の予選を開始する地域も多く、遠い先の問題ではない。他競技にとっても高校野球の問題が他人事というわけではない。

全員が納得する決定はない。絶対的な正解もおそらくない。難局においては諦め、切り捨てといった「後ろ向きの判断」も必要となる。高野連の各組織が不都合なジレンマと向き合い、得失を計って決めることが唯一の道だ。

新型コロナ問題によって苦境に陥っている人は多く、中止が社会をいい方向に動かすのならばやむを得ない。その一方でプレー、観戦から大きな力を得る人がいることも確かだ。社会の平穏は選手とファンがスポーツに没頭する前提。今はただ災禍が終息に向かい、様々な種目のアスリートが全力を尽くす環境が取り戻されることを願うしかない。